第8話

 時は四ヶ月前に遡る。

 俺は土でまみれたブーツを履き、ヘルメットとゴーグルを装着していた。左手に装備した透明な防弾盾の向こうから、異国の風が吹きつけてくる。

 ここは中央アフリカ某国の国境線にあたる。PKOが関与できるギリギリのボーダーラインだ。

 俺たちは今、誤って越境してしまった医師団の救出任務にあたっているところだった。彼らは現在、相手国の武装集団に拘束され、この国境の検問所で『人間の盾』として使われていた。要は、こちらからの攻撃をためらわせるための人質だ。

 

 土埃を立てながら、ゆっくりと横一文字になって前進する。ゴーグルの暗視モードをオンにすると、視界が緑色になった。今は現地時間で深夜だ。裸眼では何も見えない。

 検問所に近づくと、向こうもこちらに気づいたのだろう、数名の痩せこけた黒人が肩から自動小銃を提げながら歩み寄ってきた。何事か喚き散らしているが、何と言っているのかは分からない。通訳を同伴できるほど、ここは安全ではない。


 その気迫に押されてか、隣の兵士がグビリ、と息を飲むのが分かった。確か、佐藤博隆という伍長だ。数名の部下を持つ立場となって、士気はそこそこといったところだった。少なくとも、ここに派遣されるまでは。

 しかし、この地に降り立った時の意気込みはどこへやら。駐屯地付近で、夜毎繰り返される銃声や罵声、爆発音に完全に参ってしまったらしい。いや、それが普通なのだろう。

 俺は駐屯地の夜間警備にあたっている多国籍軍を信用していたので、割とすぐに慣れることができた。国防軍の駐屯地の警備隊長が中村だったから、ということがあったのかもしれない。

 それに引き換え、佐藤は確かに協調性がある方だとは言えなかったかもしれない。態度が粗暴なのではなく、引っ込み思案なのだ。あれだけ『味方をもっと信頼しろ』と伝えてきたというのに。


 そんな部下の横で、俺は毅然としていなければと自らを叱咤し、ジリジリと検問所へと進んでいった。互いの距離が十メートルを切り、相手がライフルを構えたまさにその瞬間。

 俺たちの後ろから走ってきていた装甲車が、目も眩むようなライトを点灯させた。『人質を直ちに解放せよ』とでも言っているのだろう、装甲車に装備されたスピーカーから呪文のような言葉が発せられている。

 俺たちはさっと両脇に除け、列の中央から、自動小銃を手にした制圧部隊が駆け出した。

 相手もまた自動小銃を構えた。こちらの制圧部隊が持っている自動小銃よりも古くて粗悪だが、極めて強力な殺傷能力を持っている。これで、『相手』は明確に『敵』と見做されることとなった。


「火器の使用を許可、制圧せよ!」


 俺はヘルメット内蔵マイクに吹き込んだ。

 すると、敵はここぞとばかりに人質を引きずり出してきた。男女合わせて十人。全員が一本の綱で手首を縛られ、敵の前面に立たされるように突き飛ばされた。

直後に響いた、ズタタタッ、という銃撃音。伏せる制圧部隊。前進する我々警備部隊。そして次々に倒れ込む、ハチの巣にされた人質たち。

 検問所の隣に建てられた見張り台の上から、敵が銃撃をしている。


「警備部隊、怯むな! 人質と敵の間に割り込め! 人命優先だ!」


 俺は立ち上がり、上下に視線を遣りながら叫んだ。直後、制圧部隊が発砲を開始する。訓練の成果が存分に発揮されたと言いたいところだが、人質が死傷したというのは最悪の状況だ。足元には人質が、負傷するか肉塊になるかして転がっている。

 ふと殺気を感じて、防弾盾を上に向ける。直後、見張り台にいた敵が、RPG――携行型対物ミサイル――を構えるのが見えた。


「総員、伏せろ!!」


 叫んだ次の瞬間、頭上で大きな爆発音がした。RPGの発射寸前に、制圧部隊が弾丸を浴びせたのだ。ぱっと光がその場に広がり、爆風によって、見張り台が倒れてきた。


「くっ!」


 再び伏せる俺たち警備部隊。咄嗟に俺は、


「佐藤、大丈夫か!」


 と声を上げた。


「は、はッ! 自分は無傷で――」


 そう言いかけた佐藤は、自分の寝そべっている『もの』に視線を落とした。そこにあったのは、


「う、うわ」


 医師団のメンバーの死体だった。

 こんな状況で死体か否か、どうして判断できたのか? 理由は簡単だ。その『人型のもの』は内臓が飛び出し、腰から下が千切れていたのだから。

 俺は佐藤に落ち着け、と声をかけようとした。しかしその直前、


「うわあああああああ!!」


 佐藤は防弾盾を投げ出し、警備部隊が携行している武器、拳銃を腰元から抜いた。

 血だまりで膝を滑らせながら、佐藤は立ち上がろうとする。


「おい、待て佐藤!!」


 滅茶苦茶に発砲し始めた佐藤を止めるため、俺は佐藤のヘルメットに手を載せようとした。が、遅かった。


「さと――」


 と言いかけた俺の手に当たったのは、ヘルメットの冷たい感触ではない。生ぬるい液体だ。やや粘性のある、気色の悪さを覚えた。

 佐藤はその場で仰向けに、ばったりと倒れ込んだ。周囲では敵味方、互いの持つ自動小銃の音が入り混じって響いている。


「佐藤!!」


 後ろ襟を掴み、検問わきの側溝のような窪地に引っ張り込む。慌ただしく交錯するいくつもの照明が、佐藤の顔を照らし出す。するとそこには、見事に眉間を貫通された佐藤の顔があった。

 即死だ。間違いない。


 俺が呆然としていたのは、どれほどの時間だったのだろう。

 気がつけば、銃声は散発的になっていた。こちらがこの検問所を制圧したことは明らかだった。


《武田少佐、制圧完了しました。制圧部隊、死者はゼロ。負傷者は、重傷者二名に軽症者三名。指示を願います》

「……」

《隊長? 武田少佐?》

「こちら武田、警備部隊、死亡者一名。重軽症者の報告はまだ入っていない。人質は?」

《死者七名、重傷者三名。三名とも意識がありません》

「了解した。現時点での情報を統合し、駐屯地の中村中佐に伝えてくれ」

《了解》


 その時、ぽたりぽたりと雨が降り始めた。アフリカは四季に乏しいと思われているが、今はちょうど雨季に差し掛かるところだ。

 俺はしゃがみ込み、佐藤の亡骸を抱えた。ヘルメットから頬に伝った生ぬるい感覚は、きっと雨粒だけではないだろう。

 ガクッと膝を折りながら、俺は佐藤の遺体が回収され、装甲車に運び込まれるまで、止まない雨をその顔面に受け続けた。


         ※


 俺は思いの外、落ち着いて目を覚ました。ここはUGOCではなく、防衛省内のブリーフィリングルームのうちの一室だ。パイプ椅子をいくつか固定して、ベッド代わりにしていた。今、防衛省から離れるわけにはいかなかったのだ。

 あたりを見渡すと、数名のオペレーターたちが同じような要領で眠っていた。

俺の服装はと言えば、先ほどまでの制服ではなく、通常の隊員が着ている迷彩服を着用している。俺は横になったまま腕まくりをし、鼻に寄せて匂いを嗅いだ。あのアフリカ、異郷の地の土の臭いがするのではないかと思ったのだ。帰還してしばらくの間、身体に染みついてしまっていた。


「さすがにもう臭わないよな……」


 しかし、それよりも生々しく残っているものがある。

 凶弾に倒れた佐藤の身体の、だんだん冷えていく感覚だ。


 俺はパイプ椅子に座り直し、足を床についた。自らの両手を開き、掌のしわに目を遣る。その左手には、何故か長い生命線が伸びていた。

 もしかしたら、俺よりもよっぽど生かされるべき部下がいたかもしれない。彼らの左手の掌はどうだったのだろう。手相占いなど信じてはいないが、きっと彼らは運が悪かったのだ。


 いや、果たしてそうなのか?

 俺があの時、もっと佐藤に落ち着くよう念を押していたら? 

 そもそも、あれは危険な任務だったのだから、新米の佐藤を同伴させるべきではなかったのではないか?


 俺は両の掌を顔面にそっと押し当てた。涙は流れてはこない。あるのは、眉間に寄ったしわと、後悔から湧いて出たため息だけだった。

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