第28話
「信義さん……」
映画やドラマならいざ知らず、洋子は俺に抱きついてきたりはしなかった。俺も全身が硬直し、数十秒の間に起ったことを整理するのに必死で、家族の方まで意識が回らなかった。
俺より先に、衛生兵が洋子に声をかける。
「武田洋子さんですね? お怪我は?」
「あっ、えっと、ありません。この子も無事のようです」
まるで期が満ちるのを待っていたかのように、美海はぎゃあぎゃあと泣き出した。銃声の後に聞くには、あまりにも場違いで、鋭くて、無機質な声音だ。
いつもだったら天使のラッパのように聞こえる美海の泣き声。それがあまりにも場違いで、『無機質』などという感想を抱かせたのだろう。
「そうですか。しかし念のため、病院に搬送させていただきます。歩けますか?」
「はい」
俺のわきを通って、衛生兵に連れられた洋子が歩いていく。俺はせめて一瞥をくれようとしたが、今度は首を傾けることさえできなかった。
しばらく経って、人質となっていた政府高官たちが運ばれていく。副総理以外は誰も暴行を受けた様子はない。ゆっくりと腰を上げ、縄を解かれた高官たちが、兵士に肩を借りるようにして退室していく。
その時、退室に待ったをかけた人物がいた。
「武田少佐」
それが鶴ケ岡総理の声だと気づくのに、俺は固まったままだった。
「た、武田少佐、総理がお声を……」
「……ん? あ、そ、総理! お怪我を!?」
慌てて俺は振り向いた。そこには、決然とした挙動を取り戻した鶴ケ岡総理が立っている。
「わたくしは平気です。しかし――」
総理は床を見下ろした。そこには、残された血溜まりと無数の薬莢、それに銃痕が見て取れる。
「これは怪獣の件と関わりがあったのですね? 武田少佐」
「は、はッ!」
慌てて礼をしようとする俺を手で制しながら、総理は
「つまり、今回の責任はわたくしにある、ということですね?」
「はッ、自分の責任でして……え?」
てっきりここでバッサリ首を斬られると思っていた俺は、呆気にとられた。今回の事件が、総理の責任である、と?
「鶴ケ岡総理、どういうことです? 今回の事件は……」
そう言いかけて、俺は言葉を続けることができなくなった。
今回の事件は、中村が米軍の生物兵器製造計画を見越してのことだ。それを成功させるための時間稼ぎをすることに、中村は使命感を持って臨んでいた。
核兵器の軍縮が進んでいる、現在の国際的な流れ。そんな中、改められた日米安全保障条約の元で、やや日米関係はギクシャクしていた。問われていたのは、ずっと以前からと同じ『どこからどこまでが日本の武力行使可能範囲なのか』ということ。
鶴ケ岡総理は、その日本の武力行使可能範囲の策定・明確化に尽力してきた。
そんな彼女が、初めて経た『実戦』。その責任を、一身に引き受けようというのか。
「わたくしの責任において、わたくしはあなたに命令します。武田信義・陸軍少佐、どうか怪獣を止めてください。在日米軍と米国国務省に対しては、我々がシビリアン・コントロールの元、生物兵器の開発に繋げないよう、全力をもって交渉にあたります。あなたにはどうか、気兼ねなく怪獣対策にあたっていただきたいのです」
俺はたじろいだ。総理自ら、深々と俺に頭を下げたのだ。
すると、顔からぽつり、ぽつりと透明な液体が滴った。一国の総理大臣が、たった一人の将校を前に、こんな感情を露呈するとは。
「あなたのご家族を巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません……。でも信じてください。中村中佐は、本当は……」
理由は分からない。だが、総理のこの言葉が、俺の背中を押したのは確かだと思う。
一国の行政のトップが、俺にしっかりと命令を下した。
そして命を落とした中村のことにも言及してくれた。
総理の涙が滴っていく度に、何故か俺の心は安らいでいった。ロマンチックに過ぎる解釈かも知れないが、総理の優しさが、形を変えて俺の心に安らぎをもたらしてくれているようだ。
よく覚えていないのだが、俺ははっきりと言葉で意志を表明した。
鶴ケ岡総理から直々に命令を頂いたことは、軍人としてこの上ない名誉であること。
家族を気遣ってくださったことに対する感謝。
そして、今後も落ち着き払った態度で国民に事件のことを述べてほしいということ。
分を弁えない言葉の連続だった。しかし、総理は顔を上げ、徐々にいつもの周囲を落ち着かせるだけの悠然とした雰囲気をまとい始めた。
「分かりました。武田少佐、あなたの言葉を信じましょう」
「光栄です、総理大臣閣下」
ふっと、僅かに口元を緩め総理は俺にすっと手を差し出した。俺は右手のグローブを外し、総理の手を握り返した。
これなら、俺は後顧の憂いなく戦うことができる。
「ありがとうございます!」
そう告げてから、俺はUGOCに戻った。
※
「怪獣の現在位置、被害、上陸予想地点、何でもいいから挙げてくれ」
俺は開口一番そう言った。気づいたオペレーターたちが、ざっと立ち上がって敬礼をする……かと思っていたが、俺の耳に入ってきたのは、くぐもった銃声の嵐だった。
「どうした? 何があった!?」
俺が大声を張り上げると、はっとしたように近くのオペレーターが立ち上がった。敬礼も何もせずに、脂汗の浮かんだ顔をこちらに向ける。銃撃音は、部屋中に配置されたスピーカーから響いてくるものだった。
「報告しろ。これは何事だ?」
「は、はッ! 武田司令不在の折、警視庁が武装集団に襲撃されました!」
「な……!?」
俺は愕然とした。いや、ここ数週間、愕然としてばかりだったが、ここまで日本が攻め込まれているとは思わなかった。首相官邸襲撃は陽動だったのか?
「被害状況は!?」
「警備兵数名が死傷! 武装集団は、公安部の特殊通信室を占拠し、謎の通信電波を発して、こちらの通信に介入しています!」
通信に介入? 介入も何も、元々米軍の差し金となった中村たちのせいで、俺たちの通信網はズタズタだったはずだが。
数瞬の後、はっとした。俺たちが都内を首相官邸へと移動中、機動隊員たちと遭遇したのは偶然だったのか?
爆弾処理の重要性は、日に日に高まっている。立てこもった犯人を牽制する意味合いでも、警察犬の存在は不可欠だ。
そんな彼らを、俺たちと会わせてくれた。つまり、俺たちの作戦を通信で援護してくれた者がいたはずだ。
そんな時、俺の記憶からある人物の顔が思い出された。
『警視庁の公安にでも陸軍幕僚監部にでも、情報開示をお求めになられてはどうです?』
あのポーカーフェイス、何故こんなにも忘れていられたのだろう。
「黒崎だ……」
「武田司令、何と?」
俺はぐっとそのオペレーターに顔を近づけ、
「黒崎だ! 黒崎少佐を至急呼び出せ!!」
「繋がりません! 先ほどからお姿も……」
別なオペレーターからの報告。まさか……!
「武装集団突入時の警視庁の映像はあるか?」
「は、はッ、只今!」
スクリーンが左右半分に分かれ、片方が現在のライブ映像を、もう片方が武装集団の突入映像が映される。
俺はじっと目を凝らした。この場慣れした立ち回りは、確かに国防軍人のものだろう。だが一人だけ、自動小銃ではなく拳銃だけを手にした者がしんがりを務めている。
その物腰に、俺は明らかな違和感を覚えた。左足を引きずるような歩き方。一度現場で作戦に従事し、負傷によってデスクワークに移された者の特徴の一つだ。
横に視線を移せば、未だ銃撃戦の続く警視庁の建物内部の様子が映しだされている。
「こちらから通信はできないのか!?」
「無理です! これだけ電波状況が乱れていては、妨害電波の発生源を押さえている者たちにしか……!」
俺は平静を装いながらも、唇を噛み締めた。
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