第3話
東京都新宿区、市ヶ谷・防衛省。
車を駐車場に入れ、指定された会議室へ向かう。途中、迷彩服の隊員の敬礼を受ける。自動小銃を所持しており、テロ対策の一翼を担っている彼ら。
彼らはかつて、弾丸を込められていない状態の自動小銃を握って立たされていたのだ。それでは案山子同然ではないか。全く、馬鹿げたことを。
まあそれも、かつて国防軍が『自衛隊』と呼ばれていた頃の話だ。今は不審者に即座に対応できるよう、弾丸の入った火器で武装している。
俺が将校の立場となった時、確かにまだ論争はあった。この組織を『自衛隊』と呼ぶか、『国防軍』と改めるか。結局は、東アジアの緊張状態を反映し、また、士気を上げるために改名されることとなった。
俺の階級も、『三佐』から『少佐』に変わった。呼び方一つで、一体何をやっていたのやら。
いざ車を降りて歩いてみると、空気が冬の香りをまとっているのに気づかされる。頬を切るような冷たい風が、俺にぶつかってくる。
雲の向こうから差し込む貧弱な日差し。確か今日は曇りだったか。全く、こういうあやふやな天気は俺を苛立たせる。昨日は快晴だったのに。
俺はいつもと違い、そんな些末なことが気になっていた。そもそも今朝から落ち着かないでいることは自覚していたのだ。
ついに怪獣と向き合う時が来たのだと思うと、全身の血が熱を帯びたように感じられた。
今に見ていろ、怪獣め。必ずや俺たちがボコボコにしてやるからな。
迅速に行動するには、昨日の夜にでも作戦会議がもたれるべきだった。しかし、防衛大臣が国防空軍の訓練の視察に赴いていたため、開催できなかったのだ。結果、今日の午前中にまでずれ込んだ。
この重要な時にと思いはしたものの、大臣の責任ではない。視察中に怪獣の出現を知らされてから、すぐに東京に取って返してきたというのだから。ただ、流石に北九州の離島防衛作戦から東京に取って帰るには、丸一晩かかったらしい。
そのせいもあってか、まずは首相官邸で報告会は取り止めになった。報告会兼作戦会議ということで、防衛省で一括して行う運びとなったのだ。
廊下を歩き、敬礼をしたりされたりしながら指定された会議室へ。腕時計を見ると、現在時刻は午前九時五十分。ちょうど間に合った。
ふっと息をつき、制帽を脱いでわきに挟む。ノックをし、
「武田信義少佐、入ります」
と、朗々と告げた。
きっと今は、皆、あまりの異常事態にざわついてることだろう。
――などと思いながら、会議室のドアを押し開けた。しかし、俺の期待は見事に裏切られることとなった。
「失礼しま……す?」
大会議室。防弾壁に囲まれ、防弾ガラスのはめ込まれた長方形の部屋は、しかし、誰も口を利かないでいた。聞こえてくるのは、一般人の撮影者の映像――スマートフォンでも使ったのだろう――が発する、パニック混じりのざわつき。
《おいおいおい、あれってマジ?》
《何? 恐竜?》
《馬鹿、今の時代にいるわけねえだろ!》
《だったらなんて言うのよ? 怪獣?》
映像は、会議室のスクリーンに映されていた。なるほど、この撮影者の会話の映像から、『怪獣』という呼称が広まったのか。
撮影場所は、怪獣が上陸したメガフロート――巨大な人工島から少し内陸に入ったところだろう。怪獣の横姿、それも全身がバッチリ映像に収められている。
昨日俺が見たのは後ろ姿だけだったが、映像からはやや前傾姿勢でゆっくりと歩を進めている奴の姿が見える。その度に、ドォン、ドォンと足音が響き渡る。
これが、奴の全身の姿か。
俺がごくり、と唾を飲んだその時、
「入りたまえ、武田少佐」
「は、はッ!」
俺は思わず背筋を正した。
今の、低く唸るような声は、佐々木佑蔵・陸軍准将だ。元・防衛大学校の学長で、入学式で式辞を述べた俺の面倒をよく見てくれた。今でも繋がりは続いている。
豊かな白髪に、歳不相応な威厳と存在感を放つ、叩き上げの軍人だ。
次の瞬間、一斉に室内の高官たちの視線が俺に突き刺さった。
『突き刺さった』というのも大層な言い方だが、実際そうだったのだから仕方がない。
ただ、その視線の主の思うところは様々だった。
一体現場で何が起こったのか。
怪獣の第一印象は。
考えられる対処法は何か。
……などなど。俺は何を言えばいいのか、言葉に詰まってしまったが、
「まずは腰かけたまえ、少佐。そこの席が空いている」
佐々木准将は、コの字型に配されたテーブルのうち、自分と反対側の席を顎でしゃくった。
「はッ、失礼します」
とりあえず、自分の居場所が確定したことに安堵しながら、俺はゆっくりと指定された席に腰を下ろした。
「珍しく遅かったな」
顔も向けずに声をかけてきたのは、中村秀樹・陸軍中佐だ。防衛大学校の同期だが、俺よりも昇進が早かった。米軍での研修を受けて、主に情報・電子戦のノウハウを学んできたからだ。パッと見、背は低めだが肩幅が広く、しかし高圧的でないところに、俺は好感を抱いていた。
とはいえ、注意されてしまったとあっては謝罪すべきだろう。
「はッ、失礼しました」
「そう固くなるな。あの現場で民間人の救助にあたって生き残ったんだ。皆、お前を当てにしてるぞ」
「そう言うなよ、上官だからって……」
つい学生時代のタメ口が出てしまう。
すると中村は、こちらに顔を向けて白い歯を見せた。
「そこがお前の弱点だな。目立ちたくもないのに目立ってしまう。そういう妙な境遇のところがあるな」
「俺は運命なんて信じないよ」
「その意気だ」
そう言って、中村は軽く俺の肩を叩いた。
報告会開始まで、あと七分。普段ならその会議内容についての歓談がピークを迎えるところだ。しかし、やはり誰も喋らない。出席者たちは、俺に注目するのを止め、スクリーンに目を戻してしまった。
まあ、無理もないか。こんな巨大生物の侵攻など、誰も、夢にも思わなかったのだろうから。
すると、再び会議室の扉が開いた。入ってきたのは、迷彩服姿の若い下士官だ。
「斎藤忠明・防衛大臣、鶴ケ岡真理子・総理大臣、お入りになります!」
二人の誘導を務めてきたのだろう、下士官はそう告げて、二人のためにさっと道を開けた。
なるほど、総理がいらしていたのか。俺たちは立ち上がり、ざっと敬礼した。
鶴ケ岡総理は日本で三番目の女性総理大臣だ。防衛大臣、国土交通大臣を歴任し、その割には五十二歳と若い。髪は活き活きとした黒さを保っており、その目には何らかの決意のこもった光が見える。支持率も六割台と好調だ。
しかし、今日はいつもの品の良い彩りはなく、くすんだダークグレーのスーツを着用している。総理が本気で今回の事態に臨もうとしていることが察せられる、そんな重厚な雰囲気をまとっていた。
そのキビキビとした挙動に、安堵感がゆっくりと広がっている。
それはそうだ。事態がどうあれ、すぐに狼狽してしまうような人間には誰もついて行きたくはない。
総理はそのまま長テーブルに沿って歩を進め、一番奥の席で両手をテーブルについた。
「ご苦労様です、皆さん」
端的ながら凛とした声音。
総理がさっと席に着くと、皆も一斉に腰を下ろした。
「映像は確認しました。現場にいたのですね? 武田信義少佐」
「は、はッ」
俺は起立した。
いきなりの指名に、正直ドキリとした。これで軍人だというのだから、我ながらどうにかしなければと思っている。
説明を求める皆の視線を受けながら、俺は
「しかし、この映像に勝るほどの詳細を掴んだわけではありません」
「おい武田、総理の前で――」
隣に陣取っていた中村が小突いてきたが、無視した。
「しかし、この映像の真偽がどうあれ、これは巨大な『生物』であることは疑いようがありません」
「結構です」
総理は頷き、俺に座るよう指示をした。
その時、
「怪獣の襲来――。全くもって、思いも寄らない事態に陥りましたな」
「おい、誰も発言を許可しておらんぞ! 何を言っているんだ、黒崎恭也・陸軍少佐!」
ドン、とデスクを叩く音が響き渡る。
「まあ落ち着いてください、安藤春樹・副総理。私は総理に直に申し上げるべき情報をまとめて的確にお伝えする、メッセンジャーに過ぎません」
「貴様、何か隠しているのか!?」
副総理とはいえ、総理の前で何をやっているのやら。
俺は頭を抱えたくなったが、聞き流すことにした。否、聞き流すことしか許されない。
「もし詳細をご確認なさりたいのでしたら、警視庁の公安にでも陸軍幕僚監部にでも、情報開示をお求めになられてはどうです?」
副総理は、黒崎に簡単に言い返される。面目ないと思ったのか、四角い顔をしてふん、と鼻を鳴らした。腰を下ろしてぐいっと腕を胸の前で組む。
対する黒崎は、副総理の憤りなどどこ吹く風で涼しい顔を保っている。
今まで個人的な面識はない。だが、中性的で能面のような、他者に考えを読ませないポーカーフェイスは、どこか気にくわない。苦手なタイプだ。
すると黒崎は立ち上がり、ゆっくりと会議室を見渡しながら、
「私を国防陸軍の軍人として認識されている方が多いようですが、私はそれ以前に、多くのパイプを有しております。無論、総理のご意志に反することは致しません。しかし、積み込んだ情報の全てをお話するわけにはいきません。もし総理が存じ上げてしまったら、国民に嘘をつく必要が生じる恐れがありますから」
汚れ仕事は慣れていますよ、と言い、黒崎はゆっくりと腰を下ろした。
「分かりました。全責任は私が取ります。しかし、軽率な言動は慎んでください、黒崎少佐」
テーブルの上で手を組んだ総理に一礼し、黒崎は
「了解しました」
とだけ告げた。
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