第26話
と、その時、
「待て!」
フルフェイスの特殊ヘルメットを装着した漆黒の人影が、俺の前に立ちはだかった。この男には、フラッシュ・バンは通用しなかったのだろう。
「動くな。部下たちに銃を下ろさせて、人質を元の場所に戻させろ」
変声機でも使っているのか、くぐもった声は人間のそれとは思えない。だが、喋っているのは明確な日本語だ。
「くっ!」
慌てて俺は突進を止め、自動小銃を構えた。その隙に、人影は大型拳銃を取り出して洋子の頭部に向ける。
ほとんどの人質が救出され、武装集団が投降した今、俺と人影の間の緊張から、ジリジリと緊張感が伝播していく。
「繰り返す。人質を戻せ。さもなくば」
すると人影は無造作に拳銃の矛先をずらし、発砲した。
「ぎゃあっ!」
「副総理!」
俺は自動小銃を構えたまま、一瞬だけ悲鳴の聞こえた方を見た。
安藤副総理が、足を撃たれて倒れ込むところだった。慌てて味方の兵士たちが、両側から支え込む。しかし、その出血量は半端なものではなく、直ちに病院へ運び入れる必要があるほどだった。
「次は鶴ケ岡総理大臣を狙う。貴様の部下が止めに入るだろうが、そうすれば俺は貴様の部下を撃つ。眉間に一発だ」
確かに、それではヘルメットをしていても即死する可能性が低いとは言えない。一斉に突入・制圧を試みた自らの判断を、俺は呪った。そのうちに、拳銃は再び洋子に突きつけられる。
だが、そんな人影の言動に、俺はある違和感を覚えた。
国防軍人が政府要人を守るために命を捨てることは、当然のことだという認識が俺にはあった。同時に、部下に自らの命を失わせるわけにもいかないという義務感も。
だが後者の義務感は、ここ数週間、俺が怪獣騒ぎを経て、深く思うようになったことだ。
そう。僅かここ数週間のこと。つまり今目の前に立ちはだかっている人影は、この数週間の間に俺という人間をつぶさに観察してきた者だ、ということではないのか?
「部下たちに命令しろ。人質を戻せと。副総理は逃がしてやるが、次に逃げ出すような奴がいたら眉間を――」
「待って!」
その叫び声に、俺は、否、俺と人影は同時に驚いた。
その声は、人影の銃口の先、洋子が発した声だったのだ。
猿ぐつわの具合が緩かったのか、すぐそばには手拭い状の布が落ちている。
そして、洋子は叫んだ。
「あなた、聞いて! 中村さんなの! この人、中村さんなのよ!」
な――何だって?
「中村中佐、いえ、中村秀樹さん、お願いです、これ以上主人や主人に従っている人たちに怪我をさせないでください! こんな馬鹿なことは止めてください!」
部下たちの間にも動揺が走る。
すると、
「誤魔化すのも潮時か」
ゆっくりと、人影がヘルメットのファスナーを緩める。すっと取り外されたヘルメットの下にあったのは、
「中村……」
コトン、とヘルメットが床に落とされる。その内側にあったのは、額に脂汗を光らせ、口元を食いしばり、不退転の覚悟で眼光を光らせる友人の顔だった。しかし、これが顔と呼べるだろうか? そう思ってしまうほど、中村は切羽詰まった様子でこちらを見つめ返してくる。凄まじい形相だった。
俺はつい自動小銃の狙いを外しそうになりながらも、一度肩を上下させて狙いを改めた。中村の胸だ。その距離、僅か約四メートル。俺は引き金に指の腹を当て、照準を再び合わせた。これほど近ければ、即死させることも可能だ。しかし……。
「中村、どうしてこんなことを?」
俺は疑問をぶつけた。
何故俺をおびき出すような真似をしたのか。
怪獣騒ぎとどんな関係があるのか。
どうして何の要求も寄越さないのか。
その一つ一つに、中村は淡々と答えた。俺や部下たちの銃口に晒されながら。
「武田、お前をおびき出す方法はすぐに思いついたよ。お前は感情的に行動するからな。洋子さんと美海ちゃんには、心から申し訳なく思っているが……。二人を連れ出すのは簡単だった。敢えて俺の息のかかった警備兵を、お前の家の護衛につけていたからな」
「貴様ッ……!」
俺は額の血管がメリメリと盛り上がるような感覚に囚われたが、今は中村の話に傾注したかった。それも、連行した後ではなく、今、この場で。
「どうして俺をおびき出そうとしたんだ? 俺を殺すつもりではなかったんだろう?」
「ああ、そうだ」
落ち着き払って答える中村。
俺はいつかの、中村との食事を思い出した。慣れないアフリカの大地で、久々に口にしたカレーライスのなんと美味だったことか。美味いな、と言って肩を叩き合った俺と中村との記憶が脳裏をよぎる。
そんな気軽さが、中村の態度にはあった。銃口は相変わらず洋子に向けられたままだったが。
「お前が俺を誘い出したのには、怪獣騒ぎと関係があるのか?」
「無論だ」
即答する中村。
「組織運営において最も避けるべきことは、司令官不在による混乱や作戦の停滞だ」
佐々木准将と同じことを言うものだな。
「それを俺は、今回の司令官である武田を嵌めることによって達成したんだ。もう少し時間を引き延ばす必要があるが」
つまり、時間稼ぎということか。
そう思い至った時、ごく単純な疑問が脳裏をよぎった。
「中村、お前が時間稼ぎをする理由は何だ?」
「彼女に訊けばいい。その方が確実だ」
俺は、隣の兵士が俺と同じように中村の胸に狙いを定めるのを確かめてから、ぱっと振り返った。そこにいたのは、
「……サラ・アンドリューズ中佐」
ガンベルトに拳銃を戻したサラ中佐が、俯きがちにその場に立っていた。その姿は、幼い少女が悪戯を叱られているようなあどけなさすら感じさせた。こんな殺伐とした現場では。
「私は国防総省から派遣されて来ました。米軍の動向については、ここにいる全員に知る権利がある、と言っていいでしょうね」
唇を噛み締めるようにしてから、サラ中佐は語り始めた。
「ここしばらく、数度にわたって、国防陸軍の運用する人工衛星が不調をきたしたのは知っています。我々は、それは東アジア某国によるものと分析していました。しかし、それをチャンスとばかりに、今回は米軍が電波妨害を仕掛けたのです。他国の、日本に対するサイバー攻撃に紛れるようにしてね」
俺は黙って聞き入る。米軍も一枚岩ではなかろうとは思っていたが、まさかそんな姑息な手段を使ってくるとは。
「何故米軍はそんなことを?」
サラ中佐はかぶりを振った。それからそっと自分を抱きしめるようにして、
「……分かりません。ただ、こうして日本の軍隊を足止めしていれば、それだけ怪獣の細胞をサンプリングする機会に恵まれます。いや、そうすれば……」
「そうすれば?」
サラ中佐の次の言葉を促そうとした俺の言葉は、
「生物兵器を開発するつもり、なんでしょう?」
中村のいぶかしげな声が、俺の問いかけに被さった。
「こんな怪獣をコントロールできるようになれば、東アジアの平和を強制的に実現できる。もう隣国の新型ステルス戦闘機や、大陸間弾道ミサイルに怯える必要はなくなる。しかし――」
カチリ、と音を立てて、中村は拳銃のセーフティを外した。
「そのために、どうしても強力な軍備を東アジアの海域に常駐させておく必要がある」
お前なら分かるだろう? そんな目で、中村は俺を見遣ったような気がした。
だが、俺はそれをまともに受け入れることはできなかった。ただでさえ制御不能、現在位置不明の怪獣に国民が怯えているというのに、その怪獣を使った国土防衛に賛成する国民がどれほどいるだろうか?
そもそも、怪獣のコントロールなどできるとは思えない。
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