戦いの鐘が鳴る:4


EPISODE 017 「戦いの鐘が鳴る:4」




 呑龍が左の指で引き金を引いた時、空を裂くかというほどの雄々しい帝國の獣の咆哮が東京の闇に響いた。彼は右手を遊底ボルトに伸ばすと、少年時代から何千回、何万回繰り返したかさえもわからない手慣れた手つきで素早くそれを上げ、引いた。


 現実改変物質「エーテル」によって複製された薬莢が雨の中にゆっくりと舞うのを呑龍は見た。この時、土塊となって崩れた分身兵の亡骸から一緒になって崩れ落ちる銀の矢は、まだ地面に到達していなかった。


 彼は次弾を放った。一発目の銃撃音の残響に、二発目の銃撃音が重なった。呑龍はやはり、手慣れた非常に素早い手つきで遊底ボルトを動かし排莢を行い、三度目の引き金を引いた。


 反撃を察知したリコーは判断を迫られた。すなわち回避か、応戦かだ。リコーは回避は機を逃すと判断し撃ち合う事を選択した。そして素早い手つきで矢をつがえようとしたが、今度は呑龍の方が遥かに早かった。



 ――――弦を引こうとしていた矢先、右腕に鈍い衝撃が伝わった。呑龍の放った7.7x58mmの小銃弾が腕に命中したのだ。


 固有の能力に加え、超人的身体能力を併せ持つ戦闘能力者サイキッカーには怪力や優れた身体能力のほか、「エーテルフィールド」と呼ばれる不可視のバリアが標準能力として付く。


 今まさにそのバリアが起動している。無論、小銃弾による人体の破壊から能力者を保護するためだ。右腕の被弾個所に薄緑色の半透明の膜が浮かび上がり、それを食い破ろうとする小銃弾と力比べを行った。



 勝ったのはバリアの方だった。呑龍の魔力によって生み出されたエーテル小銃弾はバリアを突き破れずに圧潰、炸裂し雲散した。


 しかしダメージにこそならなかったものの、破壊エネルギーをぶつけられた衝撃だけは腕に残り、リコーは矢を取り落とし、右手は跳ねあげられた。


 それまで完璧な重心を保っていたリコーのバランスに乱れが生じた。追撃は更にやってきた。二発目が左肩に、三発目は左脚に命中した。その度に彼のエーテルフィールドが起動し、常人が受ければ一発で臓物を散らすような殺人的エネルギーから彼の命を守り切った。


 呑龍は四発目と五発目も撃った。ボルトアクション方式の射撃方法にも関わらず、まるでガーランドでも撃っているのかというほどの神速の射撃速度だった。



 四発目は外し空を切った。五発目は腹部に命中した。腹部への被弾もやはりエーテルフィールドが守ってくれた。だが、今度は完璧ではなかった。


 微かな痛みを覚えたリコーが屈みこみ左の腹に手を当てると、衣服に穴が開き、そこから血が出ている事に気が付いた。


「ぬうっ……」

 リコーはクロスボウに手を伸ばそうとしたが、五発を撃ちきった呑龍は既に物陰へと走り逃げていた。短機関銃の発砲音が聴こえてきたが、こちらではなく【テルヤマモミジ】の放った分身兵団めがけての射撃のようだった。


 この闇の中でこれほど素早く、正確に当てて来るとは。隠れたリコーは再度自分の負傷を確かめる。腕、肩、脚は出血こそないが、ハンマーで殴られたような鈍い衝撃がまだ残っており、ジンジンとする。


 腹部はというと出血量は少なく、銃弾は肉で止まったようで内臓までは達していない。かすり傷のようなものだ。

 だが油断はできない、四発ものエーテル弾を連続して受けた事によってバリアが減衰し、ダメージを許したのだ。

 今はまだかすり傷で済む。だがこれが続けば最終的にはバリアを破壊され、命を落とす事になるだろう。敵が油断ならぬ強敵であることをリコーは認識しなければならなかった。




 ★



 松竹館の一階はキリングフィールドと化していた。全身を銀色に染めた悪鬼は迫りくる分身兵をちぎっては投げ、ちぎっては投げといった風に弄んでいた。霊銀は分身兵の首を撥ね、喉を潰し、貫手を腹に放っては臓物を引きずり出し、一体、また一体と減らしてゆく。


 これでも相当凄惨極まる光景だが、能力者【テルヤマモミジ】の分身兵は絶命するとその血や臓物も含めて消滅してしまうので、後にまでは光景の残らない事だけが幸いである。そうでなければ一階部分は今頃ソ連の大粛清で知られたニコライ・エジョフの個人的な拷問部屋と見まごう素晴らしい場所になっていただろう。


 もう一つ幸いな事もある、この恐るべき光景の目撃者も居ない事だ。常人がこの光景を見れば即不定の狂気に陥っていたであろうが、従業員は女将も含め既に分身兵に暗殺された後であったため発狂の難を逃れることができた。ある意味。




 霊銀はあらゆる殺人技を試すついでに分身を殺し続ける。

 いわゆる「分身の術」に対する攻略法は明確だ。本体を見つけだして直接叩くか、あるいは理論上、分身の全てを破壊し尽くしてしまえば良いのだから。


 もっとも、前者はどこに隠れているかを突き止めなければならないし、後者の場合も敵の生み出せる分身の限界数がわかった上で、それを上回る殲滅力であたらなければならないのだが――。



 呑龍の放つ短機関銃の制圧射撃音が外から聴こえる頃、霊銀は敵の分身のキリのなさに悩み始めていた。こうして一階ロビーにて侵入してくる分身兵を絶え間なく殺し続けているものの、それと同じだけの増援が送り込まれてくるからだ。


 分身兵がいくらトカレフTT-33拳銃を撃ったところで霊銀には傷一つつかないが、分身をいくら痛めつけてた所で、それ自体は楽しいものの、本体の男は恐らく痛がってはくれないだろう。


「まったくこんな玩具オモチャで……俺が殺せるかって!」

 霊銀は分身兵の手首を手刀で斬りおとして銃を奪うと、呆れた物言いでトカレフの引き金を引いた。

 霊銀の銃の腕前は大変よく、精確なヘッドショットで分身は次々倒れてゆく。銃は良い、この程度の自動拳銃など玩具オモチャに過ぎないが、健全たる男子は玩具を好むものだ。何よりこいつらは良い射撃練習になる。



「おいアカ共! 玩具オモチャが足りねえぞ! 俺を殺すつもりならもっと良い玩具を持ってこい!」

 一番の不満はスリルの不足だ。せっかくの戦いだというのにこの程度では拍子抜け、もっと手ごわい奴はいないのか。そうしていると挑発に応じたのか、玄関側の先にトカレフとは全くもって異なる武器を持ち運んでいる分身兵がやってきた。


「おっ!」

 その武器を眼前に認めると、霊銀の顔が思わず笑顔になった。玄関の向こうの路上で膝立ちとなって構えるその武器は後の対戦車ロケット榴弾の始祖となる武器、パンツァーファウストであった。


 ナチスドイツの武器であるはずのそれが、どのような経緯で目の前にあるのか霊銀は思いを馳せる。



 ――――ああ、ちゃんと面白いオモチャもあるじゃねえか。アカにしては結構だ。あれはパンツァーファウストか、戦争後期に生産された100メートルモデルだろうか、この距離からだとちょっとわからないなあ。ソ連の奴らが大量に鹵獲してたはずだから、その横流しだろうか、呑龍の言ってた通りソ連が後ろについてるってのは本当らしい。

 ああ、せっかくだから他にも色々持ってねえかなあ、戦車とか、戦艦とか、装甲列車とか。そういやナチスといえば、チャーチルとかT-34とはやりあったがティーガー戦車はお目にさえかかれなかった。一度戦ってみたか――――



 パンツァーファウストは厳かに発射された。分身兵が両側から飛びつき、霊銀の動きを抑えようとした。

 霊銀は上機嫌で鼻歌を歌いはじめていた。ベートーヴェンの交響曲第九番第四楽章の、いちばん良い所だった。


 襲い掛かって来る分身兵に対し、霊銀は手に持っていた二丁のトカレフの残弾を使って彼らを撃ち抜いた。敵から見れば拘束を逃れるための苦し紛れの行動に見えただろうが、本人は単に小太りの中年男に抱き着かれるのが気色悪かっただけ、というのが理由であった。


 完全回避は困難でも、直撃を回避する事自体は可能であった。だが霊銀は残弾を撃ちきったトカレフを放棄すると両腕をクロスさせ、重心を低くして正面からこれに立ち向かった。


 ――――着弾。霊銀に命中したパンツァーファウストは大爆発を起こした。装甲貫通力200ミリ以上、第二次世界大戦中の戦車すべてを葬る事が可能だったといわれるほどの破壊力がたった一人の人類に対してもたらされた。


 その破壊力は尋常ではなく、巻き添えになった数名の分身兵は即死し消滅、松竹館の一階ロビーは白煙によって何も見えなくなった。



 霊銀は? 霊銀は――――嗚呼! なんということか! 壁にまで吹き飛ばされた霊銀は爆破の衝撃によって右腕と頭部の半分ほどが吹き飛んでしまっており、見るも無残な姿となり果てていた。

 南無阿弥陀仏、この男は生前罪を犯し――――いや、おおよそ罪しかないような男であったが動物には優しかった。彼は来世ジャンガリアンハムスターとして生まれ変わるであろう。




 無残な姿となった霊銀をよく確認しようとテルヤマモミジの分身兵たちの一体が霊銀に近づく。全身銀色の硬化状態は続いているがひどいものだ。しかし革命に仇なす愚かな帝国主義の亡霊にはお似合いの最期だといえる。


 だが、その時顔の半分の吹き飛んだ霊銀の表情が動いた。ニヤリと笑い、残された銀色の片目が朱く輝いたのである。


「馬鹿な!?」

 テルヤマモミジの分身兵が狼狽するが、霊銀は構わずネックスプリングによって跳ね起き、鋭き手刀によって分身の首を撥ね飛ばす。

 ボトルネックカットした首からは間欠泉のように血が噴き出て、分身が土塊へと帰ってからはすぐに消滅した。



 ――――いくら硬化能力者といえど、平均的な硬化能力者は頭部を損傷すると死に至るはずである。ゆえにセオリー通りに超能力者同士の魔術戦をみるならば、テルヤマモミジの判断は教科書通りであるし、正しいはずだった。


 過ちは、霊銀が硬化能力者としては非凡であり、その可能性を警戒できなかったことだ。


「もっと! もっとだ! その程度じゃ俺は死なねえぞアカの兵隊ども! 俺を殺したきゃ核兵器でも持ってこい!!!」


 帝國の獣は共産主義の尖兵へと叫び狂いながら挑発を行う。砲撃によって半分頭部が吹き飛んだせいで彼の理性のタガはいっそう外れ、今では戦闘行為の高揚と脳内麻薬のもたらす快楽に支配されていた。



「ならば! 核にも勝る革命の拳によって貴様を成敗してやろう!」

 霊銀の挑発に応える者あり! 何者か!? パンツァーファウストによって半壊した松竹館の一階ロビーに踏み入り、瓦礫を越えて飛びかかってきたのは鉄色の中に深紅の模様の混じった全身金属体の能力者である!


「団結!!!」「オラァッ!」

 新手は飛びつき右拳を決断的に放つ! 霊銀も無事な方の拳で迎撃! 互いの顔面に命中するクロスカウンター! 霊銀は割れた窓ガラスから建物外へと押し出され、新手の能力者も霊銀のカウンターパンチを受けて頭から天井に突き刺さる。


 新手の能力者は天井を両手で押し首を抜くと崩落しかかった一階ロビーに降り立ち、その鉄の拳を高く掲げる。


  「赤の楔」所属、「硬化」能力者【鉄(クロガネ)】が出現!


「ガンバーーーローーーウ!!! 応ッッ!!!」

「「「ガンバーーーローーーウ!!! 応ッッ!!!」」」


 新手の能力者は奇妙な自己暗示の祈りを唱和チャントすると、その後ろからやってくる分身兵もそれに応え、ロビーを震わすシュプレヒコールを行う! 能力者同士の魔術戦ころしあいに於いてはこうした行いも一種のまじない、魔術儀式として一定の効能を有し、能力者の力を底上げするのだ。



「お前が次のアカか!? いいぜ、ぶち殺してやる、樺太からふとで大勢殺った時みたいなぁ!」


 興奮状態にある霊銀はまるで薬物中毒者のように朱い瞳をギラギラと輝かせ、雨に濡れながら片手で手招きして挑発し続ける。失われた頭部と片腕が徐々にせり上がり、立峰の魔力エーテルと引き換えに自己再生を開始していた。


「どうやらアメリカの新しい駄犬は狂犬病にかかっているらしい! この熱き革命の意志によってその病を正してやろう!」


 挑発を受けて立ったクロガネは疾走し、霊銀の転落した壁ごとぶち抜く強烈なタックルで霊銀へとぶつかる。戦闘支援のためにテルヤマモミジの分身兵も集団で彼らを追った。



EPISODE「戦いの鐘が鳴る:5」へ続く。

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