第13話

 爆煙の中から、刺々しい背びれが立ち現われてくる。俺は、自分の唾を飲む音が嫌に大きく感じられた。 

 思った通り、怪獣はのっそりと、だがしっかりと立ち上がり、ドシン、と足を鳴らした。頭部から肩のあたり、及び尻尾の付け根に僅かな出血が見られたが、怪獣はもはや意に介さない様子だった。

 岸辺が近い。これ以上、イージス艦からの攻撃は不可能だ。


 事前に避難命令は発せられ、海岸から五百メートル以内の住民の退避は完了している。しかしその五百メートルという距離は、『そこから先は流れ弾が飛んでくる恐れがあるために』計算された距離であって、それよりも内陸に怪獣が侵攻することを想定してはいない。


「戦車隊、一旦退避! 目標の左右に展開しろ!」


 その命令に、


《怪獣に道を開けてやるのですか?》


 戦車隊隊長は疑念を抱いたようだった。しかし、俺は右耳のイヤホンに手を遣りながら


「奴は必ず正面突破してくるぞ、そこで兵を犬死にさせるわけにはいかない! 退避だ! 側面からの攻撃に備えろ!」

《了解!》


 戦車一台一台を表示したバッジシステム上の輝点が、ジリジリと展開していく。


「第三波攻撃用意、狙いは目標の頭部だ!」


 砲塔の旋回に合わせて、戦車のバッジの矢印が怪獣へと集中していく。怪獣は堂々と、戦車隊の空けた道へと、一歩一歩踏み入ってくる。


「航空管制オペレーター、F-2を基地に戻し、代わりの哨戒ヘリを向かわせろ」

「了解。UGOCよりF-2、最寄りの空軍基地へ退避せよ」

《了解》


 だが、その命令は不要だった。

 俺は怪獣に起きた異変に気づいてしまったのだ。

 ジュゥゥゥ……と海水が沸き立つ音が聞こえるかのように、白煙が立ち込める。 これは、怪獣が『何か』を口から発する合図だ。背びれも赤紫色に発光を始めている。

 火球を吐く気か? 戦闘機なら回避は可能だろう。問題は戦車隊だ。俺は戦車隊にさらなる後退を指示しようとした、その時だった。

 

 ドオォォォォォォォオッ、


 と吐き出されたのは、直線状の熱源――熱線だった。

 単発の火球とは異なり、一直線上の物体を全て破壊、正確には蒸発させるだけの威力を有した熱線。


「F-2、直ちに退避を――」


 と言いかけた直後に、一機が怪獣正面で爆散した。

 まさか、高速戦闘機までもが撃ち落とされるとは。


 ペアで飛行していたもう一機のF-2は、急旋回を試みるも、怪獣が首を巡らせる方が早かった。むしろ、熱線の軌道上に突っ込むような形で爆発してしまった。

哨戒中だった二機のF-2は呆気なく灰塵に帰したのだ。


「おい、聞いてないぞ……」


 芝居がかって聞こえるほど、呆然と呟く中村。俺に至っては顎が外れた状態でいた。


「怪獣が進化してるのか? 俺たちの攻撃に合わせて」

「……」

「武田、一体どう――」

「戦車隊、直ちに攻撃を再開しろ! 第三波だ!」


 そう命令を下しながらも、俺はスクリーンの左下を見つめていた。別枠に設けられたヘリからの映像だ。

 怪獣を捕捉し次第、館山市全域に避難命令は出されていた。だが、まさか怪獣がこんなにも早く侵攻してくるとは。海岸線から五百メートル以上内陸に住む民間人も避難を始めている。

 そんな中、ヘリからの映像に奇妙な人影を見つけた。あれは、テレビ局か? カメラマンとレポーターと思しき数名の男女が、逃げるでもなく隠れるでもなく、マイクを握りながら、必死に声を上げている。


「テレビだ! 局はどこでも構わん、テレビ映像をスクリーンに出せ!」

「了解!」


 カチッ、と音がして、怪獣の上空を捉えた映像が人間目線の映像に切り替わる。

 一言で言えば、大パニックだった。

 民間人が、画面の向こうから大波のように押し寄せてくる。

 

 皆が着の身着のまま。振り返りながら駆ける男性、赤ん坊を抱いた女性、高齢者を負ぶった青年たちなどが映されている。


《えー、こちらは千葉県館山市です! 先ほど午後二時三十分頃、住民に避難命令が出されました! きゃっ!》

《おい、どけよ!》

《道を開けろ、高齢者がいるんだぞ!》


 カメラは手ぶれが酷く、しばしばレポーターの姿から外れていた。レポーターの女性もまた、後方から流れてくる避難民の波に押し流されている。逃げる者も報道する者も、皆が押し合いへし合いをして、まさに混沌の極みだった。

 

 何とか体勢を立て直したレポーターが続ける。


《お分かりでしょうか、私の後方、約六百メートルほどのところで、火の手が上がっています! 先ほど、哨戒中の空軍機が撃墜され、えー、未確認ですが怪獣は熱線を吐いたという目撃情報もあり――きゃあっ!》


 レポーターの悲鳴と共に、ドォン、という轟音が響き渡った。

 畜生、ついに上陸しやがったのか!

 俺は拳をテーブルに叩きつけ、ガタンと立ち上がった。

 その直後、


《きゃあーーーっ!》

《お、おい、一体何だ?》

《爆発だ! 早く逃げろ!》


 爆炎が見えてから僅かな時間差を置いた後、ドドドン、と戦車砲の着弾音が聞こえてきた。


 爆風でオフィスビルのガラス面が割れる。

 怪獣の低く、重苦しい唸り声が響き渡る。

 しかしそれをものともせず、足音が直接的に怪獣の接近を伝えてくる。


「第四波、砲撃急げ! 君らの後方には民間人がいるんだぞ!」

《りょ、了解! 全車、怪獣の頭部を狙え! 同時にスモーク弾、散布!》


 砲撃よりも軽い音が、各戦車の上空に響き渡る。真っ白いスモーク弾が、ちょうど怪獣の頭部の高さで炸裂し、その視界を滲ませる。


「哨戒機、住民の避難状況は?」

《街中に配置された治安部隊と警察が連携して進めていますが、付近には小中学校や老人介護施設が多く……》

「爆装したヘリか戦闘機は? 付近を哨戒していないか?」

「たった今、福生よりF-16Jが爆装中! 発進まであと五分を要します! ヘリは到着まであと三分!」


 その時、思いがけないところから連絡が入った。


《UGOCへ! 応答願います!》

「こちら武田少佐。管制名を名乗れ」

《こちらチヌーク部隊隊長機、館山市の各小中学校及び公共施設にて、避難民の受け入れを継続中!》


 チヌークとは、陸軍の人員輸送ヘリのことだ。

 俺ははっとした。これなら、戦車隊が怪獣を足止めしているうちに、住民の避難は大幅に進むはずだ。

 ありったけの輸送装備――人員輸送トラックや輸送ヘリを配備させておいたのが功を奏した、というところか。


 しかし一体何故、否、誰の命令でこんな配置が為されたのだろう? 『配置』とはもちろん、避難民の輸送手段のことだ。

 確かに、マリアナ海溝からの出現を予想していれば、関東から南東の方向への防御を固めるのは理に適っている。事実、マリアナ海溝に怪獣はいなかったわけだが、結果として怪獣は予想されたルートで侵攻してきた。

 しかし、ここまで的確に上陸地点を割り出し、住民の避難手段を準備していた、というのはあまりにも計画的に過ぎないだろうか。


 そんなことを考えながらも、俺の眼前では、戦車隊と怪獣との激しい攻防戦が続いていた。


《住民の避難が完了するまで、我々が盾となる! スモーク弾は撃ち尽くしても構わん! 目を回したところに、滑空砲を叩き込め!》


 そんな叫びにも似た戦車隊隊長の怒声が鼓膜を震わせる。

 だが、俺はそんな戦車隊の動きに危機感を抱いた。もしスモーク弾を撃ち尽くしてしまったら、後は打撃用の滑空砲しかない。姿勢を立て直し、上陸を果たした怪獣を前に、どれほど効果を上げられるものか。


「戦車隊、スモーク弾は慎重に使え! 目くらましに頼りすぎるな!」


 と、告げたまさに次の瞬間だった。怪獣の背びれが、ルビーのような輝きを帯び始めた。しかし、怪獣はまだ戦車隊を目視できてはいないはずだ。


「何をする気だ?」


 だが、実際に使われてしまえば簡単なことだった。


 ドオォォォォォォォオッ、


 と、やや波打ちながら発せられた熱線は、怪獣の頭部にまとわりついたスモークを、一気に吹き払った。

 これでは、戦車隊は丸裸も同然だ。


「戦車隊、全車後退せよ!」


 俺は最悪の光景が目に浮かぶようだった。このままでは……!

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