第7話
再度UGOCに入室した俺は、一部の見慣れないオペレーターから敬礼を受けた。そうか、流石に同じ人間が不眠不休で働くわけにはいかない。俺がいない間に引き継ぎが行われ、人員の交代が行われたのだろう。
そして、俺の交代要員には、
「お早いですな、武田少佐。少しはお休みになられたので?」
「お気遣い感謝します、黒崎少佐。しかし、今自分が休んでいる場合ではありません」
やはりこいつか。俺はあからさまにため息をつきながら、黒崎の隣に腰かけた。そういえば、UGOCで座席に腰を下ろすのはこれが初めてだな。
「武田少佐、現状を説明いたします」
俺に一瞥をくれてから、格式ばった口調で黒崎は語り始めた。
国防海・空軍の捜索にも関わらず、怪獣は未だ発見されていないこと。
フェーズ2に備え、東京湾内の埋め立て地、及びメガフロートからは、民間人が完全退去したこと。
フェーズ3に移行した際の爆薬の設置が完了したこと。
「待ってください。フェーズ3というのは……?」
黒崎の前で無知を晒すのはいささか抵抗があったが、情報統制に失敗して民間人や現場の部下たちのリスクを増大させるわけにはいかない。
「失礼。武田少佐がご不在の折、再度作戦会議がもたれまして」
そんなことはどうでもいい。
「で、何なのです、フェーズ3というのは?」
「メガフロートの爆破です」
「……爆破?」
「ええ」
黒崎は再度、俺に顔を向けた。しかし今度は一瞥ではなく、きちんとアイコンタクトを送ってくる。
「メガフロートを爆沈させることで怪獣の足を止め、都内各所から巡航ミサイルを一斉射。怪獣を完膚なきまでに滅します」
「し、しかしそれでは、メガフロートに居住している住民や、支社を置いている企業の財産はどうなります?」
黒崎は顔を正面に戻し、避難完了、補償はされますよ、と軽く一言。
その態度に、俺はふっと頭が熱に浮かされたようになった。
「国防軍の使命は、国民の生命財産を守ることです。そのうちの財産を、みすみす怪獣と一緒に吹き飛ばそうというのですか!」
「ええ。残念ながら、そういうことになりますな」
飄々と告げる黒崎に、俺は怒りを爆発させた。
「そんなことは断じて許さない!」
後ろで飛び交っていた会話や連絡事項を告げる声が、ぴたりと止んだ。
これほど大きな空間を一気に静まらせた。実際はとんでもないことだが、今の俺にはそんなことは些末な問題だった。
「あの臨海都市には、そこに住む人々の生活や思い出がある! それを犠牲にするなど、怪獣が行っていることと一緒ではないか! 私は断固反対する!」
「怪獣を足止めできなければ、被害はもっと拡大します。多少の犠牲は止むを得ません」
「しかし……ッ!」
俺は自分の歯がギリッ、と鳴るのが聞こえたような気がした。
「と申しましても、今回の怪獣撃滅における司令官はあなたです、武田少佐。もし作戦にご不満があれば、すぐにでも上申することが可能です」
すると、
「あー、やっちまったか」
という声とともに中村が入ってきた。どうやら、俺が激を飛ばしている間に入室していたらしい。
先に気づいた黒崎が敬礼するのを見て、俺も慌てて敬礼した。
「あんまりオペレーターたちに気を遣わせるようなことはしないでくれよ、武田少佐。ただでさえ、未曾有の事態で皆ピリピリしているんだからな」
「はッ、申し訳ありません」
恐縮してしまった俺に引き換え、黒崎はと言えば、いつの間にか敬礼を解いて
「中村中佐、これで三役揃いましたな」
と一言。
こんな失態の後だ、俺にだって『三役』の意味するところは分かる。
司令官は俺。情報担当が黒崎。そしてこの二人の対立や見解の差異を穏便に収めるのが中村。さしずめこんなところだろう。
「中村中佐。あなたは作戦フェーズ3に賛成なのですか」
俺は睨みつけるように中村を見つめた。しかし中村は、飽くまでも落ち着いた調子で
「作戦会議で決まったことだ。ただの会議じゃない。防衛大臣、国交大臣、それに官房長官まで同席していたんだ。いまさら我々がどうこう言ったところで、変えようはない」
俺は目線を中村から引き外し、荒々しく椅子に腰かけ――ようとして、ふと考えた。
中村は、俺が感情的になるのを防ぐためにここにいるといってもいい。そこには、佐々木佑蔵准将のお考えもあってのことだろう。中村を通して、『落ち着け』と伝えているのだ。
俺はゆっくりと、そう、飽くまでゆっくりと腰を下ろした。
※
その日、東京湾一帯は代わり映えのしない一日を終えた。しかし、異常なのは『代わり映えのしない』まさにそのことだ。
各埋め立て地、メガフロートの類はすっかり静まり返り、灯りは点いていない。毎日どこかで起きているであろう事件事故も、沿岸部では発生していない。こんな『何もない』ことが、どうして『異常』でないものか。
逆に、一般内陸部の『平常さ』こそが『異常』に思えるくらいだ。高速道路は渋滞し、モノレールは通常運行。道行く人は不安からか、それとも単に興味関心のためか、時折海に向かって視線をくれるくらいだ。
怪獣があれだけ暴れ回ったというのに、呑気なものだと思う。しかしそれは、俺が軍人として怪獣に関わる機会が多かったからだ。つまり、怪獣の脅威を目の当たりにしたからだ、と言ってもいい。
『いぞかぜ』が怪獣に敗北を喫した際の映像は、報道官制が敷かれて現在は流出していない。だが、どこからかネットに流出してしまうのは時間の問題だろう。
そんな中、俺はUGOCにてマイク兼任イヤホンに意識を集中していた。電話をかけまくっていたのだ。その相手は、
「はい、ご主人は果敢に任務を達成され――」
「お父様は国民の生命財産を守り抜き――」
「ええ、お兄様の犠牲によって、被害は最小限に――」
『いそかぜ』乗員の遺族たち。唐突に家族を亡くした者たちだ。
大方の遺族たちは、今朝の防衛省の緊急会見、すなわち『いそかぜ』が怪獣に撃沈されたことを承知しているはず。それはつまり、家族の死を把握しているということだ。
しかし、その事実を知ることと、覚悟を持って受け入れることとは大きく異なる。
先ほど、こんな遣り取りがあった。
「わたくし、防衛省陸軍少佐の武田と――」
《主人は? 主人は無事なんですよね!?》
この女性の主人は『いそかぜ』の機関室にいた。怪獣に深く食い破られたところだ。
俺は思わず、口ごもってしまった。女性は間違いなく、主人の『九死に一生』を信じているに違いない。
しかし、あれだけの激戦を以てして、そんなことはあり得なかった。
《ねえ、主人を電話に出してください! もう喋れるんでしょう? お願いします! どうか!! 将校さん、どうか!!》
そう言われても、俺はこの女性の主人ではない。神様でも何でもない。ただの兵士だ。殉死した主人の代わりにはなれない。
「……」
《将校さん、お願いします、誰か、主人を返して……》
その言葉の一言一言は、確実に俺の胸をえぐっていった。まるで自分が殺されかけているかのようだ。だが、この女性の主人は一瞬で、半ば食い殺されるようにして命を落としたのだ。その様子を語ることなど、どんな実戦をくぐり抜けてきた猛者でも不可能だ。
もはや何を言っても、俺がその兵士の気持ちを代弁することはできない。電話越しには、赤ん坊がぐずる声までが伝わってきた。妻子持ちでこんな危険な任務に当たらなければならなくなったとは。自らの死を覚悟した時の、兵士の心境はいかほどのものだったのだろうか。
これなら、自分の無能さを糾弾された方がよほどマシだ。
気づいた時には通話は既に切れていた。どちらが先に切ったのかは定かではない。
俺は、自分が案山子にでもなったかのような感覚に囚われていた。右耳に入れたイヤホンを押さえながら、固まっていたようだ。
「大丈夫か、武田」
「は、はッ!」
反射的に声を上げると、気遣わしげな中村の顔が目の前にあった。
「俺は二十二件目にかけ終わったところだ。そっちはどうだ?」
「……まだ、十七件」
この場に黒崎はいない。陸軍の幕僚監部に呼ばれてUGOCを離れている。
「死亡報告書はまだこれだけ残ってる。これも責任者の務めだ。俺もこのまま協力するから、何とか耐えてくれ」
「は……」
これほど力なく、虚しく、情けない返答を上官にしたのは初めてだった。
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