You're Never Too Old to Be Young


EPISODE 036 「You're Never Too Old to Be Young」




 呑龍とイツ子は最盛期を極める戦後浅草闇市の通りをあるく。イツ子は決してはぐれないように呑龍のジャケットの袖をぎゅっと掴み、呑龍も彼女が迷子にならないよう、時折振り向いて確認する。

 「金ならある、何か食いたいものがあったら遠慮なく言えよ」

 呑龍が振り向いて言うと、イツ子はコクリと頷いた。呑龍も高収入のわりには一人身で両親兄弟の家族が居らず、高級な趣味も持っていない。おまけに戦後のインフレーション率のせいで、貯蓄するだけ損だ。


 右や左を見れば、イツ子の目に露店や通行人の姿が映る。

「ポン煎餅はいらんかねー、ポン煎餅、ここが一番安いよ!」

「焼きリス、焼きイモリ、焼き鳥、色々あるよー」

「冷たいコーラだ、薄めてないから甘くて美味しいよ」


 縁日の屋台のように天井がついたものや、耐震性はなさそうなものの掘っ建て小屋のようになっており一応は店舗らしい面構えになっているもの、ブルーシートの上に品物を広げているだけの店も散見される。

 共通するのは、すべて怪しさ満点という事だ。一体どこから入手したかもわからないものを売っている者や、何の肉かもよくわからないものを串に通して火で炙り「串焼き屋」を名乗っている者もいる。米軍横流しのコーラを冷やしもせずに売ってる者もいるし、怪しい易占い師の店もある。


「さあさあ! 本物の豚を使った豚丼だよ! 安いよ!」

 呼びかけられた呑龍がふいに店の方を見る。客がおり、麦飯の上に肉の載ったのどんぶりを喰らっている。イツ子がそれを見たが、豚丼を自称する食べ物は、彼女の想像していた豚丼とはまるで違う見た目をしていた。


「豚肉だあ? ……おいおい、何が豚肉だ。こりゃ”スパム”じゃねえか」

「嘘は言ってないよ! さあ食っていきな!」

 確かに物は言いようである。店主の言うとおり、それは肉であることは間違いないし、豚肉である事も確実だ。ただしその豚肉は米軍横流しのスパムだ。スパムの上にソースをかけた丼ぶりを客はガツガツと喰らい続けていた。


「また今度な」

 とあしらい店を離れると、更に別の店の店主が声をかけてくる。呑龍は構わず進む。

「そこの伊達男のお兄さん、コートを買っていかないかい!」

「お兄さん、その腕時計買うよ」

 食べ物屋だけでなくその他の店もある。毛布やスーツ、コートなどを売っている者や腕時計の売買を行っている者もいた。


 それらを通り抜けると、足を止め呑龍が後ろを振り返る。

「どうだ? 何か面白そうなものは見つけられそうか?」

「え? あ、はい。面白いです」

 イツ子は後方を見ていたようで、呑龍に呼びかけられると驚いたように向き直った。それからイツ子はまた、通り過ぎた少し後ろの方に顔を向ける。


「はーい、リンゴ飴だよー、おいしいよー」

 通り過ぎたやや後方にはリンゴ飴屋があった。店主はカットしたリンゴを赤い水あめで閉じ込めて、それに竹串を刺して自作らしき竹製のリンゴ飴台に並べている。


「リンゴ飴か……」

「……」

 呑龍が足を止め続けていると、イツ子はずっとそれを見続けている。

「欲しいのか?」

 そう思って呑龍が尋ねた。


「い、いえ、そういうわけでは……」

 言いかけたイツ子が、途中で言葉を止め、それから

「あの……はい……」

 と、恥ずかしそうな様子で言い直した。


 呑龍は呆れたように笑ってみせると来た道を引き返し、リンゴ飴屋の露店の前に立つ。

「おっちゃん、いくらだ」

「50銭、釣りは出ないよ」

「良いだろう、2つくれ」

 呑龍は財布を取り出し、二宮尊徳のデザインされた1円札を缶の中に入れた。

「あいよ、好きなの選んでいいよ」

 リンゴ飴屋の店主の水あめでべとべとになった指が自作のリンゴ飴台を指し示す。

「だとよ」

「では私……これで」

 コストのためか、あるいは根本的に材料となるリンゴ不足か、そのリンゴ飴はリンゴを丸々一個使ったものではなくカットリンゴで小さめのものだったが、イツ子はその中でも特に小さいものを選んで手に取った。


「そんな小さいのでいいのか?」

 それを不思議に思って訊いた呑龍であったが、

「はい、私はこれがいいです」

 と、イツ子は言った。本人がそう言うなら止める理由もない、呑龍も適当なリンゴ飴を一つ手に取った。

「そうか、俺はこれを貰う」


 礼を述べる店主を背にして二人はまた歩く。イツ子が嬉しそうにリンゴ飴を舐め始める。呑龍は圧倒的な顎の力で飴を噛み砕き、バリバリと食べた。


「うむ、美味い」

「はい。あの、ありがとうございます」

「おう、他にも欲しい物があれば遠慮なく言え」

 と呑龍は言った。何もこんな安い飴で終わらせてやるつもりもない。しかし、この雑踏の中はリンゴ飴を食べるには少々不向きだ、ぶつかってしまうかもしれない。


「ここで食うとぶつかるからな、座れる場所を探すか」

 そう言うと、呑龍はイツ子を連れて市場の通りを離れる。市場を外れた小道の道路際にも半裸裸足で壁に向かって立小便する中年男や、小汚い中年女性の娼婦が立っており、そういうものを避けて進んでいると自然と市場からは遠のき、結局近くの公園に迷い込んできてしまった。

 ようやく静けさのある場所に辿り着くと、木の板を二本の棒で支えているだけのような非常に簡素なベンチを見つける。それでも誰かの寝床にされていないベンチはありがたく、呑龍は立ったまま、そこにイツ子だけをちょこんと座らせた。


 翠嵐がイツ子の姿を見た。今日の彼女は女性用の半国民服ともいうべき「もんぺ」を時代の流行に合わせ、洋服として裁断しなおしたものを着ている。

 クリーム色のもんぺズボンは膝までの丈で絞られており、その下からは黒いタイツが脛を覆っている。濃いブルーの衣服はボタン付きブラウスのように改造されていて、肩には余りの生地で作ったのか、防寒用にブルーに白裏地のフード兼肩掛けを羽織っている。どこまで行っても戦争と貧困を象徴するような服が原型であるから、決して華やかな服装とはいえないが、外国人女性のファッションをよく観察したのだろうか、衣服の改造には光るセンスが感じられる。


 イツ子はどこか嬉しそうにリンゴ飴を舐め続けている。

「それ、好きなのか」

 呑龍が訊くと、イツ子は頷く。

「はい。子供の頃なんですけど、地元でお祭りがあると、父がよく買ってくれて……」


「そうか。俺も嫌いじゃないぞ」

 呑龍はセピア色の向こうに行ってしまった幼少期を思い出して、言った。

「……親父が軍人だったから、俺の家はなかなか家族が揃わなくてな。それでも一度だけ家族が揃って出かけた事があったんだ。

 俺はまだ小さかったがよく覚えてる。「花火を見てみた」っておふくろにせがんだ事があったんだ。そしたら親父が珍しく家族で行こうって言い出して……あんなのは一度きりだった」


 呑龍の育った池野家は祖父祖母、父と母、そして潤一の五人暮らしであった。父は帝國陸軍の佐官で、いつも忙しそうにしていた。潤一の世話は、いつも祖母と母だった。

 日露戦争で活躍したという軍人の父を誇りに思っていたが、なかなか家に帰って来きてくれない事を寂しく思っていた。だけど5歳の夏は違った。


「狛江で花火があったんだ。それを家族で見て……そう、あの時おふくろが、俺にリンゴ飴を買ってくれた。子供の顎には硬くて、なかなか食えなくてよ……」


 呑龍はその時の光景を思い出し、クスリと笑った。

「あの時だよ、俺を見て親父が笑ったんだ。「そんなに急いで食おうとするな、林檎は逃げたりせん」って」

 ――――それが、呑龍が父親の笑顔を見た最後の日だった。



 それから二月もしない内に関東大震災が起こった。母はあの時、自身を庇って建物の下敷きに……。潤一の父は仕事中の為に難を逃れたものの、それから父は二度と笑わなくなった。父は一人残った息子を戦士として育てるため、厳しい訓練と教育を課すようになった。


 潤一はよく覚えている。自分を鍛える時の父の姿を。水を飲むことさえ許されず、日に二度三度嘔吐し、血の小便が出るまで一日千回以上投げられ、柔道を始めとした戦闘いきのこる術を徹底的に叩きこまれた時の事を。

 その過酷さに何度も家出しようと思ったし、実際何度か逃げ出して父の部下に追われた事もあった。父の事を鬼だと思った。

 だが……少なくとも昔の父には、かつてそうではない時期があったのだ。父の笑顔の記憶を思い出し、その事に気が付いた呑龍は、とても不思議な感情に包まれた。


「あれ……そうか」

「どうかしましたか?」

「いや、俺の親父って、本当は笑う人間だったんだなって」

 それから呑龍は奇妙な表情ではにかみながら、

「結局病気で早死にしちまったけど……。あの時の親父、幸せだったのかな」

 と、ぽつり呟いた。


「そうだったのかもしれませんよ」

 イツ子は変わらず、優しい微笑みで相槌を打った。



EPISODE「花の二度目の命(仮)」へ続く。

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鈍色の戦鬼 - DarkGray Warmonger -(β) キモくて金のない狂ったボロボロのおっさん @Eijitsu

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