第24話
すると准将は、俺が立ち上がるのも待たずに胸板を張って
「いいか! これが貴様たちのつき従ってきた司令官だ! 武田少佐に従い、首相官邸奪還の命令を、私が下す! 今の無様な姿を見て、それでも武田を上官と認める者だけ、ここに残れ! 付き合いきれない者は直ちに去れ! 猶予は十秒だ!」
俺は部下たちの方に顔を向けながら、ゆっくりと腰を上げた。瞼を閉じていられればよかったのだが、俺には何故かそれができなかった。
ただ一つ分かるのは、怖かったということだ。
戦うことが、ではなく、指揮を執ることが。
その『怖さ』は、洋子の優しさに触れてしまうこととは似ていながらも意味は異なる。
俺の眼前に突きつけられたのは、優しさではなく責任感だ。
これ以上、味方に犠牲者は出すまい。
しかし、こんな無様な司令官についてくる人間がいるだろうか……?
どろどろと音を立てるかのように、十秒という時間が流れていく。その得体のしれない粘着質な何かが、俺の腹部を焼いていく。
そうだ。これこそが、現場指揮を執る人間に架せられる命の重さ、十字架なのだ。
俺はどこか落ち着いた心持ちで視線を上げた。部下たちは皆、俺を見下ろすことはない。准将に目を合わせている。
そして俺がしっかり立ち上がると、ざっと音を立てて視線をこちらに向けた。その顔つきには、一人一人をとってみても、複雑な感情が入り乱れているのがすぐに分かった。
やはり、俺がこんなザマであったがために、士気は揺れ動いているようだ。
軍人でありながら、自分の家族の心配で正気を失ってしまった。こんな男についてくる武人など、いるのだろうか。
すると、部屋の後方から音がした。引き開けられたドアから、退室していくコンバットブーツの音がする。
やはりか。こんなことだろうと思っていた。ここで全員が残るなどと、一体何年前の熱血ドラマであろうか。そんなこと、起こりはしない。誰しも命は惜しいのだ。軍隊にはあらざることかもしれないが、作戦への選択権を個々人に与えたのが准将ともあれば、抵抗感は薄いだろう。
俺にとって、人生至上最も長い十秒間が過ぎていく。あたかも部下たちをさらっていくかのように。
誰もまともに数えてはいなかったであろう、十秒間。俺の膝はガタガタ震えた。ドアが開閉するギッ、という軽い音が耳に入る度に、俺は銃弾が胸を貫通していくような鋭い痛みを覚えた。准将は俺の隣に立ちながら、何も語ろうとはしない。ただ、去っていく者たちを見つめている。
俺が、一人で向かうしかないのか。そんな絶望的な考えが脳裏をよぎった、その時だった。
「一体何を逃げ出そうとしているのですか、臆病者!!」
俺はその言葉に、はっと顔を上げた。今の言葉、英語だった。そしてこの甲高い響き。間違いなく、
「私はサラ・アンドリューズ特務中佐です! 皆、すぐにブリーフィングルームに戻りなさい!!」
俺は、開いた口が塞がらなかった。そんな俺の驚きなどどこ吹く風で、事態は進展する。
どこか項垂れた様子で部下たちが室内に追い帰されてくる。数名の兵士が部屋に戻って来てから、サラ中佐とボディーガード二人の三人が入室し、バタンとドアを閉めた。
しかし、これは越権行為だ。俺はそう思った。何故なら、退室せよという准将の命令に従った者たちを、サラ中佐は無理矢理押し戻してしまったのだから。
当然ながら、中佐よりも准将の方が階級は上だ。これを越権と言わずに何というのだろう? 下手をすれば、サラ中佐は強制的に本国送還ということにもなりかねない。
だが、准将はサラ中佐からの敬礼に返礼しただけで、何も言い出そうとはしなかった。
それを見届けたサラ中佐は、器用に兵士たちの間を通り抜けながら俺のそばに立った。
そして、思いっきり息を吸い込み、
「この腰抜けたち!!」
訛った、しかし明確な日本語で彼女は叫んだ。そこから先は英語になる。
「あなたたちにだって、守りたい人がいるでしょう? 助けたい人がいるでしょう? 武田少佐は、ずっとずっとそのことを思って指揮を執ってきたのよ? それなのに、どうして彼ばかりが責められなければならないの? 答えられないなら、命令に従いなさい!!」
俺ははっとして、顔を上げた。
「サラ中佐! そんなことはもう……」
「あなたもあなたよ!」
ぐっと息が詰まり、俺は一歩後ずさった。
「ここに来たメンバーは、あなたを信頼してやって来たのよ? それなのに、自分の奥さんと娘が人質になっているからって、喚き散らしたっていうじゃない! 皆、助けたい人がいるのはお互い様なのよ? 士気は低くなかったはず! それをぶち壊すようなことをして、指揮官のつもりなの!?」
「なっ!」
俺は言い返そうとした。今のサラ中佐の言葉は、明らかに自国の考え方を俺たちに押しつけようとしている。
だが俺には、サラ中佐の瞳の奥で、敵意がすっと薄れるのが見て取れた。
同時に思い出す。この作戦の最高司令官は俺なのだと。俺に大きな決定権があるのだと。
ならば――。
俺はわざと、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。大げさな身振りで、皆の注目を集めるように。そして、
「頼む。諸君らの命、自分に貸してほしい」
腰を四十五度に折り、頭を下げた。
どのくらいの時間が経っただろうか。また、扉の向こうへと消えていく足音がした。
やはり、駄目だった。俺のような軟弱者に、指揮は執れない――。
と思った直後、
「何人か来てくれ。銃火器の最終チェックをしよう」
「じゃあ自分が」
「自分も行きます」
……え? 俺に見切りをつけて去っていくつもりではなかったのか? そんな彼らが、率先して作戦の準備に銃を取ろうとしている。
そんな、馬鹿な。一度は見離した男を、上官と認めようというのか。
思わず顔を上げた俺の先では、ミーティングルームから退室しながら軽く敬礼をしている。
俺は反射的な敬礼と、思わずとってしまったお辞儀の姿勢が一緒になって、滑稽な姿を晒した。
「随分と長い十秒間だったが、諸君、後悔はないか?」
准将の言葉に、ザッと軍靴を揃える音が続く。
俺は再び顔を上げ、ゆっくりとこの部屋にいる者たちの顔を見回した。どこか戸惑っている向きもあるが、サラ中佐の気迫に押されてのことだろう。
佐々木准将の鉄槌。
サラ中佐の叱咤。
となれば、俺も何かを言わねばなるまい。
「お、俺は」
くそっ、言葉が出てこない。このまま話が進まないのなら、もう考えるまい。
「俺は、君たちの友軍を、見殺しにしてしまった。君たちの友人が戦っている間、俺は地下に籠って檄を飛ばしていただけだ。だが、今回は君たちと同じだ。一緒だ。戦おう。戦って、任務を果たそう」
自分でも何を言っているのか分からない。口が勝手に動いている。
しかし、それはそれで士気を上げるのに効果的だったようだ。改めて敬礼する者。頷き返す者。ただただ立ち尽くし、しかし微かに笑みを浮かべてみせる者。
ありがとう。
作戦が終了したら、真っ先に彼らにそう伝えよう。それまでは、礼を述べるには早すぎる。
※
「チーム・アルファは正面玄関から、チーム・ブラボーは反対側の外壁を爆破して突入、チーム・チャーリーはアルファの後方支援と、首相官邸内の監視カメラの遮断に向かえ。私はアルファに同行する」
俺が訥々と作戦を述べていると、
「少佐自らが前線に行かれるのですか?」
「そのつもりだ」
そう言いながら、俺は自動小銃に弾倉を叩き込んだ。
「そこまでの移動は?」
「そう遠くはない。徒歩で行こう。電波妨害でこの混乱ぶりだ、俺たちが武装していても、それを見て驚くほど暇な人間はいないだろう」
「了解」
俺はテーブルについていた腕を上げ、一言。
「諸君の健闘を祈る!」
「はッ!」
再三の敬礼に、踵を合わせて返礼した。
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