畜生の条件


EPISODE 026 「畜生の条件」




 立峰こと霊銀は、職場にやってきた池野を久しぶりに見た気がした。目にしたのはその日の夕方に差し掛かる頃、件の魔術結社との共同任務に向けていくつかの事務書類を作成し終えた立峰は机に突っ伏して瞳と脳を休めているところだった。

 聞きなれた声に薄目を開けて、顔を少しだけ上げるとそこには識別名「呑龍」――池野 潤一の姿が視えた。彼はオフィスを行き来していた局長アスタロトをその場で捕まえて立ち話をしている。


「アスタロト局長、工作員「呑龍」、本日より復帰致します」

「ご苦労、組織の近況については既に連絡の行っている事と思う」

「はい、事務の野中から伺っております」

「結構、いくつかまだ細かい事は伝えていないが、私か……あるいはケール、怪力線あたりが追々説明する」


「はい。あの……、話では、他組織との協力に伴って複数の合同作戦を行うとか」

「そうだよ、話が早いね」

 アスタロトは手に持っていた湯呑みを口に運び、緑茶を軽く喉に流す。これから部下が何を言おうとするのか、話の流れは読めていた。


「自分はいつでも現場に……」

「だめだね」

 恐らくはすぐにでも現場に復帰し彼らを追いたい、あるいは雪辱を晴らしたいのか。しかしアスタロトは遮って呑龍の要望を却下する。呑龍も、なぜですか、とは上司に問わなかった。


「まだ君の状態は万全ではない」

「怪我は治っています」


「外傷の話ではないよ、わかってるだろう」

 アスタロトが言うと、呑龍は痛い所を突かれた気持ちになった。表情には出さないように努めたが、隠せたかどうかはわからなかった。

「前の戦いで受けた敵の能力の効果がまだ完全に消えてないんじゃないのか、解呪が完全に終わるまでは内勤をしなさい」

「了解です」

 呑龍は必要以上に食い下がる事もなく、アスタロトの命令を受け入れる。その予兆は見られないし問題ないものと自身では確信しているものの、万一にでも自分の受けた攻撃に精神操作攻撃の因子でも含まれていれば大事になる。

 それに他にも優れた能力者工作員は居る。自分が関わり合いになった案件だから、あのフォーティーナインの事を追跡してみたいと思った、そんな義務感だ。



 話を終えたアスタロトはまた自身のオフィスへと戻ってゆき、声が聴こえなくなると霊銀もまた瞳を閉じ、居眠りへと戻った。



 ★


 次の朝を迎えた。闇の色が薄くなり始め、それに伴い1DKの室内も暗闇から、やや薄暗い程度の暗さとなっている。大して広くもなく、特別豪勢というほどでもないが、それでも電気と水道は通っているし、洗面所と風呂は個人用だし、故障しやすいのが傷だがガス調理器具もある。戦後水準としてはかなりマシな住居だ。


 リビングから続く唯一の部屋である和室に敷かれた布団の中から池野はむくりと起き上がった。短髪丸刈り頭を軽く撫で、宅内の電気を点ける。立峰と異なり池野のプライベートは規則正しく、特別な事がなければこの時間帯に起きる事が多い。


 足が冷えるので足袋を履きリビングへと出ると、それに気づいたアイツもベッドから身を起こす。


「ああ、そうか……」

 池野こと呑龍は昨晩、とんでもないヤツを自宅に連れ込んでしまった事を思い出す。まさかこいつと一晩を共にしてしまう事になるとは――――




 ――――ハムスター。




「こいつの面倒を見にゃならんかった……」

 彼女はいつもと少しだけ違う場所で朝を迎えたが、その日もやる事は変わらず、我が霊の徳を積まんとばかりにマニ車模様の特製滑車を回し始めていた。


 霊銀は今日から県外任務で数日家を空けてしまう。翠嵐もそうだが他の工作員も数名、霊銀の任務とはまた別口で米軍や魔術結社との共同任務等に駆り出されるため、留守の者が多くなる。ジャンガリアンハムスターの世話の白刃の矢が呑龍に向けて立てられる事は必定というよりほかなかったろう。


「えーと、よろしく頼むぜ、ネズ美」

 池野がケージの中の彼女に語りかける。「キュッキュ」という、空気の漏れるような鳴き声をジャンガリアンハムスターのマコトが発したような気がした。

 ハムスターのケージを置いたちゃぶ台の横にいつもの金鵄きんし煙草の箱とマッチが置かれている。池野は毎朝そうしているように、習慣的な喫煙動作で一本を取り出し、葉を机の上で軽く叩いてから口に含み、火を灯そうとして――――マッチを擦る前に手を止めた。



 ハムスターに煙草の煙を吸わせるな、健康に悪い。立峰に昨晩6度ほど言われた事を思い出したからだ。そういえば立峰やつが吸っている所は戦中一度見たか見てないか、とにかく吸わん奴だが、ペットのネズミまでそんな事を気にするのか。


「こいつと同じ場所で吸うなって言われてたな……。ネズ美ぃ、お前もこれの良さがわからん奴か……」

 健康志向のネズミなど戦後混乱期の今日において存在そのものがブラックジョークのようなものだ。

「しょうがねえ……」

 自分の責任でネズ美の命に何かがあった時、奴は何をしてくるかまるで読めない。驚くほどあっさり笑って許してくれるかもしれないし、その後ネズミの死骸を焼いて食わしてくるかもしれない。そいつの剥製や標本造りの手伝いをする事になるかもしれない。

 ――――まあ、外で吸うのが一番賢明だろう。安全策を取った池野は煙草を銜えたまま住宅のベランダに出て、そこでマッチの火を起こす。

 美味い。入院中の喫煙制限は辛かった。煙草のない人生など味付けのない粥のようなものだ。



 明けの明星の空をぼんやり眺め、金鵄の煙と共にリラックスしている池野だったが、彼を呼ぶ声があった。

「呑龍!」

「ああ、翠嵐スイラン

 ベランダから地上を見下ろすと、大島こと翠嵐の姿があった。この間の戦闘時に着けていた鎧はなく、スーツにコート姿で、髪をオールバックに固めている。


「任務で何日か空ける。これを預けておく」

 大島はそういうと、いきなり何かを二階のベランダへと投げつけた。池野は難なく片手でそれをキャッチすると、自らの手に収まった物を見る。鍵だった。


「何の鍵だ? 車か?」

「お前が必要になるものだ」

「お前の予知能力か? 何の話だ」

「言ったら未来が変わるかもしれないだろ」

 大島は言った。

「それに、知らない方が面白い」

 カバン片手に背を向け去ってゆく大島だが、微かに笑っているようだった。


「勿体ぶるな! 言いやがれ!」

 池野は大声で呼び止めたがそれを大島が聞く事はなく、風のように姿を消すのはあっという間だった。


「……ったく。しばらく暇だな、鍛錬でもして過ごすか……」

 悪態をつき終えた池野は煙をもう一度吸い、次の任務が与えられるまでの時間の潰し方を模索し始めた。



 ★



 霊銀たちの向かったのは神奈川県中央部に存在する厚木飛行場である。以前は日本軍の重要軍事拠点にして三〇二海軍航空隊の居た場所だ。終戦の瞬間までこの場所から航空機「零戦」、同「雷電」、同「月光」などが空へと飛び立っていた。――現在いまは戦後の例に漏れず、米軍の航空基地となっている。


 呑龍がこの場に居ればさぞ気分を悪くした事だろうが……あいにく彼は今回の任務には抜擢されず、ハムスターのマコトと共に留守の身である。

 保安局側は少数で固められ、超能力者は霊銀と翠嵐の二名、他には”翠嵐のための”技術者が非戦闘員として三名。それと「超越者」と呼ばれる固有の能力を持たないものの、高身体能力とエーテルフィールドだけは持ったものが一名、エーテルに対する心理的耐性はあるものの常人モータルの護衛兵士が三名、総勢で九名となるのだが、後ろ四名は技術者の護衛と荷物持ちのようなものだ。


 許可証を提示し基地内に入ると、飛行場の近くでトラックから下車、そこからは空路だ。

「持ちあげます……いっせー……の!」

「慎重に扱いたまえよ! 技術的に高度な代物で繊細だ。君の給料じゃまかなえない程度には高価だし、手間もかかってる! 戦闘で壊れる分には構わんが、輸送中に壊すようなつまらない壊し方だけはしないでおくれよ!」


 雑要役に抜擢された兵士たちが丁度、長方形のコンテナを空路輸送のためにトラックから一旦荷卸そうとしていた。

 それをどやしつけるのは華奢な中年男性だ。身体の非常に華奢な男で、霊銀の半分にも満たない細い腕といい、曲がった背筋といい、いかにも体力の無さそうな、肉体労働や戦闘には向いていない人物である事が一目で見て取れる。彼の両脇に立つ残り二人の技術者も似たようなものだ。


「随分荷物が多いな」

 ダグラス社のグローブマスター輸送機を興味津々に眺めていた霊銀であったが、ふいに後ろを振り返って言った。

「まあな」

「嫁入り道具じゃあるまいし、一体何なんだ」

「大したものじゃない、武器と鎧だ」

「武器」

 武器、そう聞くと武器オモチャに関心を持つのは彼の性だ。もう少し詳しく聞こうと思ったが、丁度その時に米軍関係者から挨拶が飛んできて、聞けず仕舞いになってしまった。


 ――――それから二時間ほどだったか、厚木飛行場を発ってから空の上に居た時間は。飛行機も京都上空に近づいた頃、霊銀は読んでいたゲーテの詩集を閉じ、ふいに隣の翠嵐に声をかけた。


翠嵐スイラン、で良かったか?」

「ああ、そうだ」

「さっきの荷物、随分と玩具を持ちこんで来たみたいだが」

「俺が登戸研究所からの出向って話はしたか?」

「憶えがないな」

「保安局の軍事研究部門だ、戦前からあるらしいが。そこが試作中の兵器の試験運用、俺はそれをやっている」

「ふうん、原子爆弾とか、光線銃でも作ってるのか」

 霊銀は皮肉とも取られかねないような、やや冗談めかした言葉を口にしたが、翠嵐は真顔でこう答える。

「それは冗談で聞いたか? 俺は戦後の配属だが、話によると戦時中は両方作っていたと聞いてるぞ」


 霊銀は一瞬眉を吊り上げたが、彼の言葉が冗談でない事をすぐに悟った。……そして、それがジョークではないという事実が、霊銀にとっては面白いジョーク、そのものだった。

「ハハハ、それは楽しそうだな……、それで? 戦後の今は何を?」

「鎧だ」

「鎧?」

 霊銀は思わず聞き返す。翠嵐は再度答え、誤解のないよう、こう付け加えた。

「ああ、鎧だ。……戦国時代に使っていたような、な」

「へえ?」

「馬鹿みたいな話に聞こえるか? 甲冑は大鎧で大体40キロほどの重量になる。重いと思うか」

「俺なら片腕で持てるな」

 翠嵐の問いに霊銀はそう答える。彼の強化された身体能力ならば事実、38キログラムのブローニング機関銃を撃ちながら歩くぐらいの事なら可能である。


「そうだろうな。戦闘向きの超能力者なら荷物を持っていても屋根まで跳べるぐらいの身体能力がある。そうした戦闘能力者の積載能力に着目し、その生存能力・防御能力を高める個人装備を作成する……科学者連中はそういうつもりらしい」

「なるほど……」


 霊銀は納得し、その場で考えにふける。確かに一理あるかもしれなかった。実際に先の大戦で胸当て型の鋼板を装備した兵士がごく一部に存在した事は知っている。

 もっとも、戦時中のそれは重量的な欠点を抱えていたのだが、身体能力の強化されている能力者、更に体格の秀でている霊銀のような者であれば、数十キロといわず100キロぐらいなら運搬可能だ。ゆえに重量上の問題は現段階でも力技で解決可能であるし――――いいや、いつか純科学技術が発達すれば、定命者でも着用可能なレベルの軽量防弾鎧が、将来的に普及する可能性も無くは無いのではなかろうか? 霊銀は真面目にそのような事を考えた。


「まあ――――お前には関係のない話かもしれないが」

「俺は、俺の身体が一番丈夫だからな」

「見ろ、京都だ」


 飛行機が高度を下げると、雲がやがて晴れ、地上が見えるようになった。


「これを見る事になるから、京都には来たくなかったよ」

 翠嵐は、苦々しい表情で窓から見える地上の景色を見つめていた。



 京都は――――焼け野原だった。


 1945年8月12日、日本に三発目の原子爆弾が投下され、京都府は焼き尽くされた。日本の文化・歴史・自然・積み上げて来たもの……そして多くの命。


 すべてがある日焼かれた。



「話には聞いてたが……いやあ、流石の俺でもここまで畜生な事はしないねえ」

 英語を解する霊銀がその一言を日本語で言ったのは幸いだった。でなければ機内に同席した米軍関係者とトラブルになっていたかもしれない。

 霊銀は鼻で笑ったが、流石の彼もここまではまだやったことがない。衝動的にやってしまおうかなと空想することも無くは無く………………いや……実のところ、毎日のように空想はしているが……幸い、幸い今のところ空想で済んでいる。少なくとも、霊銀すらまだ現実にはやってはいないのだ。


 だというのに、そうした恐るべき行為を現実にやってしまえる人間が驚く事に世の中一定数存在する。また、その中でも特に邪悪で狡猾なものは自らの手さえ汚すことがない。

 この京都の焼け野原は、そうした人類の悪意と狡猾さの象徴のようだった。



「エノラ・ゲイを知っているか」

 翠嵐はある者の名を口にした。広島に行った、ある爆撃機乗りのサイキッカーのコードネームで、ある行いによって有名となった者だった。


「広島を焼いた能力者だな」

「アメリカでは、奴は戦争を終わらせた英雄ヒーローだ」

 すると霊銀はこう言った。

「英雄も畜生も同じようなもんだ。そんな概念、コインの表と裏に過ぎない」

「かもしれんな」

 翠嵐は一理あると思い相槌を打つと、目を閉じ瞑想を始めるのだった。




EPISODE「呉越同舟」へ続く。

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