第15話

 夕日の差し始めた街頭から、巨大な、真っ黒な影がその身をもたげる。

 怪獣はその巨体を、身体全体の筋肉を使った力の均衡で立ち上げた。

 その動作は緩慢だが、負傷していなくともさほど変わらなかっただろう。それほどの闘争心が、怪獣の瞳に込められているのを、俺はどこかで感じ取っていた。

 それに怪獣自身、この程度の負傷で起き上がれなくなるほど脆弱ではない。


 報道ヘリの飛び交う元で、最早怪獣の行く手を遮るものは何もなかった。邪魔であれば叩きつけ、面倒であれば踏みにじり、憎らしければ振り返りざまの尻尾で粉砕する。


 怪獣が一歩踏み出す度、アスファルトは陥没し、向かい合ったビル同士が崩れ合い、ぶつかり合って瓦礫と化していく。

 公衆電話は根元から呆気なく吹っ飛ばされ、数十メートルも飛んでから地面に叩きつけられた。

 破損した水道管からは水飛沫が噴き上がり、夕日をキラキラと反射してみせた。

 そんな光を、背びれがさらに反射する。怪獣は、もはや神々しささえその身にまとい、まさに『破壊神』と呼ぶに相応しい威厳と畏怖の念を、日本国民の心に焼きつけていた。


《目標、住民の避難命令区域から出ます! このままでは住民は――!》


 哨戒ヘリからの報告。

 そう。怪獣がこれから行く先に住む人々の生命財産は、俺たちが保障していたのだ。それがこうも呆気なく破られるとは。

 

 怪獣からして、目の前には身の丈ほどもあるような壁――人間が言うところの高層マンション群が並んでいる。

 俺は、はっとした。


「止めろぉッ!!」


 叫んだところで聞こえるはずもない。聞こえたところで何の意味もなさない。そんなことは分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。


 住民たちが、慌てて非常階段で押し合いへし合いをしている様子を見せつけられてしまっては。


 その背後で、怪獣の背びれが発光しているのに気づいてしまっては。


 俺は目を逸らそうにも逸らせなかった。理由は分からない。もしかしたら、怪獣の挙動の虜になってしまっていたのかもしれない。怪獣という存在が、俺の心を独房に叩き込んでしまったのかもしれない。


《哨戒ヘリ、退避します!》


 その直後、怪獣の口から発せられた熱線が、高層マンションの群れを薙ぎ払った。

 退避すると言いながら、哨戒ヘリは怪獣や、その周囲の様子をばっちり捉えている。

 急に基盤と切り離されたマンション群は、熱線を受けた方、怪獣のいる方へと一斉に倒れ込んでゆく。ゴゴゴゴッ、という地鳴りのような音が、哨戒ヘリの貧弱なマイクにも拾われ、聞こえてくる。

 そして俺の、瞬きすら忘れた両目は、次々に地面に落下していく住民たちを否応なしに見つめることとなった。

 地下駐車場にあった車両が火種になったのか、怪獣の熱線に勝るとも劣らない真っ赤な炎が地面から噴き上がる。それがマンション群の倒壊を早めた。


 ゴオオオォォォォォォォオオオ……


 障害物を排除して、勝利の余韻にでも浸ったのか。怪獣は首を上に向け、敵ながら見事な雄叫びを上げた。

 既に身体からの出血は止まっている。否、傷口が塞がっている。

 なんて再生能力だ、だか何だか中村が呟いていたが、俺の脳内では全く意味を成さない。


 俺は、完全に怖気づいていた。

 洋子のことも美海のことも考えられなかった。

 ただ、自分が恐ろしかった。誰一人として守ることのできない、俺自身が。


 このまま俺は、何の役にも立たずに死んでいくのか。

 否、逆だ。他の人間だったらもっと上手くやれたであろうところを、多くの部下を無駄死にさせてこの世を去るのか。

 

 俺の目には、スクリーン上の怪獣の姿が映しだされている。だが、それに伴う憎しみや怒り、はたまた対処しようという感情が湧いてこない。


 夜は、すぐそこまでに迫っていた。


         ※


 午後八時四十分。

 中村が再び、俺に代わって指揮を執り始めてから約四時間。再度、国防陸・空軍からの攻撃が実施されることとなった。この四時間の間、俺は一言も喋らず、中村の言うことに頷いているばかりだった。


 このタイミングで攻撃が実施されるということは、我らが国防軍に勝ち目がある、ということだ。それには、怪獣が進行する際、熱線を吐かなくなったということが理由の一つとして挙げられる。

 千葉県再開発地区の高層ビル群を前にした時、確かに怪獣は熱線を吐こうとした。が、まるでガス欠でも起こしたかのように、咳き込んで熱線を放射するどころではなかったのだ。

 結局、怪獣は体当たりをしてビルを崩落させ、瓦礫を被りながら侵攻を続けたのだが、それから先も、異常な体温の上昇や熱線を吐く素振りは見受けられなかった。

 これをチャンスと見込んだ中村は、戦車大隊の再編と航空機によるミサイル攻撃を多重的に行う作戦を立案した。怪獣が、夜目が利くかどうかは定かではない。しかし、赤外線探知誘導弾を用いれば、人間側は目が利いているも同然。


 中村は主戦場に、怪獣の予想侵攻路に近いゴルフ場を選択。照明弾を用いてゴルフ場手前に誘導し、高い機動性が売りの一〇式戦車での勝負に出ることに決めた。対戦車ヘリコプター隊も援護にあたる。


 オペレーターから声が響いたのは、中村の作戦立案から三十分後。

 午後九時十分のことだった。


「目標、誘導開始ラインに到達!」

「よし、ヘリ部隊、誘導灯点滅開始! 同時に照明弾、発射!」

 

 すると、すぐさま映像が淡い乳白色に染まった。現在は哨戒ヘリではなく、地上部隊の中継車からの映像を頼りにしている。

 怪獣をゴルフ場に誘導するには、距離にして約三百メートル南下させる必要がある。照明弾はさらに後方、南方に五百メートルほどのところから打ち上げられていた。

 パン、という軽い破裂音が響く。すると、お決まりの足音を立てながら侵攻していた怪獣は、振り向いてふと歩みを止めた。

 思いがけず登場した光源を訝しんだのか、短い咆哮を繰り返す。

 続いて誘導ヘリの編隊が作戦空域に入った。現在の怪獣に、遠距離攻撃は不可能。やや楽観的な見方かもしれないが、これなら怪獣の被害に遭わずに、誘導を試みることができる。


「さて、食いついてくれるかな……」

「……」


 一時的とはいえ、指揮権を中村に引き渡した俺は、彼の呟きに何とも答えようがなかった。

 ふと、今までの自分の失態が重なって見えてきてしまう。要は、『あの時、ああしていればよかったのに』ということだ。

 中村だったら、東京湾内での戦いに散った者たち――『いそかぜ』、戦闘ヘリ部隊、戦闘機部隊、戦車隊の兵士たち――を、無事家族の元へ帰すことができたのではないか。

 いやしかし、その時にはまだ、怪獣が火球や熱線を吐く、ということは全く分からなかった。そして現在、熱線を封印した怪獣を相手にできる、という意味では、中村の方が幸運だったのだ。

 結局、俺が貧乏くじを引かざるを得なかったのか。それともやはり、単純に俺の指揮能力が貧弱だったのか。


 分からない……。


 俺は作戦実行中にも関わらず、両肘をデスクについて頭を抱えてしまった。

 酷い吐き気がする。将校になってから酒は控えていたが、それでもどこか、深酒してしまった時と似たような感覚のように思われた。胃袋が火にあぶられるようでいて、脳裏はとてつもなく冷たい氷柱で突き刺されたような、そんなあべこべな感覚。

 

 これが訓練中のことなら、ここまで酷くなることもなかっただろう。

 何故か? よほどのことがない限り、死傷者は出ないはずだからだ。

 しかし当然ながら、これは訓練でも演習でもない、俺が、俺たちが、そして日本が直面する、初の本土決戦なのだ。


 だが、俺は自分がついつい陥ってしまう悪い癖を自覚した。

 まず、冷静さを欠いていたということ。死んだ者は生き返らない。かと言って、死者を出すまいとすればするほど、民間人の被害者は増える一方だ。今は心を鬼にして、部下に戦いを強要しなければならない。

 二つ目は、自分と中村を比較してしまったことだ。もし中村に読心術があって、俺の心が見透かされていたらどうなっていただろう? きっと蹴倒され、殴りつけられ、挙句UGOCから放り出されていたかもしれない。他人との比較は、悔しさをバネにするという意味では役に立つが、それは日常、平時でのことだ。実戦中に行っても、冷静さの欠如に一役買うだけだろう。


 俺はきちんと座り直し、立ち上がって指示を飛ばす中村を見上げた。するとちょうど、中村もこちらに視線を遣るところだった。その瞳には、俺を責める気配はなく、純粋に心配の色があった。


 すまない。今は任せる。


 視線でそう訴えた直後、オペレーターが叫んだ。


「目標、戦車隊の射程圏内に入ります!」

「全車全機、射撃用意! 射撃後は展開して、目標前方から距離を取れ!」


 了解! という復唱の後、UGOCは、数多の砲撃音に包み込まれた。

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