Someday My Prince Will Come
EPISODE 035 「Someday My Prince Will Come」
「はぁ、ったく……やってくれるよなあ、あの野郎。海軍のエースだか知らないが、ポツダム佐官が偉そうによ」
天空が居なくなると呑龍がまず行った事は悪態と、地面に落としたハンチング帽の砂を払う事だった。帽子を被り直す呑龍の額は赤くなり、鼻からは軽く血が垂れている。
「あ、あのっ、お怪我は……」
それを見てイツ子は顔を蒼くし、真っ白なハンカチを差し出す。呑龍はそれを受け取らず、自分のポケットから取り出した布ハンカチで鼻血を拭うとこう返答した。。
「ああ、これぐらいは何とも無い。さ、気分転換にとっとと出かけようか」
「いけませんよ、お医者さんにいかないと……」
「大丈夫だ、普通の人間とは身体の造りが違うんだからこんなものは怪我のうちに入らねえ」
そう答える呑龍はあれだけ殴られた割には元気そうで、まるでそういった荒事には慣れていると言いたげだ。
しかしイツ子は不安と心配を捨てきれないようで、二度口に出さずとも「医者に行きましょう」という意見を顔からぶら下げたままである。
「……わかったよ。だけど、どの道今日は医者が開いてない、火傷によく効く塗り薬を持ってるからそれを塗って来る、それでいいか?」
参った呑龍がそう説得して、イツ子はようやく小さく頷いた。
一人にしておけば、また誰かに絡まれるかもしれないのでイツ子を寮の自宅玄関に立たせると呑龍は自宅リビングに置いた救急箱から軟膏を取り出す。筋力・耐久力はもちろんのこと、回復能力が普通の人間とは違うので少々の火傷や裂傷はこれ一つで治ってしまう。
「ふむ、これで平気だろ」
呑龍は手鏡で自らの左頬を確認する。今日も男前ではないか。処置を済ませ救急箱を閉じた呑龍は物音に耳を傾ける。
音のした方を見る。部屋の隅の小机の上に置かれたケージの中に居る
真に徳を積ませるがままにしておこうと部屋を後にしかけた呑龍であったが、ケージの傍らに鍵が置きっぱなしになっている事に気が付き、近寄った。
「……ん? おかしいな、車の鍵は持ちだした筈……?」
どうやら朝の真の世話の時に置きっぱなしだったらしい。だがこんな鍵、あっただろうか? 呑龍は不思議に思って後ろポケットに手を突っ込む。するとあるではないか、いつもの車、40年型フォード・クーペのキーが。
ということは、ここに置いてある鍵は別の鍵…………いや、待てよ? そもそも大事な事を忘れていないだろうか? 例えば最近入院していたし、遠出もしていない。他にも思い出すことがあるはずだ、最後にあの車に載った時、それをどこに置いたかとか……。
最後にあれを動かしたのは仕事で、文京区の、東大の近くまで乗っていった時…………。
「あーーー…………! 思い出したわ……」
思い出した呑龍は思わずその場で頭を抱えた。
「どうしました?」
「いや! こっちの話だ! 問題無い!」
「あの車、
読者の皆様方、覚えておいでであろうか!? 松竹館での戦闘の際、霊銀が赤の楔の能力者「クロガネ」と交戦し、持ちあげたクロガネをフォード・クーペに何度もパワーボムで叩きつけ、ガソリンタンクに穴を開け、漏れだしたガソリンを引火させ…………そう、フォード・クーペを無惨に爆発四散させたのを。
呑龍はその後入院していたし、その後外回りの仕事も無く、行動半径は全て徒歩で事足りていたためにすっかり失念していたが……この鍵を差し込む車はもう、地上のどこにも存在しないのだ。
さて、正解はともかくとしてこれで一つ事実は明らかになった。
「ん、待てよ……? じゃあ俺が持ちだしたこの鍵は……?」
しかし謎はまだもう一つ残っていた。この謎の鍵の正体は一体……?
呑龍はすぐに思い当たりを記憶の中に見つけると自宅を飛び出し、その答え合わせに向かった。
幸い結果発表会場は遠くなく、すぐ傍だ。呑龍は寮近くの駐車場まで歩くと、震天や銀河などの所有車には目もくれず、霊銀が散歩に使っている自転車の隣で眠りについている存在に目をつけた。
眠り姫から青いシーツを奪うと、彼はその乗り物の鍵穴を探す……あった。そしてやはり呑龍の思った通りで、鍵は鍵穴に一致したのである。
「もしかすると……チッ、何の鍵かと思ったが、やっぱこの鍵かよ」
エンジンがかかり、眠り姫が目を覚ますと呑龍は思わず毒づいた。それは大型二輪のWLAハーレーで、入手経路は知らないが元はアメリカ軍の使っていた代物なのだろう。進駐軍の連中がこれと同型のものをよく乗り回している。
しかし少なくともこの一台に関しては、今は保安局職員の大島
「わ、私バイクに乗った事が……」
「動かすのは俺だから平気だ」
「……二つもヘルメットを用意しやがって……。あいつ、これがわかってやがったな」
ご丁寧に二人分のヘルメットが後輪側の荷台に乗ってあるのを見て、呑龍は再び毒づいた。何が「お前が必要になるもの」だ、翠嵐は数日前から既にこの可能性を視ていたのだ。
「どうかしましたか?」
「いや、こっちの話だ……」
とはいえ、気持ちの切り替えが必要になるだろう。翠嵐の意図はどうあれ、借りたものは有効活用すべきなのだから。
★
呑龍はハーレーの後部荷台にイツ子を乗せ、二人乗り運転を行う。車の通りも少なく、渋滞に捕まるような事は無い。バイクを運転していると、車を運転している時以上に道路の舗装された部分と、まだそうではないところの差が顕著に感じられ、この国の傷が癒えるにはまだ時間を要するであろう事がわかる。
もう年越しが近い、帝都を吹き付ける風は冷たい。
「平気か? 寒くないか?」
呑龍はこうした寒さには慣れている。身体も丈夫であるし、そうでなくとも中国戦線に居た帰還が長い、終戦時に至っては樺太だ。
「はい、大丈夫です。もっと寒い所で育ったので――――」
「へえ、じゃあ雪国の生まれか? 新潟とか、長野とかの」
「はい、戦争の時までは――――に」
イツ子は答えたが、途中で彼女の声を空の音が掻き消したせいで、最後のところが聞き取れなかった。イツ子が空を見上げる、空にはアメリカ空軍のムスタング戦闘機が訓練飛行を行っていた。
「すまん、どこだって」
「いえ、田舎です。楽しい思い出もありましたけど、今はここでの暮らしに満足しています」
「そうか。だが東京が治安があまりに悪い、暗い所を歩くな、とにかく気を付けろ」
「はい」
ハーレーが走るその先をアメリカ軍のジープが走っている。呑龍はバイクの速度を上げるとジープに並ぶ。ジープ後ろ荷台の米兵が呑龍の後ろに捕まる少女を見て興味を持ち、ちょっかいをかけようとする。
呑龍は更に速度を上げ、ジープを追い抜いて行く。ジープの運転席から大音量で流れるディック・ハイムズの「You Make Feel So Young」の歌が後ろに遠ざかっていく。
「あの、訊いてもいいですか」
「何でも聞け」
「一体どこに向かってるんですか」
歌が静かになると、イツ子が尋ねる。
「そりゃあ飯の食えるところに決まってるだろう?」
「ご飯でしたら寮の近くでも……」
「馬鹿言え、あんな所うろついてたらまた天空みたいなのに絡まれるぞ。――――それにあの辺りはどこも味がイマイチだ。どうせ食うなら、美味い方がいいだろ」
呑龍は言った。
「なあに、そこまで遠くはいかねえよ。浅草だ」
それからバイクを5分ぐらい走らせただろうか。バイクが人通りの多い繁華街にまで近づくと、そこから先は乗り物では入れないので、適当な場所に停車させ、二人ともバイクを降りた。
「わあ……」
浅草に到着すると、イツ子が感嘆の声を漏らす。露店とカラフルなノボリが立ち並び、その間を多くの人が往来している。
風呂敷を背負ったモンペ姿の老女や、スーツ姿の男性、未だに国民服を着続けている人々も居れば、うって変わってアメリカ流行のワンピースと帽子に身を包んだハイカラな若い女性の姿も認める事が出来た。
「ずいぶん人がおおいですね、ここ」
「昔はもっと凄かったさ」
「そうなんですか? 私、戦争の前に来たことがないので……」
「絵葉書ぐらいは見た事あるだろう。あれがそのまま広がっていた。まあ、今もデカい市場のある街ってことは変わらんがな」
呑龍の言う通り、浅草の闇市は他の場所で見られるそれよりも頭一つ抜けて規模が大きいように感じられる。
それもそのはず、元々発展著しかった浅草は戦後復興のかなり早かった地域であり、戦争が終わるとここはノガミ闇市、あらためアメリカ横丁などと並んで大規模ブラックマーケットを形成するようになったのは自然な成り行きで、この2年後に闇市の縮小・撤去が始まるようになって以降も浅草の闇市に関してはしばらくの間存続し続ける事となる――――。
徒歩となった二人は雑踏の中へと入ってゆく。時折吹く冬の風は寒かったが、市場を往来する群衆の熱気と、食料品を売る露店から立ち昇る調理熱がこの闇市を温めている。
「いいか野中、絶対に離れるなよ。表通りはいいが、道をそれると泥棒市とか、売春通りに行っちまう」
「は、はい!」
呑龍がイツ子に忠告を行った。最も危惧すべきはイツ子がはぐれて迷子になってしまう事だ。保安局職員であるからには通常の
ただの人間を越えるものではない彼女がこの治安最悪の戦後東京で一人になること、あまつさえ裏通りに迷い込むのは白昼であっても避けたい事だ。イツ子だってそこまで馬鹿ではない、狩るか狩られるかでいえば、自分は間違いなく「狩られる側」である事は判っている。イツ子は呑龍のジャケットの袖をぎゅっと掴み、決して彼とはぐれないようにした。
EPISODE「You're Never Too Old to Be Young」へ続く。
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