第32話

「左腕を固定しろ!」

「医務室、空いてるな? 急いで運べ!」

「怪我人を運んでいる! どいてくれ!」


 ぼんやりと聴覚に浮かび上がってくる喧騒。その中にガタン、という音が混じり、僅かに身体が揺れる。俺は薄く瞼を開いてみた。と同時に、自分が担架に乗せられ、運ばれているらしいことも察せられた。


 状況を分析する。鼻腔をつく消毒液の匂いからして、ここは病院だ。俺は怪獣の尻尾の風圧に吹っ飛ばされて、マンションの窓ガラスに背中を打った。そこまではぼんやりとだが覚えている。

 予備のパラシュートが開いたこと、ぶつかったのがコンクリート壁ではなくガラス面だったこと。この二点から鑑みるに、どうやら俺は幸運にも一命を取り留めたらしい。


 しかし、


「……」


 口が動かない。きっと麻酔を打たれているのだ。無論、身体を起こすこともできない。せめて怪獣がどうなったのかは知っておきたかったが、周囲の雰囲気がそれを許さなかった。


「武田少佐! お気づきですか!」


 部下の声がする。確かに正気ではあるのだが、それを伝える術がない。今は休めということなのだろう。俺は再び目を閉じた。


         ※


《昨日、国防軍並びにアメリカ空軍との戦闘にあった怪獣は――》

《京浜メガフロート第三区画は完全に水没し――》

《鶴ケ岡総理は早急な対処を引き続き国防軍に命じ――》


 ここまでテレビの情報を耳にしてから、俺は目を開けた。


「お気づきですか、武田少佐」


 この声は――。


「はッ、意識ははっきりとしているようです、サラ中佐」


 俺は敬礼をするか否か迷ったが、今は無理に動かない方がいいだろう。天井を見上げたまま、目玉だけを声のした方へ振り向けた。


「全く、我々がどれほどあなたの安否を気にしたか、ご自身には分からないでしょう?」


 サラ中佐のため息混じりの声に、俺は返す言葉もなかった。

 そんな中で、シャリシャリという音がする。動く右手で目を擦り、再びサラ中佐の方を見遣ると、彼女はリンゴの皮を剥いていた。


「日本では、こういう場合リンゴを怪我人に差し上げるそうですね」

「ええ、まあ」

「本当に無茶なことをなさって……」


 コトリ、とリンゴの切り身の載ったお椀が小さなテーブルに置かれる。


「奴は……怪獣はどうなりましたか?」

「姿を消しました」


 その言葉に、俺は慌てて起き上がり、


「ぐっ!」


 左腹部に走った激痛に、再び横たわることを強いられた。

 サラ中佐は、しかし冷静な面持ちで俺の顔を見返してきた。


「姿を消したというのは、どこかへ逃げ去ったという意味ではありません。文字通り消えたのです。正確には『捕捉できなくなった』と言うべきでしょうが、日本国防海軍と我が第七艦隊の総力を結集しても、発見には至っていません」

「身体がなくなった、という意味ですか?」


 無言で頷くサラ中佐。


「細胞レベルで木端微塵になったという研究者もいます。しかし、あれだけの巨体が何の痕跡も残さずに消え去ったとは考えにくい」


 今度は俺がため息をつき、目を逸らして天井を見上げた。

 しばし、中庭を飛び交う雀の軽やかな鳴き声に病室が満たされる。


「いずれにせよ、今回の怪獣騒動は決着がつきました。これ以上、怪獣の存在を肯定し続けては、世界情勢にも影響を与えかねませんから」


 そう言って、サラ中佐は肩を竦めながら立ち上がった。


「私は本国に戻ります。これでも大統領直属の特務士官ですからね」


 そうは見えないでしょう? という本音が、サラ中佐の笑みから伝わってきた。つられて俺も口元をほころばせる。


「あなたのような指揮官に会えて、良かったと思っています」

「こちらこそ」


 俺たちはどちらからともなく手を差し出し、握手を交わした。


「次のお客様がお待ちのようです。私はこれで」


 キュッ、と靴音を立てながら、サラ中佐は背を向け、颯爽と退室した。

 入れ替わりに俺の視界に入って来たのは、やはり洋子だった。美海を抱っこしている。


「すまん。心配をかけたな」


 と、軽い調子で声をかけた。だが、洋子が病室に入ってくる気配はない。


「おい、どうしたんだ?」


 俺は洋子の名前を繰り返した。この病室が個室だったのが幸いだ。

 しかし、洋子は何も反応を示さない。穏やかな顔でぼんやりしている美海を抱いたまま、自らは俯いている。

 俺は流石にどうしたものかと思い、


「おい洋子、黙っていないで何とか言えば――」


 と言いかけたその時、ドンドンドンドン、と洋子が迫ってきた。歩みに体重をかけて、音を立てながら迫ってくる。


「よ、洋子……?」


 洋子は、しかし速度を緩めずに俺に接近。そして、思いっきり握り締めた拳を俺の頬に突き落とした。

 俺は思わず呻き声を上げた。叩かれるならまだしも、グーで殴られるとは思わなかった。

 すると洋子は、俺のベッドのわきにある操作機器をいじり始めた。


「お、おい、何をするつもりだ?」


 洋子は答えない。すると、俺の背中に圧力がかかり、ゆっくりと俺は上半身を起こす体勢となった。そこでようやく洋子はキッ、と顔を上げた。凛とした表情で目を細め、俺を睨んでくる。その頬に、一筋の雫が流れたと思った瞬間、


「馬鹿!!」


 洋子は叫びながら俺の胸に顔を押しつけた。そのまま膝をつき、泣きじゃくってしまう。

 何を言っているのかは、正直分からなかった。しかし、言いたいことは察せられた。それは、言葉にできない感情の奔流だった。安堵、怒り、焦り、そしてこれが夢ではないということを確かめるかのような、もごもごというくぐもった声。


 そんな洋子の頭に、俺はそっと手を載せた。


「帰ったよ、洋子」


 すると洋子は俺の手を握り締め、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

 そして一言、


「――会いたかった」


 俺はゆっくりと、洋子の肩を抱き寄せた。


 しばらくの後、泣き止んだ洋子は、自分がどれほど俺のことを心配していたかを語り出した。一度はぼーっとしすぎて料理を焦がしてしまい、挙句火事になりかけた、ということまで。

 俺は静かに、洋子の言葉に相槌を打ち続けた。穏やかな西日が差し込んでくる。

 

 そんな時、洋子は妙な事を言い出した。


「こんな時に訊くのも変だけれど……」

「どうした?」


 洋子はゆっくりと俺と目を合わせ、


「怪獣って、名前ついてなかったのよね」

「ああ。軍内でも『怪獣』で通っていたからな」


 すると微かに笑みを浮かべながら、洋子は


「昔観た映画、思い出しちゃった」

「どんな映画だ?」

「確か、『キング・コング』ね。だってあの怪獣が暴れてる様子が、まるで伝説の巨人みたいに見えたから」

「ふむ……」


 俺は顎に手を遣った。


「俺にはクジラに見えたな。海上移動中の姿を見る機会が多かったから」


 巨大なゴリラのような暴れっぷりと、クジラのような外見。


「そうだな。敢えて言えば、ゴリラとクジラを組み合わせた名前がいいんじゃないか?」

「どういう意味?」


 そうだな……。


「奴の、名前は――」


THE END

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怪獣戦線異状アリ 岩井喬 @i1g37310

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