第27話
俺は銃口を下げた。
「銃を下ろせ、中村。いや、中村中佐殿。拳銃をお収めください」
「お前が俺に命令するのか?」
俺はそんな言葉を無視して、
「自分は怪獣の存在が、この地域の、いえ、全世界に渡って混乱をもたらすものと考えます。奴の存在こそ、今も世界を脅かす本当の敵です。些細な国益に囚われている時ではありません」
「些細な、だと?」
中村は複雑に眉根を歪めた。
「それは聞き捨てならんな、武田。核兵器を持たない我々が、それに匹敵するだけの抑止力を持つ必要があるんだ。その必要性に応えて何が悪い? コントロールさえできればそれでいい。しかし、あの個体の捕獲や誘導は不可能だ」
中村は片手を後ろに振りかぶり、ダン、と壁を打った。
俺は、こんな挙動を取っていても、中村が冷静であることに気づいていた。一種のデモンストレーションだ。こうしてジリジリと『交渉』を進めるつもりだ。
「だからこそ、怪獣の研究をし、別個体を脳から新しく造り直すんだ。そいつをコントロール下に置けばいい。今暴れている怪獣は焼くなり煮るなり、勝手にしろ。ただし、出来る限りの時間稼ぎはさせてもらう。それが、俺がこの場にいる理由だ」
つまり、それだけの怪獣の肉片や細胞、血液を採取するだけの時間稼ぎをしたいというわけか。ということは、今まさに、この瞬間も、その回収作業は続いていることになる。
俺はちらり、と通信兵に目を遣った。今この瞬間にも、彼は小型通信機で情報を送っている。チーム・ブラボー、チャーリー、そしてUGOCへ。
直後、目まぐるしく状況が動いた。
俺の挙動に気づいた通信兵が、背負ったランドセル状の機器に手を伸ばす。
底のスイッチを押し込む。
それに気づいた中村が、もう一丁の拳銃を取り出し発砲。ただし、もう片方の手に握らせた拳銃は洋子のこめかみに当てられたままだ。
俺は慌てた。
今から銃口の狙いを中村につけ直す時間もない。
俺は脱兎のごとく飛び出し、中村に突進。拳銃を握っている右手に食らいついた。
響く銃声。洋子の悲鳴。俺は目の端で、弾丸が洋子の足元に穴を空けるのを確認し、そのまま中村の腕を柱に叩きつけ、拳銃を叩き落とす。
それとほぼ同時に、隣室へ繋がるドアが爆風とともに吹き飛ばされた。チーム・ブラボーだ。すると中村は、体勢を低くしていた俺の頭頂部に肘打ちを下した。
「がッ!」
「あなた!」
中村は見えないほどのスピードでブラボーの先遣隊員の頭部に照準し、容赦なく発砲した。先頭の一人が、立った姿勢のままで即死する。俺は、中村の拳銃が跳ね上がるのと同時に彼の腰に掴みかかった。
その直後、中村はそれを読んでいたかのように、膝を俺の腹部に叩き込んだ。
もしこれが白兵戦だったら、俺はバックステップで距離を取り、内臓や骨に異常がないか確認するところだろう。だが今、敵であるところの中村は、拳銃という必殺の飛び道具を有している。俺にできるのは、膝による連続殴打に耐えながらしがみつき続けることだけだった。
しかし、それにも限界が来た。バキッ、と鋭い音が響いたのだ。
俺は呆気にとられた。痛みはもう麻痺している。そんな中で音を立てた、俺の胸部。
肋骨が折られたのだと気づいた時には、俺の下顎に中村のつま先が激突し、俺の身体が宙を舞うところだった。
「許せ、武田」
歪む視界の中で、苦渋に満ちた中村の顔が見える。
鈍った聴覚の向こうで、拳銃の振り向けられる金属音がする。
ゆったりとなった五感の中、俺は死を覚悟する。
パン。
その音はあまりにも呆気なく、俺の耳を通過していった。
中村とて、俺を苦しませるような野暮なことはしまい。眉間を撃ち抜かれ、俺は死ぬ。
これが、死か。
俺は自分に迫ってくる弾丸が見えるような気がした。そっと眼球を揺らし、洋子と美海の方に意識を向ける。
こんな夫で、すまなかった。こんな父親で、申し訳ない。俺にはもう、お前たちを守ることはできない――。
俺はそっと目を閉じ、永遠の沈黙に身を任せようとした。
しかし。しかし、だ。
俺はある異常に気づいた。
俺の呼吸は、まだ続いているのだ。おまけに発砲音まで聞こえてくる。
恐る恐る、俺は目を上げた。そこには、腹部に数発の弾丸を受け、出血する中村の姿があった。だが、それより手前に横たわっていたのは――。
「佐々木……准将……?」
准将は、俺に背を向けるようにして倒れ込んでいる。カチャリ、という軽い音から察するに、拳銃を取り落としたようだ。じわり、と背中と床の隙間から、血の海が広がってくる。
そうか。准将は俺を庇うため、中村と俺の間に飛び込んできたのだ。中村と刺し違える覚悟で発砲したに違いない。
状況をようやく察したのか、誰からともなく怒号が飛び始めた。
「准将! 准将殿!」
「担架を持ってこい! 廊下に逃げた反乱分子を取り押さえろ!」
「こちらチーム・アルファ、負傷者二名! 重傷です!」
しかし、そんな喧騒はどうでもよかった。
俺は這って准将の肩に手を載せた。
「准将! 准将!」
危険なことだと分かってはいたが、俺は自分を止められなかった。准将を仰向けにし、掴んだ肩を揺さぶる。
「准将!」
准将は、気を失ってはいなかった。しかし、口元からは血の筋が流れ、かっと見開かれた目は、生ける者のそれとはとても思えなかった。ガタガタと全身を震わせながらも、何かをせねば。否、何かを伝えなければという気迫が、その瞳から放たれている。
「……すまなかったな」
「おい! 担架はまだか!」
准将の言葉を無視して喚き散らす。そんな俺の胸倉を、すっと伸ばされた腕がむんずと掴んだ。准将の齢を感じさせない、しかし嫌な汗の浮かんだ腕だ。
「准将、今担架が参ります!」
「そんなことはどうでもいい!!」
その声に、その場の全員がぎょっとした。
「私の務めは……まだ終わっておらん」
俺の襟を掴んだ腕で、何とか自らの上半身を引っ張り上げる。その力強さに、俺は両手両足を本気で踏ん張らねばならなかった。
ぐいっと顔を近づけられる俺。鉄臭い息が吹きかかるが、そんなことは気にならない。それよりも、顔の半分が流血で真っ赤に染まった准将の、危機迫る表情に釘付けになった。
「……長い話はできん」
そう言うと、軽く自らの胸ポケットを叩いた。詳細を書いた遺書でも入っている、ということなのだろう。だが、今は後回しだ。
俺がそれを察した直後、准将はむせ返った。吐血し、余計にその顔に降りかかる。俺の戦闘服にも、生々しい血が飛んできた。
「致命傷は避けてやったつもりだが……」
僅かに顔を傾け、未だに複数の銃口に晒されている中村を見遣る。中村の首筋に手を当てた衛生兵が、首を左右に振っていた。どこから持ち込まれたのか、ビニールシートが中村にかけられる。
中村は、助からなかったのか。俺は無傷だというのに。同じ志の元、戦ってきたはずだったのに。
だが、感傷に浸ることは、今すぐには許されなかった。
「武田ぁ!!」
どこにそんな余力があったのか、准将は叫んだ。
「は、はッ!」
思わずキッと准将の方へと振り返った俺に向かい、
「この国と、部下たちを頼む」
そう言って、准将は震える腕で敬礼した。ゆっくりと、その瞳に宿った闘志が失われていく。
俺はその輝きが准将の表情から消え去るまで、永遠にも思われる時間、ぴくりとも動かずに返礼しながら立ち続けた。衛生兵が、遠慮がちに准将の首元に手を当てる。
殉職なされた。担架だ。ここから運び出すんだ。
そんな言葉が耳に飛び込んでくる。しかし、俺は自分が化石化してしまったかのように、ずっと動かなかった。それに気づいた部下たちもまた、敬礼をしながら准将を乗せた担架に敬礼する。
俺が敬礼を解いたのは、後ろから左腕に、洋子の温もりを感じた時だった。
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