第21話

 それからさらに数日が過ぎた。

 俺はUGOCと医務室を行ったり来たりする日々を送っていた。別に体調が悪かったわけではなく、よく休むように、無理をしないようにという佐々木准将の意に沿おうとしただけだ。


「ふっ……」


 本格的な休息をとり、立ち上がって背伸びをする。


「武田少佐、お目覚めですか?」


 カーテン越しに聞こえてくる、看護師の声。


「はい。何かありましたか?」


 思わず声が上ずった。


「おっと!」


 軍靴をつま先でつっかけるようにして、俺は転びかけた。慌てて丸椅子に手をつき、立ち上がる。カーテンを引き開けて顔を出すと、ちょうど看護師が俺のイヤホンを持ってくるところだった。


「おはようございます、武田少佐」

「おはよう……といっても今は?」


 看護師は腕時計を見て、


「朝の挨拶には早すぎますね、午前四時ちょうどです」


 そうか。六時間は眠っていられたわけだ。


「随分と休ませてもらったな……」

「何をおっしゃいますか、少佐。少佐あってこその今回の作戦です。眠る時くらい、ゆっくりしてください」

 

 看護師は穏やかな笑みを浮かべた。


 俺は佐々木准将に呼びつけられた日から、オペレーターたちの休息時間には気を配るようにしている。交代制で三組を設けているから、オペレーターたちの総勢は約八十名。雑魚寝で申し訳ないが、大会議場に布団と枕を揃えることはできた。


 俺が医務室を出ようとすると、


「少佐、お忘れです」


 看護師が俺を呼び留めた。彼の手には、イヤホンが握られている。


「ああ、どうも」


 そっと受け取り、耳に栓をするように取りつける。しかしそんな俺を見て、看護師は眉根にしわを寄せた。


「何かありましたか?」

「その……。少佐がお目覚めになる前から、時々鳴っていたんですけれど……」


 俺はイヤホンの履歴ボタンを押した。ピピッ、と軽い音がして、着信履歴が立体映像で展開する。そこに提示された名前を、俺は凝視してしまった。


『武田洋子』『武田洋子』『武田洋子』『武田洋子』『武田洋子』――。


 偶然だろうか、俺が起きる一時間ほど前から数分間隔で洋子が電話を寄越している。


「武田少佐?」

「ああ、いや、何でもない」


 俺はイヤホンを耳にはめ込んだ。急いで回線を軍事用に切り替える。

 

 これが洋子に対していかに冷酷なことか、分かっているつもりだ。

 それでも、俺は折り返し電話をする気にはなれなかった。


 恐ろしかったのだ。家族の温もりに触れてしまうのが。

 それだけ俺も、自覚のないままに追い詰められているということか。


 俺は自分の思考を切り替えるため、看護師に声をかけた。


「大会議室に泊まっているオペレーターたちは? 体調を崩している者はいませんか?」

「はい。ただ、カウンセラーの常駐は進言しているところです。食欲がなかったり、眠れなかったりする人たちが見受けられますので」

「了解。ありがとう」


 俺は必要以上にキッと音を立てて医務室を出た。しかし、


「……」


 俺は口を固く結んだまま、医務室前の廊下の窓に近づいた。微かに白いものが空から舞い降りてくる。そんな中、俺は自問自答した。


 俺は一体何をやっているんだ?

 何故こんな時、家族のそばにいてやらないんだ?

 何故? どうしてなんだ?

 はっと気づくと、俺の顎先から軍靴まで、ぽつりぽつりと雨が降ってくるところだった。

 あれ? 今日の天気は雪ではなかったのか?

 その『雨』の水滴の正体が自分の涙であることに気づいたのは、それから数分後のことだった。

 誰かに見られたかもしれない。だが、声をかけられたり、注目されている視線を感じたりしたことはなかった。それだけ、俺の頭の中は家族のことで一杯だったのだ。


 洋子。美海。

 こんな役立たずな亭主を、こんな不愛想な父親を、どうか許してくれ。

 

 俺は内心、呟いた。声に出してしまったら、この雨は止まなくなるだろうから。


         ※


 俺はUGOCに戻り、開口一番


「目標の現在位置は?」


 と声を立てた。雨を振り払うつもりだった。すると、


「捕捉は困難です。フェーズ1を無効化されてしまった今となっては……」


 オペレーターの言葉に、ようやく俺は我に返った。

そう。怪獣は既に、我々の築いた防衛線をいかに突破するか、知恵をつけ始めているのだ。

 俺が休息に入る直前、怪獣は青白い光を発し、東京湾に展開された機雷をほとんど排除してしまった。

 自らを中心とした同心円状のエネルギー波は、ゴルフ場での地雷除去と同じく、機雷をも破壊してしまった。それでいて東京湾から上陸するでもなく、海軍の最新鋭ソナーに引っかかるでもなく――となると、やはり一旦外海に逃れたものと考えた方がいいようだ。


「いかがお考えです、黒崎少佐?」


 俺は好き好んでというわけではないが、隣席の黒崎に声をかけた。


「現在、調査に来た海外の技術者たちの協力も得て、怪獣の生態を解析しているところです。あの火球や熱線のエネルギー源は何なのか、目下のところそれが一番の問題です」

「でしょうな」


 俺は腰を下ろしながら、黒崎の横顔に一瞥をくれた。

 しかしそこにあったのは、いつものポーカーフェイスではなかった。


 黒崎が、眉根にしわを寄せている。『困ったものだ』とでも愚痴をこぼせばいつも通りの黒崎だと俺は認識しただろう。だが、今の黒崎は違う。ポーカーフェイスにボロが出始めたか、実際問題として彼にとっての不都合が生じているか、そのどちらかだ。


 俺は意を決して、黒崎に身体を向けた。


「何かありましたか、黒崎少佐?」

「……」

「黒崎少佐?」

「あ、ああ、失礼」


 咄嗟にいつもの平べったい無表情を繕う黒崎。だが、額に浮いた汗の玉を拭う暇はなかったようだ。しかし、

 

「目標、マリアナ海溝に向かっています」


 という声に、俺の注意は逸れてしまった。


「オペレーター、深度を追尾できるか?」

「たった今ロストしました。ソナーの最深深度を越えたようです。少なくとも、深度は五〇〇〇以上です」


 何故潜ったんだ? 


「生物医学班、何か掴んでいるか?」

「は、はッ、少々お待ちを」

「急いでくれ」

「はッ!」


 俺は半ば、ここにいる生物医学班のオペレーターたちに同情した。彼らは今まで、研究室で黙々と顕微鏡や試験管とにらめっこをしながら過ごしてきたのだ。

 それがこんなきな臭い現場――本当の現場は戦場だが――に放り込まれて、その場違い感、自分たちがいることの違和感は決して小さくはないだろう。

 かと言って、得られた情報の分析結果は早急に回してもらう必要がある。

 彼らにも、自分たちが国防の一翼を担っているのだという意識は持ってもらわねばならない。


 俺がそんな物思いにふけっていた、その時だった。


「何だって!?」

「どうした?」


 突然UGOCに響いた叫びに、俺は声を張り上げて応じた。

 

「た、武田少佐、スクリーンをお借りしても……?」

「構わん! すぐに出せ!」

「りょ、了解!」


 そこに映されたのは、細胞だ。特に生物学に明るくない俺は、何が異常なのか分からない。するとオペレーターは、レーザーポインターで一つの細胞の周囲をぐるぐると描き始めた。

 確かあれは細胞壁と言われるもので、簡単に言えば細胞の区切りだ。


「拡大します……」


 おずおずと声を上げたオペレーターに続いて、画像がクローズアップされる。すると見えてきたのは、


「ん?」


 細胞壁の間に、赤い線が見える。どんどん拡大されるにつれ、赤い線も太く映されていく。すると、まるで血管のように、その線を液体が流れているのが見えた。きっとこの細胞壁のさらに隙間にある線は、線というより管なのだ。血管よりも細かい管が、細胞の隙間に血管と並ぶように張り巡らせている。


「あの細い管は何だ? 毛細血管とは違うんだろう?」

「は、はい、これは砕けた背びれの根元にあたる肉片なのですが、この細い管が何らかの物質を運搬しております。もしかすると、その運搬されている物質こそが、怪獣のエネルギー源なのかもしれません」


 俺は無精髭の生えた顎に手を遣った。

 ということは、この管を通る『何か』が怪獣の機動性の原動力であり、熱線の供給源である可能性もあるわけだ。


「目標がエネルギーの補給を目的としているものと仮定して、どこに向かっているか推測できるか?」

「ソナーの限界深度を超えて行った方向からすると、マリアナ海溝最深部に向かった可能性もありますね」


 こちらに、現在の怪獣を攻撃する手段はない。また振り出しに戻る、か。

 だが、新たな攻撃、例えば米軍の無人機を大量に投入すれば、怪獣の熱線を吐けない状態にまでは追い込めるのではないか。

 そういった助力を申し出るために、米国から特務隊がやって来たのだ。


「誰か、サラ・アンドリューズ中佐の執務室は知らないか?」

「サラ中佐でしたら――」


 俺は黒崎の指示の基、UGOCを出てサラ中佐の執務室に使われている小会議室に向かった。

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