怪獣戦線異状アリ

岩井喬

第1話

 荘厳なBGMに合わせて、監督の名前が上がってくる。いわゆるエンドロールというやつだ。

 映画を観る度に思うのだが、最後にエンドロールに名前が載る人間――監督、または総監督――とは、理解しがたい人種だ。これだけでかいスクリーンに、何の恥じらいもなく自分の名前を出せるのだから。よほど肝が据わっているのだろう。

 こうして多少、ひねくれた見方をしてしまうのは、今観ていた映画に対する俺の評価が『微妙』だからだ。


 決定的に面白かったわけではなく、かといって致命的につまらなかったわけでもない。

 邦画にしてはよくやったと思う。でも洋画と比べると、映像クオリティやパニック描写が甘かった感は否めない。

 でも、まあいいか。今日はメンズデーで安かったし。休暇で昼間からこうしてグダグダしていられたわけだしな。


 俺は腕時計型通信端末に目を落とし、起動させる。緑色の蛍光色で表されたそこには、『2030/11/3』と刻まれており、時刻は正午過ぎといったところだ。


 ちょうどいい暇つぶしになったな。そう思いつつ、俺は席を立つ準備を始めた。


「よっと……」


 モスグリーンのジャンパーを羽織ってから、空になった紙カップを握る。そして出入り口の方へと足を踏み出した――その時だった。


 ドォン。


 凄まじい轟音と共に、足元から振動が伝わってきた。


「ッ!」


 俺はうっかり紙カップを取り落としてしまった。

 何だ? 地震か?

 ハッとして天井を見上げる。落下物はなし。頭上は安全だが、しかしここから動くのは自殺行為だという直感が脳裏を駆け巡る。それほどの『何か』危険な気配を俺は感じていた。


 しばしの間隔を置いて、


 ドォン。


 二回目だ。これは地震なんかじゃない。『何か』と問われても答えようがないのだが、とりあえず危険な『何か』なのだと国防軍人としての経験が告げている。


「えー、お客様! 落ち着いて、その場を動かずに! 只今、係員が対処しております! しばらくお待ちください!」


 若い男性スタッフが、メガホンを手に呼びかける。通信設備に不備が生じたのだろうか?

 しかし、スクリーンの間近で見ていた俺には、次にスタッフが交わした会話が聞こえてしまった。


「え? 火事は起きてない? 地震? だ、だから何なんだよ?」

「いや、それは……」


 男性スタッフのそばに駆け寄ってきた女性スタッフが、両手を振り回しながら必死に何かを伝えようとしている。

 無理もない。彼らは一般人だ。こんな災害じみた何かが起これば、多少パニックにもなるだろう。

 PKOでのアフリカ某国の暴徒鎮圧任務から帰って三ヶ月。俺――武田信義、階級は少佐――は、邦人救出任務の際に見た、狂乱と混沌の様子を思い出しながら、飽くまで冷静にと自分に言い聞かせていた。

 同時に、一つの古い言い回しを思い出した。


『二度あることは三度ある』


 そしてその期待が裏切られることはなかった。


 ドォン。


 三回目の、轟音。そして振動。

 明らかに地震ではない。

 振り返って音がしたと思われる方、すなわちスクリーンから遠い方を見遣る。

その直後、ガラン、グシャンと複雑な破砕音がしてコンクリートの天井が崩落した。


「くっ!」


 俺は慌てて両手を頭に載せる。幸い、天井が落下したのはスクリーン後方だけだったようで、俺の頭上にはぱらぱらと細かい破片が降り注いだだけだった。

 しかし砂塵に視界を遮られ、すぐには行動を取ることができない。


 俺が身を屈め、パニック状態の観客たちが非常口に殺到する。その時だった。


 ゴオオオォォォォォォォオオオ……


 何だ、今のは!? 暴風雨のど真ん中で、コントラバスを滅茶苦茶に、大音量で弾きまくったような、凄まじい音がした。なんて音量だ……。

 だが俺の聴覚には、きちんとその轟音の中に含まれた『気配』が届いていた。


 これは鳴き声だ。それも、途方もなく巨大な生物の。


 今観ていた映画の続きのようにも思われる。しかしこれが虚構でないことは、破壊されたシアタールームが物語っている。

 今だにシアタールームは砂塵による闇の中。それでも俺の他の感覚は、否応なしに異様な状態に襲われていた。

 猛烈な砂埃による喉の痛み。瓦礫が階段状のシアターを転がり落ちてくる擦過音。そして、瓦礫の下敷になった観客たちの流血による鉄臭さ。


 これほどの事態だ。警察も救急も気づいているだろう。俺は通報することなく、怪我人の元へと駆け寄った。あちらこちらから悲鳴や呻き声が聞こえるが、その中でも俺の注意を引いたのは、赤ん坊の泣き声だった。


「大丈夫ですか!?」

「う……あ……」

 

 赤ん坊は無事に、父親に抱きしめられている。しかし父親はと言えば、腰から下を巨大なコンクリート片で下敷にされていた。彼の息がそう長くもたないことは、衛生兵でもない俺でも察しがつく。


「こう……たの……」

「何? 何ですか!?」


 騒音の中、俺は父親の最期の言葉に耳を傾けた。


「浩二を……頼み……」


 そこまで告げてから、父親は糸の切れた人形のように、パッタリと脱力してしまった。頭や腕が、瓦礫の狭間で垂れ下がる。少し遅れて、赤い液体が床の粉塵に染みわたってきた。

 ここも危ない。俺は赤ん坊を抱いたまま、慌ててシアタールームを出た。


 先を走っていく観客たちの背中が見える。俺は彼らに続き、シアタールームから赤いカーペットの敷かれた廊下を駆けて、外に出る『つもり』だった。

 しかし、今度は目の前で


「ぐっ!」


 柱が折れて、ここも天井が落ちてきた。

慌てて引き返し、シアタールームの入り口へ。そこで何かに躓き、バッと振り返ると


「……!」


 先ほどの二人の劇場スタッフが倒れていた。そばには、恐らく落下してきたのであろう照明機材が転がっている。それが頭部を直撃したらしい。

 咄嗟に二人の首筋に手を遣ったが、事切れていた。

 腕の中の赤ん坊はと言えば、あまりに俺が揺らし過ぎたせいか、気を失っている。


 そこまで認知した瞬間、


「うっ!」


 唐突に、シアタールームに光が差し込んだ。そこから見えてきたのは、


「……!」


 シアタールームの天井をぶち抜き瓦礫を降らせたのは、どうやら『何か』の脚部だったようだ。その脚部が再度持ち上げられ、


 ドォン。


 と四度目の轟音を響かせる。同時に、廊下側からの砂嵐。

 再度振り返ると、まるで超巨大なミミズが這ったような、奇妙な形のクレーターができていた。

 一か八か、俺は赤ん坊を抱いたままクレーターを滑り降り、片手で自身の身体を持ち上げて建物から脱出した。

 

「一体何がどうなってるんだ……」


 あちこちで燻る煙。崩壊したオフィスビル。地面にしっかりと刻まれた、異様なまでに巨大な足跡。元の景観を留めているのは、この映画館のあるメガフロートの向こうの水平線だけだった。

 

 振り返ると、『奴』はこちらに背を向け、海に入っていこうとしていた。

 ここから見えるのは背中だけだが、それでもその異形とも言えるフォルムはしっかりと俺の網膜に焼きつけられた。

 真っ黒な巨体。全身が鱗で覆われており、足元から頭頂まで、優に百メートルはあるだろうか。どっしりとした、一度見たら忘れられようもない巨躯だ。

 三列に並んだ、大きな背びれ。そのどれもが鋭く尖った形をしている。

 屈強な足に、長い尻尾。あれが先ほど廊下を押し潰していたのだろう。あんな尻尾で薙ぎ払われたらひとたまりもあるまい。


 一瞬、奴は首を巡らせて、はっきりとこちらに一瞥をくれた。


「……」


 俺はいつの間にか、自分の拳を握り締めていた。


 倒す。奴は俺が倒してやる。完膚なきまでに。だから、今日のところはお前をそのまま帰してやる。


 何故そこまで俺が奴に執着心を持ったのか。正直、自分でも分からない。

 強いて言えば、俺は海が好きだからだ。

 結婚して三年目の愛する妻、洋子。

 彼女の名前がきっかけでそう名づけられた俺たちの娘、美海。


 これだけ述べれば、『何故海軍に入隊しなかったのか』と問われるかもしれない。ただ、俺は『平和な海を、危険で汚したくない』という気持ちが強かったのだ。魚雷も機関砲も大嫌いだった。


 しかし、ついにこんな日が来てしまったのか。海から敵が襲ってくるという日が。

 今まで想定されていたのは怪獣ではなく、東アジア某国のテロリスト集団だったが……。


 だが、この赤ん坊――浩二くん、というのだな――は、父親を『奴』に殺されたのだ。父親は、彼を守るために必死だったに違いない。

 同じように家庭をもつものとして、『奴』に対する俺の怒りと悔しさは、自らの身を焼き尽くさんとする勢いだった。


「畜生!!」


 俺は海に没入していく怪獣の背を見遣った。しかし、まさにその時


「ん?」


 両腕に違和感を覚えた。急に重くなったように思われたのだ。見下ろすと、


「……!」


 先ほど託された赤ん坊が、ぐったりとして目を閉ざしていた。額からは、一筋の血が滴っている。

 まさか……! 

 反射的に、俺は赤ん坊の首筋に手を遣った。脈は――ない。


「おい、おい!」


 無暗に揺さぶってはいけないということを思い出す。しかし、俺は自分を制することができなかった。

 ただ、その場に膝を着き、海風と砂塵が舞う中で呆然としていた。


 こんな小さな命一つ、俺は助けることができなかった……!


 いつの間に到着したのだろうか、救急車のサイレンが鳴り響く。

 救急隊員が、そっと赤ん坊を俺の手から取り上げる。


「くっ……!」


 肩に手を載せられ、俺はようやく立ち上がった。


 倒す。絶対に倒してやる、怪獣め。俺たち国防軍の力を思い知らせてやる。

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