第12話

 それから一週間が経過した。

 怪獣はといえば、護衛艦や潜水艦の追尾を振り切り、外海に出たらしい。

 考えられるとすれば、


「マリアナ海溝に、何か異常は認められるか?」


 世界一の深度を誇る、マリアナ海溝。そこに怪獣が身を潜めたのではないかというのが、俺の考えだ。

 だが、浅瀬では潜水艦は動けないし、かといって怪獣がとんでもない深海に身を潜めたとなれば、その捜索は困難を極める。海軍からの提言により、UGOCではじっと怪獣の浮上を待っていた。


 怪獣は、毎回海から出現する。しかし、息継ぎは必要だろうというのが、科学者陣の考えだった。となれば、マリアナ海溝がどれだけ深くとも、周期的に海上に浮き上がってくるのが確認できるはず。


 外務省の懸命な働きかけにより、日本国防軍は、公海上でも火器の使用が許されていた。その火器で怪獣を小笠原諸島の無人島に誘導し、新設された機雷と空対海攻撃でダメージを与える、というのが、三日前に採用された作戦だ。

 フェーズ3とは関係のない、犠牲者を最小限に抑えるための新たな攻撃計画。


「武田少佐」

「ん……は、はッ!」


 仮眠をとっていたところ、俺は自分の名が呼ばれたことで、反射的に起き上がった。即席ベッドから足を下ろし、声の主に敬礼する。が、


「ああ、中村中佐……」


 気づいた途端、


「どうして敬礼にキレがないんだ?」

「いや、他の上官にだったらしっかり敬礼するんだが」

「そうかい」

 

 俺は現在時刻を確かめた。13:52。今朝は6:00には就寝したはずだから、睡眠時間は七時間半。


「すまない、随分と休ませてもらった」

「馬鹿言え、お前が倒れたら軍全体の士気に関わるぞ。ただでさえ、住民たちのクレームに対応しながら警備活動にあたっているんだからな」

「それもそうだな」


 俺は椅子に座り込んで、顎に手を遣った。無精髭が、軽く指先を刺激する。その時、


「うっ、冷たっ!」

「こりゃ失礼」


 何があったかと言えば、中村が、缶ジュースを俺の頬に押し当ててきたのだ。


「俺は炭酸が苦手なんだが……」

「知らん。目を覚ますにはちょうどいいだろ?」


 と言いつつ中村は、ちゃっかり自分の缶コーヒーのプルタブを開けるところだった。

 俺も忌々しげに、渡された缶ジュースをぐるりと眺める。『強炭酸!!』の文字が視界に入り、遠ざけたくなってしまう。渋々という表情を隠しきれなかったが、これも中村なりの気の利かせ方なのだろう。

 納得して、俺はプルタブを開け、目をつぶって一気に喉に流し込もうとした。

 まさにその瞬間だった。


《哨戒機より報告! 怪獣現出! 繰り返す、怪獣現出!》

「ぶっ!」


 大音量で響き渡ったアナウンス。怪獣現出という言葉に思いっきり背を叩かれ、俺は盛大にむせ返った。


《怪獣の現在地は――房総半島、千葉県館山市!》

「なっ……!」


 俺は思わず、缶ジュースを取り落としていた。


 そんな馬鹿な。マリアナ海溝北部は、全国から集められた哨戒機によって常に監視下にあったのだ。それが、房総半島だと?

 奴はいつの間に、この包囲網を潜り抜け、陸に迫っていたんだ?


 俺と中村は、急いでUGOCに駆け戻った。眠気はとっくに吹っ飛んでいる。

 入室し、わざわざ立って敬礼しようとする隊員たちを突き飛ばす勢いでメインスクリーンの正面に躍り出る。そこには、


 ゴオオオォォォォォォォオオオ……


 悠々と、高々と、雄叫びを上げる怪獣の姿。


「オペレーター、状況知らせ!」


 俺はスクリーンを睨みつけながら声を張る。


「はッ、二分ほど前、房総半島沖哨戒中のF-2が怪獣を捕捉! 上陸予想地点まで、後八百メートル!」


 怪獣は背びれを出して航行するのではなく、立ち泳ぎの要領で進行している。陸地が近いことを察してのことだろう。

 

それはそうと、一体奴はどこに潜伏していたんだ……? いや、まさか。


「F-2と直接通信回線を開け!」

「了解! ――どうぞ!」

「こちらUGOC司令、武田少佐。低空飛行で怪獣の首元を観察できるか?」

《了解、接近を試みます》


 そして、次にF-2からもたらされた情報は、俺の予想を裏付けると同時に驚嘆をもたらすものだった。


《怪獣の首に、謎の筋を発見!》

「再度接近、映像送れ」

《了解!》


 メインスクリーンが切り替わり、一旦上昇したF-2の映像が映る。そこには、


「生物化学班、あれはエラか?」

「は、はッ?」

「あれはエラかと聞いているんだ!」


 俺の声が自然と大きくなる。


「今の映像を、スローで再生しろ! F-2は爆装しているな?」

《はッ!》

「増槽及びミサイルを投下し、奴の気を引け! 陸地から引き離せ!」

《了解!》


 俺が指示を出している間に、UGOCに詰めていた生物化学班が答えを出した。


「あれは……エラとは言い切れませんが……」

「じゃあ一体何だ!」


 中村が『落ち着け』と視線を寄越してくる。


「ば、場合によっては、あの表皮の一部を展開して、海中での呼吸も可能かと……」

「何だと?」

「かっ、可能性の問題です! はい……」

「分かった」


 俺は我ながら落ち着いた調子で、やっと腰を下ろした。


「武田、何を考えてる?」


 咄嗟にタメ口を利きそうになったが、相手は中村『中佐』だ。部下の前では敬語でなければなるまい。


「奴……いえ、目標は、エラを有しながらも陸上での活動が可能です。でなければ、今までの捜索が空振りに終わったことに説明がつきません」

「つまり、エラを展開することで、いくらでも海中に潜んでいられた、ということか?」

「仰る通りです」


 中村は、これはやられたな、と言いながらヘルメットを脱ぎ、頭をガシガシと掻いた。


《こちら哨戒中のF-2、攻撃を開始します》

「了解。無理はするな」

《了解》


 ミサイルの投下に伴い、怪獣は真っ赤な爆炎と真っ黒な爆煙に包まれる。だが、もはやこの部屋に、怪獣の撃退が成功したと考えるほど楽観的な人間はいなかった。

 少しばかりは痛みを感じたのだろうか、怪獣は爆炎の中からゆっくりとその顔を覗かせた。ぶるぶるとかぶりを振り、気合を入れ直しているように見える。


「房総半島防衛に当たっている部隊は?」


 俺はようやく振り返り、オペレーターに視線を飛ばした。


「機雷は敷設されていません。東部方面隊の戦車部隊が、大隊規模で館山市に配備されています。住民の避難にあたる部隊を除けば、それだけです」

「付近航行中の艦船は?」

「最も近いのは護衛艦『いずも』ですが、海対海戦用装備しか有していません」

「構わん。目標が、陸上から五百メートル以内に接近するまでならミサイルを使える。陸と海から挟み撃ちにしろ」

「了解」


 俺は館山市の海岸線に集結する陸上部隊の挙動を、バッジシステムの画面から見つめていた。しかし、次の瞬間、


 ゴアアア……


 水柱が立ち昇り、怪獣が前のめりに転倒した。『いずも』からのアスロックが足元をすくったのだ。


「UGOCより戦車部隊、目標は姿勢を崩している。今がチャンスだ。足元と頭部、それぞれに火力を集中させろ!」

《了解!》


 メイスクリーンが、前線指揮車からの映像に切り替わる。怪獣は浅瀬でもがいているようだ。


《全車、目標の頭部、及び脚部を捕捉! 射撃準備よし!》

「攻撃開始!」


 次の瞬間、俺は地震が起きたかのような衝撃を受けた。

 ズドドドッ、と発射された戦車の百二十ミリ滑空砲弾。真っ直ぐ、超高速で発射された砲弾が、うつ伏せになっている怪獣の頭部に殺到する。

 爆風の勢いたるや、凄まじいものがある。水柱が次々に噴き上がり、怪獣を覆い隠さんとする。続いて、


《アスロック第二波、着弾します!》


 ほぼ直上から浴びせかけられた、爆弾の雨。

 加えて、戦車部隊長からの『第二波攻撃開始!』との声に、俺は心強いものを感じた。

 炎が砲塔から迸り、目視できない速度で砲弾が飛んでいく。

 くぐもった発砲音。風を切る擦過音。そして続く、巨大な爆光。


「やったか?」

 

 中村の、神妙な声が耳に入る。

 だが、俺はそれを首肯することができなかった。


 時折俺を襲ってきた、『嫌な予感』。それが再び、胸中で沸き立つのを感じた。

 そしてその予感は、見事に的中することとなる。

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