死人に口無し
EPISODE 006 「死人に口無し」
突然の襲撃で判断が一瞬遅れた事、そして何より自らの生存を第一に考える事――もっともそれ自体は戦士として優秀な行動パターンであったものの、それらの要因によって対応を後手に回された結果が招いたのは、容疑者である稲船に訪れた突然の死であった。
襲撃、そしてその狙いがハナから二人の戦士ではなく、より脆く弱く殺しやすく、そして情報を持った男の口封じであると気づいた時、戦士たちは顔を歪めた。
「追うぞ!」
霊銀は屋根を飛び越えながら襲撃者を追いかける。後に続く呑龍は屋根の上で足を止め、膝立ちとなって左腕を前に突き出す。
「能力発動」
呑龍が小さく呟くと、左腕はみるみるうちに粘土のように形を変え、その肘から先はスコープ付きのボルトアクションライフルが腕部と融合したかのような異形の形をとった。
彼のそれは独特な射撃姿勢だった。呑龍は腕部ライフルに生じたスコープを彼の利き目である左の目によって覗き込むと息を止め……左手の指先に生じた引き金を引いた。超常を為す現実改変の力「エーテル」によって創られたライフル弾が音速を越えて飛翔し、襲撃者の背中を狙う。
弾丸が襲撃者の肩をかすり、敵はバランスを崩して転倒する。しかしほとんど流血はない、弾丸の命中の瞬間、男の全身を半透明の膜が包み、それが弾丸の威力を削いだのを霊銀は目視した。
霊銀は距離を詰めてゆくが、襲撃者も追いつかれまいと起き上がり、走る。
呑龍は右手で左腕ライフルの
今度は血が出たが、やはり深手とはいえない。
ライフル弾というのは本来は非常に強力な代物だ。殺傷力が非常に高く、肩に受ければ肉骨舞い、背中に受ければ血の華咲かせ、腹で受ければ
――そう、本来であればそれほどまでに強力無比なものである。ゆえに、通常この一撃を受けて立ち上がれる人間はいない、
ただしこの世界では”真人間相手”ならという注意書きがつく。
背中から血を流しながらも襲撃者は走った。致命傷ならずとも狙撃による負傷で敵の動きがやや鈍ったのを見逃す道理はない。霊銀は更に間合いを詰め追いつこうとする。
襲撃者は振り向き、二丁目のピストルクロスボウを霊銀に向けた。霊銀は両腕を銀色の金属体へと硬化させ瞬時に構えを取る。
襲撃者は引き金を引いた。弦が風を切る微かな音が空気を揺らす。霊銀は
クロスボウの矢が霊銀を貫く事はなく、金属同士のぶつかり合う音が弦と矢が空を斬る微かな音を塗り潰した。霊銀は金属の腕で矢を見事払いのけたのだ。
「弾いただと!?」
敵の技量に襲撃者は目を剥く。
「たわけ、戦車砲を受け流すより容易いぞ」
反撃を防いだ霊銀は急接近し、牙をむき出しにして襲撃者へと飛びかかった。
――だが、そこに新手が割って入った。新手は霊銀の貫手を上段受けで受け流すと、カウンターの縦拳を放ったのだ。霊銀はカウンターの拳を難なく払い受け流すも、どこからともなく出現した新手の存在に顔をしかめる。
飛び離れ、三者は睨みあう。
「タヒバリ、来たのか」
クロスボウの襲撃者は霊銀との間に立った新手の背中に向かって呼びかけた。
「不安だったからな。リコー、立てるか」
「平気だ……この程度」
【リコー】と呼ばれたクロスボウの襲撃者は背中の傷口を手で触って確かめ、肯定する。
「お前ら、何者だ」
霊銀が新手の正体を問いただすと、【タヒバリ】と呼ばれた男はこう答えた。
「我々は革命の闘士」
「なるほど、死ね」
返事を聞き終わったか聞き終わらないかの間に霊銀は問答無用の殺人貫手を放つ! ……がそれは虚しく空を切った。
一秒前まで奴らはここに居た。だが貫手を放った今、その先にはタヒバリも、リコーも居ない。
「焦るな米帝の犬」
遠くから聴こえた声に霊銀は横を向く。タヒバリはリコーを抱え、霊銀から20メートル近い間合いを既に稼いでいた、一度の跳躍で殴りかかれる距離ではない。
タヒバリは遠くから霊銀を睨む。
「お前をここでくびり殺してやっても良いが……今回の我々の使命ではない。
そう言い残し、タヒバリはリコーと共に消えた。
奴は一体どのようにして現れ、どのように消えた……? どこか近くに潜伏し息をひそめていた、違う。単なる手品でまだすぐ近くに隠れている、違う。
奴は……タヒバリはは何もない虚空から突如として現れ、仲間とおぼしき男と共に虚空へと突如消えてしまったのだ。そこに理屈も何もない。
「瞬間移動か」
追いついた呑龍が霊銀の背後の屋根に降り立ち、呟いた。
「ああ、そうみたいだな」
瞬間移動、西洋ではテレポートと呼ばれるそれは一般人の常識でいえば余りに荒唐無稽な発言。だが霊銀は呑龍の意見を微塵にも疑うことはなかった。戦時中に二度ほど、シンガポールと樺太で敵軍にテレポートの使い手を見た事があったからだ。
超能力、異能力、神懸かり、魔法……呼び方は何でもいい、表向きには世間で否定されるそれらの力が存在する事は一部の軍人や権力者、闇の世界の住民などにとっては周知の事実となっている。
「「
先ほどの襲撃者、タヒバリとリコーはほぼ確実に”同類”だろう。霊銀も呑龍も強さで他者に引けを取ることはないが、逃げるテレポート能力者をこの闇の中で追いかける手段は持ち合わせていなかった。
呑龍は二名の追跡を断念し、先ほどまで敵が居た場所に背を向ける。霊銀もそれに続いた。
「口を開くだけでぶっ殺したくなるようなムカつく野郎だったが、実際に死なれるとなあ……」
現場に戻り、物言わなくなった稲船の前で呑龍は屈みこむと、渋い表情でジャケットから
「おい野郎、さっきの連中は何だ? 仲間か? お前を殺さなきゃいけなかった理由は何だ? お前は何の情報を握っていた?」
「……お前も何か聞いてみろよ」
呑龍は煙草を銜えたまま霊銀へと振り返る。急に話を振られた霊銀は
「ハムスターが地球を支配する事についてどう思う?」
と茶化した問いをひねり出してみせた。
「ハムスター? 何だそれは。食い物か?」
首をかしげて呑龍が尋ねた。数十年後の日本では飼育用動物としてありふれたその名も、その当時の日本では知られていない動物名であったからだ。霊銀は簡潔にこう説明した。
「飼育用のキヌゲネズミのことだ。可愛い生き物だぞ」
「だとよ、俺は悪くないと思うぜ。お前はどうだ? それとも何か喋る気になったか?」
呑龍は同意を求めるようにして稲船に語りかけたが虚しいかな、すべては茶番でしかなかった。頭部を貫かれた彼はもう二度と何か言の葉を口にすることはないのだ。呑龍は煙草の煙と一緒に大きなため息を吐いた。
「……ハァ、寂しいぜクソ野郎、あんなに雄弁だったのによ」
いつまでもこの茶番を続けていても仕方がない、稲船は死んでしまったがそれだけでは仕事がなくなった事にはならないし、むしろやらねばならない仕事は増えたとみるべきなのだ。二人は稲船の亡骸の額に刺さった矢を見た。
矢は弓矢のそれにしてはやや短い、クロスボウ用の矢であって闇の中にあっても輪郭がはっきりとするような銀に輝く矢であった。
呑龍が死体に直接触れる一方で霊銀が小型の懐中電灯を取り出し地面を照らす。
懐中電灯は高価な代物であるため見せびらかせばあっという間に盗みの対象となってしまう。特に治安のよくないこの辺りで使う事は
「
「油断できんぞ、拳銃ほどには音が出んからソビエトのスパイが好んで使う暗殺武器だ」
「時間が経っても消えてない……それにこの手触りは能力生成の代物じゃないな、実体物だ」
呑龍は確かにそう言った。実力は置いておき、兵士として、また能力者としてのキャリアは呑龍の方が上だ。彼がそう判断するならば、そこに疑いの余地はなかった。
この世のあらゆる武器にはおよそ二つの代物がある。一つは地球の物理法則に則り、純粋な科学技術のみによって創られた実物兵器、あるいは実物弾。
もう一つはこの世の理を逸脱した狂気の法と、
呑龍の肉体変形能力とそれに伴う弾丸の発射は後者にあたり、今回稲船の頭部に突き刺さったそれの方は……前者にあたる。
稲船に突き刺さった矢に触れていた呑龍が突如違和感のようなものを覚え、表情を険しくする。
「ん、こいつは……」
「何だ」
「メッキだ、銀が塗ってある。見ろ、字も彫ってあるぞ」
霊銀が覗き込むと呑龍の言った通りであった。矢には小さく漢字が彫ってある。
「つまり……?」
「こいつは対能力者用の破魔矢だ。古典的だが能力者に対して普通の奴より効き目が良い。超越者、もしくは能力者の血か骨が混ぜてあるだろうな」
「なるほど」
「さっきの連中二人は間違いなく俺たちの”ご同類”……能力者だが、能力者対策の破魔矢を作るだけの知識と技術を持ってる連中は限られてる」
「”ただの野良”ではない、ってことか」
「そうだ……ほら、クソが、案の定だ。ありやがったぞ」
呑龍は悪態をついて煙草を地面にペッと吐きだす。消えかけた煙草の先端の弱く淡い赤の熱の色が闇の中で強調されていた。
稲船の胸ポケットから取り出したのはピンバッジ状の物体である。青背景の下部に白い小さな星、その星を打ち付けるようにして赤い杭と赤いハンマーが描かれていた。
「そいつは?」
「組織名は【赤の
呑龍はバッジの正体について答えると、苦笑いによって傷ついた頬の傷を引きつらせながら相棒にこう告げた。
「霊銀……これから楽しくなりそうだぞ」
第二次世界大戦によってドイツ第三帝国は滅びた。大日本帝国もまた滅びた。
アメリカの主導によって打倒帝国主義の夢は成った。
だが夢はそこで終わりではなかった。
その後の世界には、更なる夢が広がっていた。
――――打倒、共産主義。
冷戦、それは彼らの描いた崇高な夢だった。美しい未来だった。
かつて日本もその夢を共有する仲間だった。
真っ赤な血で染まりきった新しい夢の中に、霊銀と呑龍は引きずり込まれていった。
EPISODE「夢の香りを追って」へ続く。
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