第18話
「調子はどうかね」
「は、はッ。目標は、ゴルフ場の防衛ラインを突破して西に向かい、東京湾への再度侵攻を目論んでいるものと――」
すると緩やかに、准将は首を横に振った。
「君自身のことを訊いておるんだ、武田少佐」
俺自身? 何のことなのか、一瞬俺は測りかねた。
が、すぐに話題のあたりをつけた。
軍属・民間人問わず、これほどの犠牲者を出してしまった。そう思い込むことで、俺が自責の念に駆られているのではないか。それを確かめようとしているのだ。
「そう、ですね……」
俺は教師の質問に対して、返答に窮した学生のような気分になった。事実、佐々木准将は昇格するまで――あの頃は大佐だったか――、防衛大で教鞭を執っていたことがある。俺も座学では大変世話になった。
それで、問題に対する俺の返答だが、
「自分も、自身のことが分かりません」
すると准将は両目をつむり、静かに頷いた。無言のまま、ウィスキーで口内を潤す。
「分からないことを分からない、すなわち分からないということを分かっている、という意味で、君は中村くんより脳みそが柔軟なようだ」
「ソクラテスの『無知の知』でありますか」
「うむ。私の個人的解釈が多分に入ってはおるがな」
満足気に頷く准将。その瞳に促されるようにして、俺は言葉を紡いでいた。
「今回自分は、怪獣の被害を最も間近で見た者として、何としてでも怪獣を駆逐する覚悟でありました。しかし、怪獣の獰猛さ、頑健さ、そして俊敏さに、いつも振り回されてばかりです。全く、今まで自分たちは何をやってきたのか……」
俺は一旦言葉を切り、再びグラスに口をつけてみた。慎重に、気化したアルコールの香りを嗅ぎつつ、くいっと手首を傾ける。
よく飲むビールとは比べ物にならない、ウィスキーの度数。それでも、長期間醸造されてきた飲み口は心地よいもので、俺はゆっくりと、喉の奥がひりひりするような感覚を堪能した。
「どうかね?」
「はッ、さすが准将がお召しになるものとあって、大変美味であると」
俺がお世辞を言ったのではないことを悟ったのか、准将は『そうかそうか』と満足気に首肯した。
「君もビールを卒業して、何か他に好みのアルコールを見つけておくといい。いざという時、落ち着くぞ」
「は、はあ」
今さらながら、俺は佐々木准将の狙いを測りかねていた。
酒の話をしに俺を呼びつけたのか? それとも大昔の賢人の話? いや、何よりも准将の言葉にあった『いざという時』の意味するところは何だ?
「そう難しい顔をするな」
俺は返答も忘れて、准将の方を見た。
「何の意味もない、他愛ない雑談だ。深い読みはいらん」
「しかし、これでは国民に示しがつきません。今も犠牲者は増え続けております」
「では何のために、私は君の支援要員に中村くんと黒崎くんをつけたのだと思う?」
ここで『自分一人で十分です』などと言ったら、それは自信過剰も甚だしいだろう。実際、俺もそんなことは思っていない。
そうして俺が視線を泳がせていると、
「君に倒れられては困ると思ったからだ。長の不在は組織の停滞を意味する。それこそ、私が恐れていることだ」
准将はぐいと二杯目のウィスキーを飲み干す。
つまり俺という看板を立て、士気を上げ続けておくために、中村と黒崎を支えにしたということか。
「まあ、もう二、三杯ぐいっとやって、ゆっくり休んでくれ」
「しかし、中村中佐もだいぶ追い詰められているようです。戦闘記録は――」
「無論、リアルタイムで見ておったよ」
准将はすーーーっ、と長いため息をついた。
「全く想定外のケースだったといえ、殉職した者たちが生き返るわけではない」
「左様です」
「ああ、いや」
准将の呟きに、俺は同意の意を表したが、准将は顔の前で手を振った。
「今のは自戒の言葉だ。敵が何であれ、状況がどうであれ、私はいつもそう思う。きっと中村くんも、心のどこかでそう思っているからこそ、焦っているのではないか?」
「……そうかもしれません」
待てよ。それならば。
「どうして自分を呼んだのです? 中村中佐にお話すれば――」
「今の彼にそんな余裕はない」
准将は執務机に肘をつき、その上で手を組みながらそう言った。
「彼はまさに参謀型の思考をする。自らの体験をして彼のことを『冷静沈着、まれに冷徹』と評したのは君だろう?」
俺ははっとした。確かに、PKOから戻った時の相互評価でそう書いたのは俺だ。
「私は中村中佐や黒崎少佐の手腕を高く評価している。無論君のこともだ、武田少佐」
「は、はッ」
「しかし、人にはどうしても得手不得手というものがあるからな。これからの我々の動きを考えた場合、私は中村中佐よりも君に話しておきたいと思ったのだ」
准将はゆっくりと頭を左右に振りながら、執務机に目線を落とした。
これからの国防軍の動き?
中村よりも俺の方が話すのに適している?
一体何が起こるというんだ?
すると、微かに何かの唸り、振動音が頭上から聞こえてきた。大型ヘリだ。屋上のヘリポートに降りるつもりだろう。
「おいでになったようだな」
「はッ?」
「今の中村くんに会わせるには、不都合な者たちだ。私はまんざら否定的感情を抱いてはいないのだが……」
准将は再び長い吐息をつき、瞑目した。俺は何が起こっているのかよく分からなかったが、どうやらヘリに乗ってきた者たちのことを指しているらしい。
何者なのか尋ねようとしたが、穏やかに瞼をとじた准将を見るに、声をかけるのはためらわれた。
完全防弾にして『ほぼ』完全防音のこの執務室。だが、その中に居ながらにして、准将は廊下で入室する機を窺っている者の気配を感じたらしい。
「どうぞ。お入りください」
准将の口から出たのは、実に流暢な英語だった。日常会話や軍事関連の話題になら、俺でもついていける。コミュニケーションに支障はない。
問題は、どこの人間なのかも分からない、闖入者の正体だ。
「失礼します。あなたたちは外で待っていて」
「イエス・マム」
明朗に響く声――女性の声だ。ネイティヴの発音だが、少しアメリカ東部の訛りがある。俺は一体何者なのかと、余計に神経を尖らせた。
そんな俺の前で、ゆっくりとドアが押し開けられる。そこに立っていたのは、
「サラ・アンドリューズ特務中佐、只今参りました」
きっちりと敬礼を決めた、一人の女性将校だった。
青い瞳に、落ち着いたブロンドの髪が制服の肩まで伸びている。俺より頭一つ分は小さいくらいか。口元には穏やかな笑みを浮かべているが、そのキレのある挙動は、軍規に対する忠誠と任務に対する責任感の強さで満ちていた。
「長旅ご苦労様でした、アンドリューズ中佐。どうぞ気を楽に。お好きなところに座ってください」
「お気遣い感謝致します、佐々木准将。わたくしのことは気軽にサラとお呼びください」
緩やかに、しかしキビキビと歩みを進めるサラ中佐。彼女が選んだのは、テーブルを挟んだ俺の反対側だった。
「武田信義・陸軍少佐でいらっしゃいますね?」
「は、はッ!」
俺は慌てて立ち上がり、敬礼した。
返礼したサラ中佐は、懐から小型の立体映像端末を取り出した。
「今回のモンスター関連事案について、米国からの提言を携えてまいりました。国務長官より、直接日本側の責任者にお渡ししろと」
「で、でしたら官房長官や首相に……」
「そちらには既に別の者が派遣されております。わたくしは軍の人間として、日本国国防軍に派遣されたのです。鶴ケ岡首相には、米国大統領の書簡が現在届けられているはずです」
「はッ」
俺の緊張ぶり、というか突然の事態に対して困惑する様子に、サラ中佐は口元を緩めながら、
「まずは座りましょう。武田少佐もお疲れなのでしょう?」
その瞬間、俺は見透かされたと思った。彼女の目が語っている。『お前は部下や民間人の死傷に対して狼狽している』と。
俺が返答できないでいると、サラ中佐はやはりてきぱきとした挙動で立体映像装置を起動させ、
「では、お話合いに移りましょうか」
と告げた。
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