第2話

◇◇◇


 この大陸には、魔族と人間という二種類の人種が存在する。

 かつて、魔族の王、通称魔王がこの世界を支配していた。詳しい経緯をオーヴスは知らない。それでも確かな事は、そんな時代はとうの昔という事だ。魔王は勇者により討ち取られ、世界は逆転した。

 それこそ、全てがひっくり返ったという。それも本当かは分からない。何しろ、それはオーヴスが生まれる遥か前の話なのだから。遠いお伽話のようなものだ。

 今では人間族がこの大陸を統治している。

――というのが、オーヴスの知る簡単な世界の構造だ。魔族は、この村にも何人かいる。そして、彼らは平和に畜産業に勤しんでいる。平和なものだ。

 もちろん、魔族だからと邪険に扱われてもいない。リリヴェルも人間だが、オーヴスに対する態度は誰とでも同じ。特別魔族だから、ではないのは知っていた。

 少し正義感の強い子。それがリリヴェルに対するオーヴスの認識だ。

 自分よりも二回り以上大柄のいじめっ子を一人で打ちのめした少女は、リリヴェルくらいしか知らない。無謀でもあり、強い少女だとも思う。


「うんうん。流石は私だわ。サイズがぴったりね」


「ああ、そうみたいだ。すごく着心地が良いね。生地も良さそうだ」


「当然でしょ! だっさいリネン地の上下で魔王名乗らせるわけにはいかないんだから」


 また妙な事を言っている。曖昧に笑ってやり過ごそう。そう決めたオーヴスは再度リリヴェルがしつらえてくれたという衣装を見やる。

 黒を基調とした衣装。マントは裏表共にシルク生地で、何故か内側が深紅と派手な色合い。スーツのような上下にしても漆黒に、緑の模様があちこちを彩り、鏡で見る自分の姿は随分と威厳を醸している。

 いつものリネンシャツに比べると少し窮屈だった。


「オーヴス、何度だって言うけどいい加減自覚持ちなさい自覚。魔王よ魔王。貴方は正当なる魔王の直系なんだからね。言うなれば貴方は魔王なのよ」


「うーん……それは否定できないんだけど」


 だからどうしろというのか、というのがオーヴスの答えだ。


「……ここは、居心地がよすぎるのよ、オーヴス」


「え?」


 僅かに表情を陰らせたリリヴェルに、オーヴスは首をひねる。


「だから、貴方は世界を知らなくちゃいけない。知らないの? この村、フェルク教禁止令がついにゴート教会本部から出たの」


「えっ」


 それは初耳だった。ゴート教はいわば人間の宗教だ。そしてフェルク教は魔族の宗教。宗教は心の拠り所だ。それを禁止されるのは、流石にオーヴスとしてもつらい。


「で、見つかると異教徒としてしょっ引かれて処罰だそうよ」


「そこまでするのかい? 信仰ってものは、誰かに強制されるものじゃないだろう」


 純粋な疑問をぶつけると、リリヴェルは軽くため息を一つ。


「人間が統治する世の中になれば、そうなるのは必然だと思うけど?」


「そんな……横暴だ」


「本気でそう思う?」


 問いかけるリリヴェルの瞳は、真剣だ。

 一瞬、オーヴスは言葉を飲む。これは決意を聞かれているのだ。今着ている服も、リリヴェルが用意した意味がようやく分かる。

魔王の子孫が立ち上がれば、それは一つの着火点になるのだ。何も知らない自分がその責を背負えるかは、分からない。

だが、これは弾圧の始まりかもしれない。それだけは、疎いオーヴスでも分かる。

 それでも脳裏をよぎったのは。


「……乳ぎゅ」


 ぱーん! と見事な平手がオーヴスの左頬を直撃した。


「……っとに貴方って人は、芯まで酪農家ね。酪農魔王だわ」


「そうやって生きてきたからね。父も、祖父も」


「そうね。まぁ、最初からいきり立てとは言わないわ。とりあえず」


 にこりと、リリヴェルが笑う。悪戯を思い付いたときの顔だった。


「行きましょう、外へ。ね、魔王様?」


「その言い方だと、リリヴェルも来るのかい?」


「もちろんよ。貴方ひとりじゃ道も分からないでしょう?」


「……魔王とは名乗りたくないなぁ」


「名乗りたくなったらそうすればいいわよ。とにかく、貴方が立ち上がらなきゃ魔族の未来は奴隷化へ突き進むわよ」


「リリヴェル、よくそんな物騒な想像できるね」


 素直に感心するオーヴスに、リリヴェルは今度はどこか寂しそうな笑みを見せた。


「貴方が知らな過ぎるだけよ。いい加減気持ちは決まった?」


 一旦、目を閉じる。思い出すのは乳牛。そして、村に暮らす同じ魔族の彼ら。

 彼らの崇拝するフェルク教が禁止され、異教徒と罰せられることを想像してみる。

――そんな光景は、見たくない。

 瞳を開けば、リリヴェルが答えを待っていた。人間の少女が、魔王の答えを。


「……とりあえず、出てみようか、リリヴェル」


 こうして、オーヴスの魔王への道は一歩、進んだ。

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