呪われた島:1


EPISODE 024 「呪われた島:1」




 空


 青い空


 照り付けるような熱い日差しに頭がくらくらとする



 海


 輝く海


 太陽の輝きが反射して、見つめていると目が痛くなってくる



 風


 心地の良い風


 風が吹き、潮風と草の匂いが鼻をくすぐる




 ――――少年は肺に空気を吸い込み、軽く息を吐く。

 半身の格好を取ると、顎先に溜まった汗がぽたりと落ち、草木を撫でた。


 半身になると同時、左腰に差した木刀を鞘ごと前に伸ばす。

 親指で鍔を軽く押し、鞘をゆっくりと引くと白さを帯びたかしの木刀の刀身が太陽の光と熱を浴びる。


 腰・膝・股関節を駆動させ、素早い抜刀を行う。少年の額に巻いた旭日の鉢巻ハチマキにじわりと汗が滲んだ。


 まず剣を八双に構える。

 そこから最初に袈裟斬り、続けて左水平斬り、真向斬り、逆袈裟斬り、袈裟斬り、切り上げ――――



 全六手、これぞ鬼哭きこく流剣術「イカズチ」の型。名の通り、瞬く間に六つの太刀を敵に対して刻み込み、その太刀筋はまるで雷撃が空に描く軌跡のようであることから、そう名付けられた。


 それは少年の太刀筋とは到底思えぬ鋭く美しい体さばきであったが、少年の表情は冴えず、この青空とは対極にさえあるように思える。


 眉に溜まった汗が瞳に落ち、少年は瞬きする。その瞬間、脳裏におぞましい光景が飛びこんでくる。この島に米兵が上陸し、島民たちを殺し、犯す地獄のような光景だった。

 それだけではない、もっと恐ろしく不可解な光景がある、日本軍の軍服を着た男達もまた、島民たちを殺すのだ。

 そしてその日本軍を、米兵が殺すのだ。

 米兵が日本兵を殺すと、また別の者が米兵を殺すのだ。



 火が放たれ、家屋が燃える。サトウキビの畑が燃える。女が、子供が、燃える。


「くそっ……まただ……。この光景が何度も、何度も……」

 少年は木刀を取り落とすと、忌々し気に悪態をつきながらズキズキと痛む頭を抑え、うずくまった。


 目を細め状況を確認すると、片膝を地面についている事がわかり、太陽を背にした自分の影が伸びているのが見えた。




 青い空



 輝く海



 心地の良い風




 ――――いつもの島だ。白昼夢は既に消えている。


 まるでうなされたように少年は呻き声をあげると、顎の下についた汗を手で拭う。




 この恐ろしい幻覚を見るようになったのはここ一月ほどの事だ。最初はただの悪夢で、迫りくる決戦に対する緊張と臆病によるものだと思っていたが、やがて日中にも白昼夢を見るようになって、これが尋常でない事を少年はようやく理解した。


 見るのはいつも決まって同じ、このおぞましい光景であった。


 しかし「米兵が島民を殺して、日本兵も一緒になって島民を殺し始める。島は地獄になる」そのような内容の夢を口にしたらどうなるか? 一体周りのものにどのような心理的影響を与えるか? そのような言葉を口走った自分やその家族は、周りから一体どのように思われるか? ――――それを考えたら、この悩みは例え家族友人にだって話す事は出来なかった。


 幻覚を見る頻度は日に日に増え、結果眠れぬ日々が続き、少年の目元には隈が浮かんでいる。

 今にも正気を逸して気狂いになってしまいそうにも思えたが、一大決戦を控えた男が戦いを前にして狂人になるなど恥の極み。



 こうして木剣を振るっているのも、父から受け継いだ剣によって雑念や邪気を打ち払う為。若き少年が胸に燃やすのは先祖や父・兄から受け継いだ武士サムライとしての誇り、それが彼を正気たらしめている。


 気を取り直し、稽古を続けるために落とした木刀を拾おうとした少年であったが、手を伸ばした遥か先に自分とは違うもう一つの影が伸びた事に気が付いた。



 少年はハっとなり、木剣を拾って振り向こうとしたがその手を黒いブーツが蹴り上げた。

 腕が跳ね上げられ、木刀が宙を舞った。

 少年は振り向いた。迷彩服を着た男が立っており、ライフル銃を向けようとしていた。



 その男の瞳は、この島の海よりも、空よりも明るい青だった。



 少年は刀を諦め――いや、半ば本能的に動いていた。青い瞳の兵士の銃口が据わるよりも早く少年は動いた。


 敵のライフルに取り付けられた銃剣と頭が並ぶほどに深く半身で踏み込むと、右上腕でライフルの射線を大きく外し、同時に金的を蹴り上げた。


 左手はジンジンと痺れ、すぐには動きそうになかった。敵の懐に入り込んだ少年は右の縦拳を斜め上方に向かって真っすぐ打つ。その拳は敵の顎骨に深い亀裂を入れた。



 その瞬間、足さばきは既に柔道技の大内刈りが極まっている事に敵は気づきさえしなかった。敵はそのまま倒れ、後頭部を地面に軽く打ち付けた。



「ストップ!」

 青い瞳の男は悶絶し、苦し気な様子で発声を行った。日本語ではなかった。



 敵の正体を見た少年は驚愕し、顔を蒼くする。


 彼は異国の兵士だった。

 ――――この場所に来てはならない人達。教科書では見た、実物は生まれて初めてだった。その彼らが、目の前に。



 血の気が引き、肝が冷えた。まるで島に降った事のない雪が降ったかのように全身の寒気を感じた。



 どうして彼らがここに?


 いや、それより止めを刺さなければ――――。





 敵兵士はその青い瞳に涙を浮かべ、恐怖の表情をこちらに向けていた。




 少年に判断の迷いが生じた。そして、その一瞬を突かれた。



 ――――直後、後ろから頸椎に凄まじい衝撃を受けた少年の意識が一瞬で途切れた。

 少年がバタりと倒れた後ろにはもう一人、銃床を握りしめた若い米国の兵士が立っていた。



 彼の息は少し乱れ、汗に湿ったその手は震えていた。







EPISODE「毒蛇を呼ぶ笛」へ続く。

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