第9話

「大丈夫か、武田?」

「ああ、問題ない」

「顔色が優れないようだが……」


 そんな世話を焼いてくれたのは、俺が休んでいる間にUGOCに籠っていた中村だ。俺はUGOCに戻って来て、情報統括をしようとしていた。

 試しに、中村に尋ねてみた。


「なあ、PKOで一緒だった伍長、覚えてるか? 佐藤博隆。確かあいつは――」

「二十五歳、だったな。妻子持ちでなかったのが幸いと言えば幸いだった」

「幸い……?」


 だってそうだろう? と言って、中村は肩を竦めた。


「家庭を持ってしまうと、余計な正義感を持ったり、殉職した時に悲しむ人間が増えたりしてしまう」

「俺への当てつけか、中村?」

「冷静になれと言ってるんだ」


 それこそ余計なお世話だ。そう言い返したかったが、その広い肩幅で通せんぼうをするかのような中村の態度に、俺は黙り込んだ。

 

「もう気づいてるだろうが、フェーズ1は発動可能状態だ」


 そんなことは承知している。中村を一瞥するだけで、余計な説明は不要だと訴える。

 中村はため息をつきながら、


「問題はあの怪獣が、一体いつ『引っ掛かるか』だが」

「すぐに来るさ」

「何故分かる?」

「あいつはキレやすい。自分が負傷しても、必ず敵に食らいついてくる。中村、お前も見ただろう? 『いそかぜ』の最期を」


 俺は苛つきを示すように、つま先を上げ下げしてパタパタと軍靴を鳴らした。

 同時に腕を組みながら、


「来るぞ。それこそ今にでも――」


 その言葉の続きを、俺は口にできなかった。何故なら、凄まじい警報音が部屋中に鳴り響いたからだ。


「フェーズ1、第一ラインに反応! 怪獣と思われます!」


『だから言ったろ?』


 普段だったら、そう言って中村をからかうなり責めるなりするところだ。だが、今回は俺も言葉を失っていた。

 ついに来やがったか、怪獣。


「あ、おい武田」


 俺は中村の肩を掠めながら、メインスクリーン前のテーブル席に腰かけた。


 フェーズ1とは、主に機雷を用いて怪獣の撃退を試みる作戦だ。現在東京湾は封鎖され、湾から出ようと出まいと、怪獣はどこかしらの機雷に接触する。

 そのうち、怪獣が接触したのは第一ライン。東京湾のもっとも外側にある第零ラインを突破せずに、より内側に侵攻していることを示している。再度上陸を試みている可能性が高い。


「哨戒ヘリの映像、入りました!」


 メインスクリーンから、東京湾の地図がふっと消える。と同時に、高々と舞い上がった水柱がライブ映像として映された。画面隅の表示を見ると、現在時刻は22:19。

 今さらながら、俺はちょうどいいタイミングで目を覚ましたことを理解した。怪獣の再出現の直前だったのだから。


 怪獣はといえば、しばらく動きがなかった。哨戒ヘリがハイパワーライトで海面を照らすと、三つの山脈を為すように鋭い背びれが目に入ってくる。周辺の海面は、よく見えないが微かに赤く染まっている。

 

 ふん、怪獣とて生き物だ。殺せる。フェーズ3なんてとんでもない段階を踏むことなく、粉微塵にしてくれる。

 俺は無意識のうちに、テーブルの上で両手の拳を握り締めていた。それこそ、爪が食い込むほどに。


「フェーズ2、空対海攻撃を開始する。戦闘ヘリ部隊は?」


 俺がスクリーンに注目しながら声を上げると、

 

「爆装したアパッチの一個小隊が、目標の南南西四キロの位置から現場急行中です」

「了解。怪獣はまだ生きている可能性が高い。奴が立ち上がった瞬間に、機銃及びミサイルの精密射撃で頭部に集中砲火を浴びせろ」


 俺は無意識のうちにこれだけの指示を出していた。フェーズ2までは、元々俺も聞いていた範囲でのことだ。何が行われるかは知っている。ただし、今はヘリ部隊による攻撃、すなわち機雷による攻撃から移行したフェーズ1の続きを監督・指示する必要がある。

 だが、


「中村、黒崎少佐は?」

「……」

「中村中佐?」

「あ、ああ。フェーズ3とフェーズ4の中継ぎの緊急会議に出ている」

「何だと?」


 怪獣が出現したというのに、UGOCに顔も出さないのか? 怪獣の動向より会議を優先するという黒崎の神経を、俺は疑った。

 だが、そんなことに構っている場合ではない。今はヘリ部隊の全員の安全を確保しつつ、怪獣を排除することに専念しなければ。


《こちらアタッカー1、目標を視認。未だ頭部は海面下で確認できない。指示を請う》

「UGOCよりアタッカー1、燃料の余裕を見積もった上で、その場で待機。怪獣が動き出すまで待て」

《了解》


 と、その直後だった。


《こちら哨戒ヘリ、目標の三キロメートル上空より中継中。光が……謎の光が確認されます。怪獣の背びれが赤く発光中!》


 何をする気だ?


 すると、怪獣の周りで一瞬、海面が渦巻いた。怪獣がくるり、と身体を反転させたようだ。その間にも、背びれは発光を続けている。そして、戦闘ヘリ部隊から叫ぶような通信が入ってきた。


《怪獣がこちらを向いた! 背びれが、背びれの発光が強まっている!》


 画面が哨戒ヘリの映像から、攻撃ヘリの映像に切り替わる。

 怪獣の外傷は、背びれの発光が眩しすぎて確認できない。

 しかし、その瞳に込められた怒りがいかほどのものかは察せられた。

 あたかも後光が差すようなその姿は、どこか神々しさすら感じさせた。


 俺ははっとした。


「全機回避運動に移れ! 直ちにだ!」

「おい、どうしたんだ武田?」


 俺は中村を無視した。

 ダン、とデスクに腕を叩きつけ、蹴倒すように椅子から立ち上がる。


 そんな俺の前で――正確にはスクリーンの向こうで、何が起ころうとしているのか。

 俺に分かるはずがない。

 ただ一つ言えるのは、戦闘ヘリ一個小隊のパイロットたちに、想像を絶するような危険が迫っているということだ。


《りょ、了解、アタッカー1から5、直ちに回避運動を――》


 その直後、音もなく戦闘ヘリ小隊隊長機、アタッカー1のカメラの捉えた映像が真っ白になり、通信が切れた。


「映像を哨戒ヘリに切り替えろ!」


 より上空からの高感度カメラの映像には、恐るべき映像が収められていた。

 アタッカー1は撃墜されていた。真っ赤に染まった、火球によって。

 その炎は、尋常ではなかった。ルビーのような、血のような、軽く紫がかった色の爆発光。


《全機散開、目標の攻撃範囲外に退避する。距離をとった上で再度フォーメーションを……うあ!》

《アタッカー2! 副隊長!》

「UGOCより命令だ、全機回避運動を取りつつ帰投せよ! 繰り返す! 全機撤退せよ!」


 撃墜された戦闘ヘリの残骸が、ばらばらと海面に落ちていく。その海面もまた、怪獣の発する赤紫色の光に照らされ、あまりの眩しさによく見えない状況だった。


「フェーズ1は終了する! とにかく回避だ! 回避を……!」


 と言っている間に、アタッカー4が落ちた。燃料に引火したのだろう、海中からと思われる爆発が海面を盛り上げた。


《くそっ、全弾撃ち込め!》

「よせ、全機撤退だ!」


 しかし、そんな俺の叫びなどどこ吹く風で、残った二機の戦闘ヘリは、大型の機銃と空対地ミサイルをあるだけぶっ放した。それらは全て、怪獣の首から上へと吸い込まれていく。

 爆発自体は、ミサイルをあるだけ叩き込んだだけあって、実に派手だった。が、


「!?」


 怪獣は、その図体からは想像もできない機敏な動きを見せた。お辞儀をするようにして海面に潜り込んだのだ。機銃弾やミサイル群は結局背びれに殺到することとなった。怪獣にしてみれば、痛くも痒くもないだろう。

 

 その直後、海が割れた。

 海中から、怪獣が跳び上がってきたのだ。

 ヘリのパイロットも、UGOC内のオペレーターたちも、物音を立てることもできずに見つめていた。アタッカー3が、真下から怪獣に食いつかれ、爆発四散するところを。


 もはや東京湾は、怪獣の独壇場だった。最後に前座を務めたアタッカー5も、たった今、怪獣の発する火球で粉微塵になった。


「戦闘ヘリ部隊、全機撃墜されました」

 オレペーターの呟きのような声だけが、俺たちの耳に延々と残った。

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