第6話
『いそかぜ』の左舷が爆炎に包まれた。アスロックが零距離で怪獣に直撃したのだ。
無論、こんな近距離で爆発に巻き込まれた『いそかぜ』とて無事ではあるまい。レーダーがやられてしまっているかもしれない。
だが、それを悠長に眺めていられる状況でない。『それ』が現実として、俺たちの目に飛び込んできた。
怪獣が立ち上がったのだ。立ち泳ぎの要領で上半身を現す。右肩の部分の鱗が剥がれ、ドクドクと出血している。恐らく、アスロックの直撃を受けた部位だろう。
しかし、機関砲とシー・スパローの殺到したはずの頭部は無傷といってもいい。瞼も健在だ。
そして、俺にとっては二度目となる轟音、雄叫びを、大音量で響かせる。
《近接火器、全弾発射! 機関砲、ミサイル何でもいい、怪獣に撃ち込め!》
俺は絶句したまま、映像を見つめるしかなかった。無理矢理に発射された無数の弾丸や砲弾が、怪獣の胸部をえぐる。上空からの映像でも、少しばかりの血飛沫が立っているのが見えた。だが、怪獣は退く素振りを見せない。
そして、怪獣はその強靭な腕を振りかぶった。艦橋が薙ぎ払われ、火を噴いていた火器類が暴発する。
《機関停止! 航行不能! 繰り返す、航行不能!》
「あ……」
《UGOC、指示を! 退艦指示を願います!》
退艦命令なら既に出したはずだ。『いそかぜ』のCIC――中央情報センターは、相当な混乱に陥っている。
怪獣は、短い声を上げながら艦体にのし上がった。そして艦橋と船尾を掴み、ぐわんぐわんと揺さぶり始めた。哨戒機からの拡大映像は、救命ボートに乗り移ろうとして船体から振り落とされる兵士たちを刻銘に捉えている。
《船尾より浸水! CICまでが……うっ! 総員退艦! 繰り返す、総員たいか――》
次の瞬間、怪獣は艦体に思いっきりかじりついた。
艦船とはいえ、駆逐艦の装甲は極めて薄い。CICを含む『いそかぜ』の戦闘指揮所は一気に噛み千切られ、凄まじい勢いで口から放り捨てられた。
その様は、怪獣より長い『いそかぜ』が一方的に獲物にされているように見えた。
今や怪獣は、負傷したまま川を渡ろうとする獲物に喰らいつくピラニアだ。決して標的を逃がさず、その骨までをも食いちぎる。
「……」
沈黙したUGOCのメインスクリーンの中で、残った火器弾薬や機関部が次々と爆発を起こす。怪獣は即座に身を翻し、海面に頭から滑り込み、その水柱が爆風を相殺する。
止めとばかりに、怪獣の尾が長く振り上げられた。『いそかぜ』の残った艦体を激しく打ちつけられる。
『いそかぜ』の、辛うじて浮いていた残骸は見事に真っ二つにされ、
「……敵味方識別バッジシステムから、『いそかぜ』、ロストしました」
俺は思いっきりUGOCの床面に軍靴の底を叩きつけ、両腕を腰に当ててため息――否、冷たい吐息を漏らすしかなかった。
※
防衛省・ブリーフィングルーム。
前方にスクリーンが配置され、真っ白なデスクとイスが並べられた、殺風景な部屋だ。
怪獣に対する作戦司令室はUGOCになっているので、今ここにいるのは男性将校が二人だけ。
「で、誰が知らせるんだ、武田?」
「……」
「これだけの人数の海軍兵が殉死したんだ。何も、お前一人に責任を担がせようってわけじゃない」
「……」
「なあ、ちょっとは答えて――」
「ああ、そうだな! お前に答えるだけで『いそかぜ』の乗員たちが助かるなら、俺はとっくにそうしてるよ!!」
俺はガタン、と椅子を蹴倒しながら立ち上がった。見下ろすのは、隣に座っている中村だ。
旧知の仲とは言え、上官にこんな悪態をついてしまうとは。自らの失態にようやく気づいた俺は、
「は、はッ、失礼しました、中村中佐……」
「まあ、かしこまってもらう必要もないがな」
中村は俺に視線を寄越すことなく、座ったままだ。膝の間で、プルタブを開ける前の缶コーヒーを弄んでいる。
「俺……じゃない、私は現場のことを何も知らなかったようです」
「ほう?」
椅子に座り直した俺に向かい、中村は片眉を上げて、さも意外そうな顔をして見せた。
「PKOであれだけ功績を上げた軍人の言葉とは思えないな」
俺はふっと息をつき、それもそうだな、と砕けた調子で応じた。
「でも、人を指揮するに値する人間なのかどうか、俺は自信が持てない。『いそかぜ』の乗員、百六十二名を犠牲にして……」
「だがそのお陰で、怪獣は転進して一旦は東京湾から出た。それに、今はもう午後五時。作戦フェーズ1の、対怪獣迎撃作戦は準備が完了している。次こそ仕留められるさ」
バン、と中村は俺の肩を叩いた。
「それと、先ほどの緊急閣議で、俺と黒崎少佐がアドバイザーとしてUGOCに詰めることになった」
「何?」
今度は俺が驚いた。きっと、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたことだろう。
「最高司令は武田、お前に変わりない。だが、お前が感情的になりすぎないようにするために俺が、情報管轄官として黒崎少佐が、それぞれ配されることになった。異議があれば上申するが……大丈夫か?」
「あ、ああ。問題ない」
そうか、と言って中村は立ち上がり、先ほどよりは軽く俺の肩を叩いた。缶コーヒーはテーブルに置かれたまま。飲んで頭を冷やせ、ということか。
ちょうどその時、耳に差し込んだままになっていたイヤホンに連絡が入った。
「こちら武田」
《武田少佐、奥様からお電話です。お繋ぎしますか?》
「ああ、頼む」
俺は咳払いをして、声の調子を整えた。僅か一瞬の間だったが、何を言われるのかと思うと、緊張せざるを得なかった。
プツッ、と軽い音を立てて、通話先が切り替わる。
「俺だ」
しかし、相手からの声は聞こえない。俺は拍子抜けした。洋子、何故黙っている?
だが、洋子は沈黙しているのではなかった。声こそ上げていなかったものの、荒い呼吸が聞こえてくる。
「洋子?」
「……」
しかし、反応はない。いや、反応がないように、俺が勝手に思っただけだ。
「洋子、用件がないなら切って――」
「馬鹿!!」
突然の怒声に、俺は思わず耳を塞ぎたくなった。が、イヤホンは耳の中に入っている。耳を塞いでも何の意味もない。
俺はなんとか洋子を落ち着かせようと、
「ど、どうした? 何があった?」
と尋ねてみたが、
「さっきからずっとニュースでやってるわ、海軍の船が怪獣に遭遇したって! 撃沈されたって!」
「おいおい、落ち着いてくれ。俺はずっと作戦を執る施設にいたんだ。怪我なんてしてないし――」
「そんなことは分かってるわよ、あなたが海軍の人間じゃないことくらい!」
「なら、どうしてそんなに怒ってるんだ?」
と言った途端、俺には察しがついた。洋子は怒っているのではない。
心配しているのだ。
きっとその地獄耳にニュースが入ってしまい、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
「すまない、余計な心配をかけた」
「あなたが謝る筋合いじゃないでしょう? あなたは陸軍の人間なんだから」
何だ、分かっているじゃないか。いや、『俺が指揮系統の中心に立つ事案が発生するかもしれない』ということを、洋子はちゃんと理解している。それなのに、どうしてそんな事実を何度も言うのだろうか? しかし、そのことに言及するほど、俺も野暮ではない。
「落ち着いてくれたか?」
洋子は沈黙。
「返事をしてくれ。こっちまで不安になる」
またしばし沈黙が続いた後、
「お仕事の邪魔してごめんなさい。私、どうかしてたみたい……」
「いや、いいんだ」
俺は洋子にかけるべき言葉を見つけられなかった。かと言って、下手な慰めは逆効果だろう。
「じゃあ、俺は任務に戻る」
すると、微かに鼻をすする音がして、分かった、と一言。
「美海を頼むぞ」
「ええ。それじゃあ、お気をつけて」
「お互いな」
砕けた言い方をしたのが功を奏したのか、洋子は微かに息を漏らした。ふっと笑いかけたのだろう。
改めて別れの挨拶を交わし、俺はブリーフィングルームを出た。
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