第23話

 俺が落ち着きなく歩き回るのを気にすることもなく、サラ中佐は自分のパソコンに向かっていた。俺は部屋の壁に向かって、ぶつかりそうになる度に鼻息荒く振り返り、また反対側の壁に向かって同じことを繰り返す。

 サラ中佐の迷惑にならずに済んだのは、彼女の集中力によるところが大きい。しかし、サラ中佐の力をもってしても、


「駄目ですね。軍事、民間、実験用ステーションを含む全ての人工衛星がハッキングを受けています」


 飽くまで淡々と答えるサラ中佐。


「どうにかなりませんか? ECCMか何かを起動させて――」


 ECCMとは、相手の仕掛けた電波妨害を破るための電子設備だ。米軍の有するものならば、さぞかし高い性能を誇るだろう。しかし、サラ中佐は僅かな苛立ちを含めた様子で首を横に振った。


「これほどの広域をカバーできるECCMは、実用段階に入っていないんですよ、武田少佐。米軍が世界の警察だと思っているほど、頭の古い人間ではないのでしょう?」


 俺は唇を噛んだ。確かに、サラ中佐の言う通りなのだ。

 米軍は世界を守ってくれない。

 だからこそ、日本に再軍備のチャンスが訪れたと言ってもいい。それが国民にとって幸であれ不幸であれ。

 東アジア諸国からは今だに非難の声が絶えないが、日本側は『再軍備でもしなければ、お前たちが戦争を吹っかけてくるだろう』という具合で、水掛け論を繰り返している。


 それはともかく。


「米軍の東アジア有事対策用衛星は、現在霞が関を中心に起動していません。なんとか他国にバレないよう、AIが偽装コードを流していますが……」

「時間の問題、ですか。サラ中佐」


 こくこくと、サラ中佐は頷いてみせた。

 こうなったら、


「我々が首相官邸に突入し、人質を救出します」


 サラ中佐は一瞬、驚いたかのように顔を上げたが、他に対策手段が思い浮かばなかったのだろう。


「了解しました」


 すると彼女もまた立ち上がり、唐突に制服を脱ぎ始めた。

 ブラウスのボタンに手を掛けるに至って、


「ちょ、ちょっと、サラ中佐!?」

「私も同伴します」

「それは危険……じゃなくて!」

「はい?」


 わざとやっているのか何なのか、俺は問い質したくなったが、


「ひ、ひとまず自分は退室させていただきます! 失礼致しました!」


 俺は敬礼もそこそこに、慌てて背を向け飛び出した。


         ※


 サラ中佐が廊下で歩を進める度に、他の隊員たちが何事かと目を瞠る。

 それはそうだ。飽くまでアドバイザーとして来日していたはずのサラ中佐とその護衛要員たちが、戦闘服と自動小銃で武装して闊歩しているのだから。


 俺はサラ中佐御一行とともに廊下を歩きながら、警備兵たちに声をかけまくった。首相官邸に立てこもったテロリスト制圧作戦に加わってもらえるように。

 既に全員が、首相官邸での事件について耳にしていた。俺が声をかける前から、同伴許可を求める者も少なくなかった。


 しかし、大きな問題もまた立ちはだかっていた。防衛省を一歩出れば、強力な電波妨害に遭ってしまうということだ。これではヘリでの移動は困難だし、交通渋滞も発生している。何より、怪獣騒ぎから続いた事象として、武装した我々を見て混乱する都民がたくさんいるだろう。テロ騒ぎだと勘違いされたら、連鎖的に、そして雪だるま式にパニックは大きくなってしまう。

 しかし、俺が一番気にしていたのはまた別の事案だった。

 犯人たちからの要求や、恐喝まがいの要請が全く語られていないのだ。


 敵は何を考えている? 何を目的にしているんだ?


 突入部隊の編成にと、俺が集合をかけた大型ブリーフィングルーム。俺がチームリーダーの任命を行っていた、その時だった。


「武田少佐、首相官邸より指向性電波の発信を確認! 武田少佐にコールしています!」

「俺に?」


 中村にでもなく黒崎にでもなく、俺にか。やはり、この首相官邸占拠事件は、怪獣騒ぎの一環として捉えるべきであるようだ。


 俺は通信兵の背負っていた箱型の無線機から、有線の携帯端末を引き出し、耳に当てた。


「武田信義・国防陸軍少佐だ」


 ゆっくりと名乗る。しかし、


《……》


 向こうは黙ったきりだ。


「名乗れ。三時間後には突入するぞ。そうなった場合、諸君らは全員射殺だ。構わんか?」


 俺は、本当は一時間以内に首相官邸全体を制圧するつもりだった。それに十分な人員と武器も揃っている。

 しかし、次に向こうから聞こえてきたのは、こんな時にどうしても聞きたくない人間の悲鳴だった。


《お願い! 子供は、美海だけは助けて!》


 それに続く、赤ん坊の泣き声。


 するり、と俺の手から端末が落ちた。


「少佐殿?」


 何事かと振り返った通信兵と目が合った。が、俺には彼の顔形がおぼろげにしか把握できない。今の声、間違いなく――。


「洋子!! 美海!!」


 俺は叫ぶしかなかった。端末を拾い上げ、


「家族は関係ない、放せ、放してやってくれ!!」

 

 それに引き換え、無線の向こうの相手は相変わらず黙ったきりだ。

 その沈黙は、しかし、相手がこちらを嘲笑うものでもなく、どこかその時間が経過していくのに痛みを覚えているかのような気配があった。

 反対に、俺は喚き続ける。


「洋子、怪我はないか? 美海の様子は? 頼む、妻の、洋子の声を聞かせてくれ!!」


《……》


 短い悲鳴が上がる。洋子は猿ぐつわでも噛まされたらしい。そのまま、通信は切れた。


「た、武田少佐……」


 心配げに部下が声をかけてきたが、俺はそれどころではなかった。


「くそっ! 何で、どうして洋子たちがこんな目に!? 俺が軍人だからか!?」


 俺は自分の足が向かうがままに、ブリーフィングルームを闊歩した。


「畜生、ふざけやがって!! 俺がこんな立場になかったらこんなことには……」


 もしその時、俺が冷静にあたりを見回していたら、周囲の緊張感の高まりに気づいただろう。振り返るなり敬礼するなり、『その方』を相手に相応しい態度を取れたことだろう。

 しかし、


「触るな! 俺が司令官だぞ、肩から手を離して――」


 と言いかけた瞬間、


「!?」


 視界がぐるん、と回転した。足を引っかけられたと思う間もなく、俺の背中全体に鈍痛が走る。直後、


「この、大馬鹿者が!!」


 逆さになった俺の視線の先には、


「……佐々木准将……」


 俺は、すぐには立ち上がることが叶わず、ただただ目を丸くした。


「立て! 武田信義少佐!」

「は、はッ!」


 条件反射的に敬礼しつつ、立ち上がろうと足元をよろめかせる。しかし、パン、とよく響く音と共に頬を思いっきり張られた。


「うっ!」


 背中を打ちつけた衝撃から抜け出せない俺は、またも倒れ込んだ。

 流石にまずいと思ったのか、部下の二、三人が


「准将殿、何をなさっているんです!?」

「案ずるな、大怪我はさせておらん」

「し、しかし……」

「黙っておれ!!」


 何も言えず、素直に沈黙した。


「私が、何故お前を今回の作戦司令官に任命したか、分かるか?」


 俺は片頬に掌を当てながら、


「そ、それは……自分が最も怪獣を間近で目撃したからかと」

「それだけか? 貴様の思うところは」

「……」


 俺は黙り込んだ。辛うじて准将から目を逸らさずにはいたものの、ここからすぐに逃げ出したいというのが本音だった。

 だが、何も言葉を継げないでいるうちに、准将の瞳には穏やかな光が差し始めた。


「それはな、武田」


 ゆっくりと俺の肩に手が載せられる。


「貴様が非情な戦術に不得手だからだ」

「……は?」


 そんな馬鹿な。戦術に不得手な人間を司令官に任命した、だと? 古今東西、聞いたことがない。言い換えれば、あまりにも珍妙で理解しがたい人選だ。

 しかし、俺は単なる戦術に不得手なのではなく、『非情な』戦術に不得手だと、准将はそう言ったのだ。


「貴様の戦い方には、弱みがある。だが、それは誰より、味方を生かすことに繋がる」


 俺の肩を掴んだ准将の手に、ぎゅっと力が込められる。


「コストはかかるだろうし、時間も浪費するだろう。だが、貴様の目を見ていれば、現場の民間人や戦闘員の犠牲を最小限にしようという、柔軟性があるのが分かる」


 だからこそ、中村中佐や黒崎少佐にこの作戦は任せなかったのだ、と准将は告げた。

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