呉越同舟


EPISODE 027 「呉越同舟」




 厚木基地から飛行機で2時間弱ほど、米軍の輸送機に同乗して京都へとやってきた保安局の主張組であったが、原子の炎によって焼かれ、貧困と犯罪、そして絶望に打ちひしがれる京都市方面に用事は無い。実際に用があったのは日本海側の街、舞鶴の方である。


 ここも例に漏れず、人々は戦後の貧困に苦しんでおり、米軍のトラックに揺られていると痩せ細った坊主頭とざんぎりおかっぱの子供たちが何か恵んで貰えると思って駆け寄ってこようとするのだ。

 追い突こうとしても定命者の子供達では車に追いつく事などできず、徒労のうちにみるみる遠ざかっていく。霊銀はそれを視界にも入れず本を読んでいたが、翠嵐の方は子供達を哀れに思ったのか、板チョコと飴玉を道へと投げ捨てる。

 遠ざかってゆくその向こうで、子供たちがそれを一生懸命拾い、探し……そして奪い合い、傷つけあっていた。翠嵐は、軽い溜息をついた。他人の溜息を聞く事が近頃増えた霊銀であるが、この時代に病むなという方が無理筋であるし、病んでおらず健康な心身の霊銀の方がかえって異常であることは自覚している。


 ――いや、今日はもう数人、病んでいない人間が居る。同行してきた登戸研究所の科学者は、目をギラギラとさせながら自身のノートを読みふけっていた。恐らく、子供の存在にさえ気づかなかっただろう。


 結局、病んでいない人間もそれはそれでどこかが壊れていたり、おかしかったり、ズレていたりするものなのだろう。



 舞鶴港に着くと、そこからは日本人が通常立ち入れない区域に差し掛かり、子供など日本の民間人の姿を見る事はなくなった。代わりに、一際目を見張るものを霊銀たちは目にした。

 大きな船、いや、軍艦だ。それも戦艦クラスの巨大な代物である。それを横目に港の奥まで進んでいくと、今回の協力者たちが戦艦の近くに立っていた。


「ジャパニーズ・セキュリティ・サービスの皆さん、舞鶴へようこそ。アメリカ海軍中尉のフォウンテインです」

 車を降りると、海軍服の男性が笑顔と挨拶で迎えた。つい2~3年ほどまえまでは鬼気迫る表情で殺し合っていた相手である事を忘れそうな笑顔だった。


「代表者の方は?」

 フォウンテインが尋ねると、細身の科学者が霊銀と翠嵐の間からぬっと現れ、手を差し出した。

「あー、私です。新帝國保安局、登戸研究所第三開発部主任の鷺沼さぎぬまと申します。こちら、超能力者サイキッカー2名、超越者オーバーマン1名となっております」

「承知しています」

「私は……【アンシンカブル】。サン・ハンムラビ・ソサエティ、ソルトレイク本部の者だ」

 続けて挨拶したのは、非常に背丈の高い金髪の男だった。霊銀も、翠嵐も、日本人としてはかなり体格の良い方だが、アンシンカブルを名乗るその男の顔を見るのには首をかなり上に傾けなければならない。西洋人としても相当に大柄だ、2メートルを超えているかもしれなかった。


「ハンムラビ……ああ、噂の魔術結社……」

「そうだ。今回の任務に関して、お前たち日本人は色々思う事もあるだろうが……お互い紳士的に頼む」


 霊銀がアスタロトから言われていた事を思い出す。確かにアンシンカブルの胸チョッキにはアクスレピオスの杖の紋章にも似た、剣に巻き付いた蛇の紋章、それとその下に小さく「USA」の国際記号三文字の表記がある。

 魔術結社というからもっと細身の老人老女が出て来るものと思っていたために少々意外だ。


 アンシンカブルはその巨体のわりに暗い表情で、大人しい印象を与える男だった。彼は足早に保安局の一同に背を向けると、白装束を着た修道士・修道女の一団を引き連れて船へと向かう。

 霊銀は、その一団の中に一人だけフードを被った少年が混ざっているのに気が付く。フードの中からケロイドで焼けただれた醜悪極まる顔が覗き、霊銀を一瞥すると無言のまま去っていった。



「彼はシャイなんだ。今回君たちにはこの船、戦艦ノースカロライナに共に乗船し、日本海上での臨検に協力して貰うつもりだ」

「ノースカロライナ……アメリカに戻った後は退役したと思っていたが」

 翠嵐がぽつりと呟くと、それを耳にしたフォウンテインはその発言に食いついて言った。

「表向きはね。しかし詳しいね、確かにこいつは二年ほど前にニューヨークでオーバーホールをしている。君は戦時中、海軍にでもいたのかい?」


「いや……、そういうわけじゃない。……こっちの資料で見ただけだ」

 そう答える翠嵐は、その後しばらくの間、戦艦ノースカロライナを見つめたまま一言も発しようとしなかった。



 ★



 かくしてノースカロライナに乗り込み、臨検に向かった霊銀らであるが、特にその日は何も起こらず暇なものだった。特に霊銀の立場は半ばゲストとしての立場であり、船員としての仕事もあるはずがなく尚更といったところもある。

「フォールド」

 翠嵐はそう宣言するとカードの手札を船室の床の上に置く。5枚の手札全てがクラブで統一されており、フラッシュの役が成立していたが、彼はいとも簡単に勝負を降りた。


「またか」

 霊銀が口をへの字に曲げて自身の手札を置いた。5枚の手札の内訳はハートの5,6,7,8,9……ストレートフラッシュ。翠嵐の役も良い役ではあったが、霊銀の役はそれよりもより良かった。


「だから、俺とカードをするとつまらんぞ、と言ったろう」

 ポーカーはずっと翠嵐が勝ち続けていた。とは言っても、霊銀の方に良いカードが行く事はしばしばある。だが有利な時に限って翠嵐は必ずフォールドし、逃げていく。予定調和によって完結する武術の型稽古を朝から夜まで行っているような気分になりそうだ。


「もう一回やったらどうなる」

「お前はノーペアで、俺は9割ぐらいの確率でツーペアになる」

「1割は勝てるか?」

「無理だな」

「試したい」

「良いとも」

 翠嵐は霊銀の希望に応じ、もう一度ポーカーを行った。霊銀はすぐに手札を表に出した。翠嵐の宣言通り、役が全く揃わなかった。


「ん……スリーペアだったか……」

 翠嵐は自身の手札を見ると方眉を吊り上げ、そして見せびらかした。スリーペアで、宣言から多少ズレた。だが勝敗は変わらなかった。


「”それ”は未来予知の能力なのか?」

 霊銀は翠嵐の能力について尋ねる。翠嵐はウイスキーをグイとストレートであおってから、気難しそうな表情で回答を行う。

「いつもその話になるが、そんな万能なものじゃない。未来がこうなるかもしれないと「予測」できるだけだ」

「具体的な差がわからん」

「未来は変わりやすいから確実性がないし、それが遠い時間の出来事なら尚更だ。霊銀、お前は占い師に未来を占ってもらった事はあるか?」

 すると霊銀はこう答えた。

「親が占い師の言う事を信じて、借金して株を買ったり、わけわからん事業を始めたりしてた」

「良くなさそうだな」

 すると霊銀はこう言った。

「いや、良かったよ。ソ連が満州へ南下してきた時に死んだ。だから、その手のは信じない性分でね」

「それは……気の毒だったな」

 それは翠嵐の本心から出た言葉だったが、霊銀は両親の存在を気の毒とは思わなかった。クズだった、霊銀に生まれて来た苦しみと、世界を嫌悪するきっかけを与えてくれた人たちだった。


「気の毒? まさか。俺は俺が畜生である事を自覚しているが、あの二人はもっと畜生で、おまけに欲深く、何より最悪なのは買春までするセックス狂のくせに自分を天皇より偉いと本気で思い込んでいた事だった。救いようがなかった。だから満州であれらが死んだ時、俺は「良かった」と思ったんだ」

 霊銀はそのように”自身の製造者”の事を振り返る。その口調には明らかな嫌悪と侮蔑が込められており、いつも冷徹な男があまり見せないような表情さえ顔に浮かべていた。翠嵐に過去は視えないが、それでも両親への嫌悪が今の霊銀の性格を作る原因になったのだと察する事が叶った。


「……そうだったか。ウイスキーだが、要るか?」

 翠嵐は好意で酒を差し出したが、

「俺は酒はあまりなあ……」

 と、霊銀は微妙な表情をする。


下戸げこか」

「そういう訳でもないが、飲むと一日頭が回らなくなるし、何より後がなあ……」

「どうせ明日のお前はやる事がないぞ」

「それも予知か?」

「ま、そんな所だ」

「そうか……確かに船の中は暇だ」

 言われて霊銀は室内を見渡す。戦艦といえど、軍艦の生活スペースは基本的に狭い。かといって甲板に出ても、冬の海の風には極力当てられたくないもので、出来る限り暖を取れる場所で温まっていたいのが心情だ。……そして、暇つぶしも限られている。永遠とトランプをするか、本を読むかぐらいしかない。


 悩んだ霊銀は……結局ウイスキーを飲むことにした。別に酒はそこまで好きなわけでもないが、その時のきまぐれというやつだった。

 翠嵐から受け取ったウイスキーを手に取ると、度数40%のそれをタフにごくごくと、水を飲むも同然のように飲んだ。


「なんだ、飲まないというわりにはなかなか強いじゃないか」

「基本的には飲まないけどな……まあ、たまにだ」

「そうか」


「フー……俺は畜生だが、そんなに欲はない。山奥にでも小屋を建てて、そこで静かに暮らせれば、それでいい。あいつらは違った。欲だけの生き物で、頭にあるのは金とセックスと権力ばかり……そんな畜生のくせに神に縋ったり占い師を信じたり、俺には理解できなかったね」

 酒が急速に回った霊銀は、繰り返すように吐き捨てる。心底嫌っているようだった。


「両親は能力者だったのか?」

 翠嵐が尋ねると、霊銀は首を横に振る。


「いいや、そういう連中の存在は知っていたみたいだが、本人らは普通の人間だった。俺が一番そういうものを信じてなかったんだがな」

 霊銀はこの世の理不尽を鼻で笑い飛ばした。神を信じていた連中に神の加護は無かったし、一番それを信じておらず、超自然的・魔術的なものにも懐疑的だった自身がそれらの力に触れて生きる事になったのだから、本当に皮肉なものだ。


「神を信じていようがいまいが、死ぬ奴は死ぬし、畜生は畜生のままだ」

「神を信じただけで高潔になったつもりになれる人間が存在する事については、同意する……全部飲んだのか」

 そう答えて、翠嵐はもう一口ウイスキーを飲む。もっと飲もうとしたが、もう中身がなかった。


「さっきの話の続き……未来予知の話だが」

「ん? ああ」

「質の差こそあるが、予知能力者なんてものはその辺の占い師の中にも居る」

「まあ、そうだろうな」


「発火能力や転移能力に比べて外見的に目立ちにくいだけで、街の占い師程度の微弱なものも含めれば、実際の所かなりの予知能力者が居るはずだが……問題が出て来る。仮に、全世界で20万人の予知能力者が居たとするだろう?」

「そんなにいるのか?」

「さあな、だが居てもおかしくはない。その内10万人が資本主義者で、10万人が共産主義者だったらどうなると思う?」

「殺し合いにはなるだろうな」

「……そんな所だ。さっき俺がポーカーで今ツーペアにならなかったように、未来予知なんて簡単に誤差が出てくるし、祈祷師に妨害もされるし、更に予知能力者同士、その関係者同士で綱引きが始まる。つまりだな、俺が言いたい事は「”未来”なんてものには他人が思っているほどの優位性はない。」……ということだ」


「なるほどな。言いたいことはわかった。……だが、多少未来を予想が出来るなら、今回の臨検もどうなるか予想があるんじゃないのか?」

 霊銀が鋭い所を突いた。酒は回っていたが、本人が自分で言うほどひどくはなかった。

「どうだろうな、視えるビジョンは先の時間になるほど不正確だ」

「俺は明日暇なんだろう? なら、ずっとそのまま暇って事か?」

「分かった、お前には言っておく。他組織には言っていないが後三日ぐらいするとこの船が不審船を発見する、赤軍の偽装船だ。そこで戦闘になるから楽しみにしておくと良い」

「それは楽しみだ。敵に能力者は?」

「魔術戦にはなるが、精確な規模まで見えるわけじゃないぞ。未来は当然変わるし、相手も祈祷師を使って予知妨害を当然している。不自由な能力だ」

「十分便利にも思えるがね」

「そうでもない、見えるのはいつだって嫌な事ばかりだ。――そんな事って、あるだろう?」

 翠嵐は立ち上がり、自嘲的な笑みを浮かべようとした。しかし彼が脳裏にフラッシュバックの如き幻覚を見ると、引きつった笑顔に怒りと空虚が混じった、奇妙な表情になってしまった。


「どこか行くのか」

「ああ。良い暇潰しになった、俺は用事が出来たのでな、少しふらついてくる」

「そうか、俺は寝る」

 翠嵐の態度に異変は感じたものの、霊銀はそれを大して気にもかけなかった。霊銀はあくびをすると、二段ベッドに上がって目を閉じる。

「ああ、よく眠れ……」

 扉の締まる音が聞こえた。聴こえたはずの翠嵐の声は、5秒も数えぬ内に霊銀の記憶から消えてしまった。二人が飲み干したせいでウイスキーの瓶は空っぽで、トランプと一緒に床に転がったままだった。


 霊銀は揺れを感じていたが、酔っているのか、それとも船の揺れなのか、あるいはその両方なのかわからなかった。


 だが、眠れそうではあった。




EPISODE「酒瓶が呼んだパラドックス」へ続く。

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