正義を為すオルグ


EPISODE 005 「正義を為すオルグ」




 大きな任務しごとに出くわしたのはそれから三週間経ってからの話になる。パトロールを行い、時折中国人のスパイやその協力者の住居を突き止め、指の二、三本を折ったり骨を圧し折って尋問し、情報を得る。そんなヤクザの金貸し屋の仕事とそれほど差のない仕事の日々にも慣れて来た頃の事だ。



「今回の任務だが、この人物を追って貰いたい」

 アスタロはそう言うと、帝國保安局まで出頭した霊銀、呑龍の目の前の卓上にクリップ留めされた資料を投げ出した。


「ふむ、稲船 弘、32歳 職業不詳、出身は八丈島? こいつは一体何を?」

 呑龍が資料をかるくめくって尋ねる。


「殺人鬼だ。出身地で殺人を起こすが拘留中に警察官を三人殺し脱走、その後本土に逃げ、今度は警官を二人殺害した。警察も彼の行方を追っているがかんばしくない。犯行現場に”世界革命”と天皇家の批判を行う文章が置いてあったから、思想犯疑いが出ている」



 アスタロの説明を受けながら霊銀も資料を見る。最初の被害者は66歳の女性、強姦のうえ絞殺されている。

 共犯者であった29歳男性の自白をもとに稲船を逮捕し七週間弱の期間拘留を行っていたが警察官三名の死体だけを残して突如失踪。月に一度は高島屋で家族と買い物を楽しみ、余暇には水泳とテニスを優雅に楽しむ、そんな人物像からはかけ離れた凶悪な人物であることは明らかだ。


「それで局長、こいつはどこから探せば宜しいですか」

 尋ねるのは呑龍だ。


 アスタロトはこう告げる。

「情報提供では池袋での目撃証言が出ている。見つけ出し背後関係の有無を洗え」

「手段は?」

 霊銀が問うと、アスタロは短く一言

「問わない」

 と簡潔に答えてみせた。


「了解」

「では工作員「呑龍」、および「霊銀」。任務に出て参ります!」

 呑龍は局長へとキリっと敬礼し、アスタロも納得したように頷いてから敬礼し返し、その日の短い会議は終了した。



 ――――それが三日前の出来事だ。



 その日の夜も天丼だった。食事を行うには小さな、あまりに小さな店だ。あるのはカウンターと、傷だらけの丸椅子が六つ程。それらは必死に詰めてようやく座れる程度で、相撲取りでも入って来た日には三人が――いや、店内の隙間は狭すぎて関取の体格では入れないから、やはり二人が限度だ。


 背中の闇には喧噪が聴こえ、多くの通行人が行きかう所為せいで舞った砂埃が時々食事に入り込む。

 辛うじて屋根と呼べそうなものはある。だが扉などというものはなく風がそのまま入って来る。こんな屋根では雨の強い日には背中が濡れてしまうだろう。


 店の明かりは乏しく、空襲で破壊し尽くされたインフラのせいで電気は通っておらず、吊り下げランタンの灯火だけが店を何とか照らしている。食事ぐらいならそれでも問題はないが、夜目のきかない一般人がそこで新聞を読もうとすれば困難を伴う行為になる事は想像に難くない。


 しかし贅沢は言えない。これが今のこの国、そしてこの街の標準スタンダードだ。関東大震災がもう一度起こったらこの店はダメだろう。――いいや、その半分の威力でも崩れてしまうかもしれない。この店の建築に大学卒の建築専門家は関わっていなさそうだった。


 それでもこの粗末すぎる”あばら屋”は一軒のみならず隣にも、隣に留まらずその隣にも、通りに沿って100メートルほどの長さでこうした小さな店が並び続けている。



 戦後日本の負の象徴を挙げれば枚挙にいとまがないものの、それでも尚これを欠かす事はできない、これが悪名高い「戦後ヤミ市」である。

 霊銀の帰国した1947年の末には既に法改正や撤去が始まりつつありその規模は縮小段階にあったものの、依然としてこれらのブラックマーケットは庶民の必需施設であった。


「お代わり」

「はいよ」

 霊銀=立峰の差し出した食器を受け取ると、店主の女性がそのままの食器に米と海老の天ぷらを載せ、立峰に手渡した。


「まったく……相変わらず大飯食らいだなあお前は。もう四軒目だぞ」

 彼の隣に座るのは呑龍=池野であるが、彼はもう食事を終えて今は爪楊枝で歯の手入れをしているだけだ。


「俺の”能力”は食わないと駄目でな」

 立峰は食事に没頭しながら答えた。


「そういやお前、戦場ではいつも飯の量が少ないって不満ばっかだったなあ。中国で再会して便衣兵ゲリラ狩りしてた時の事覚えてるか?」

「どうだったかな。短い期間だったからな」


「物忘れの激しい奴め、戦闘中に能力がこれ以上使えねえとかぬかして残りの敵を全部俺に任せやがっただろ。あん時は便衣兵に超越者が何人も混じってたせいで危うく死にかけた。で、戦闘後に理由を訊いたらお前というやつは……「腹が減って能力が使えなくなった」とか言いやがった」


 池野はやや不機嫌そうに、でも懐かしそうに戦中の思い出を口にすると、立峰も当時の記憶が蘇り一瞬だけ箸の手を止める。そして立峰はこう述べた。


「あー、あったな。俺はずっと戦争に行きたかったから、戦えるところまでは良かったんだが……弾が足りない以上に飯が足りなすぎてな」


「来世では墨田で佃煮つくだに屋でもなるこったな」

 池野が皮肉ると立峰は苦い顔をしてこう言った。


「それでも戦ってる方が性に合ってる。それに、こんなクソッタレな世の中をもう一度やろうなんて御免こうむるね」

 それから霊銀はいつの間にか空になってた茶碗を突き出し、店主に声をかけた。

「お代わりを」

「まだ食うのかよ」

 怪訝な表情の池野だったが、店主の応答は非情であった。

「ごめんなさい、それで終わりよ」

 店主がそう答えると、大きく顔には出さなかったものの立峰の落胆は明らかだった。

「そうか……」


 超人的な身体能力と超常の力を持ち、ほとんど欲は持たず、こと殺しと争いにかけてはその中まったくと言ってよいほど情を挟まない、理想的にして完全無欠の兵士。そう述べる事に誇張のない男だが、飯がない時のこいつは捨てられた子犬のような顔をする事がある。隣に立っていた男が突然手榴弾で爆散死しても何も感じないような奴なのに……不思議な奴だ。

 もっとも、池野は立峰のそういう奇妙な所を気に入り、興味を持っているのだが。


「悪いねえ、戦争があってからは食料の仕入れが難しくって……」

「いやいい」

「ま、こんな世の中だからな。ごちそうさん」

 屋台同然の店は高級レストランのような美麗さもなく、味も並で量は少なかったが、特に不服は申し立てなかった。

 ――そう、仕方がないのだ、「こういう時代だから」。二人は会計を済ませると店を後にした。



「さて、奴を探してもう三日目になるが……」

「聞き込みではこの辺りに来るらしいな」

 稲船を探して今日で三日目、一日中東京を歩き続け、警官の身分を装って聞き込みを行い、時には組織の息のかかった警察官などから情報を得て、容疑者の行動範囲はかなり絞り込むことが出来た。


 どうやらそいつはここ一月ほど闇市に通ってはいつも買い物をして帰っていくらしい。購入しているのは米軍払い下げの電子部品などのようだが、聞き込みだけでは詳しい用途まではわからなかった。もっとも、テロ思想を持った殺人犯がそのような代物を溜めこんで平和的にラジオでも作って一人楽しんでいるということはないだろう、穏やかな用途でないことは明白だ。


 この時間の闇市は危険だ。暗くて、そのくせ人は多く、強盗や殺人、強姦が耐えず、時には銃声も聴こえる。それでいてタチの悪い事に、ここには活気と、ならず者たちをを引き付ける魔力がある。


 そんな夜の闇市で一人の男を探し出すのは一見して困難にも思えたが、情報の絞り込みが進んでいた事や対象の顔写真があったために彼の元まで辿り着くのに四日目は必要なかった。


 闇市を往来する通行人を掻き分け一軒一軒怪しい電子部品を販売している露店を探してゆくと、二人の行く先にその男は居た。


「おい、ひょっとして奴じゃないか?」

 池野が前方の男を見ると小声で囁いた。確かに、受け取った資料で見た写真とその横顔はよく似ている。いや、実物は写真で見るより顔は汚れて髭が伸びており、肩掛けのカバンは荷物で膨らんでいる。買い物の途中か、あるいはそれを終えた帰りか。


「似てるな。どうする、ここで捕らえるか……」

「いや、もう少し泳がせよう。捕まえるのはいつでも出来る」


 二人は適度な距離を取りながら稲船とおぼしき人物の追跡を開始する。二人とも特殊な訓練を受けた元兵士であるため、こうした尾行はさして難しいことではない。しばらく尾行を続けると闇市を離れ、郊外に建てられたトタン屋根のボロ小屋へ男は入っていった。


「入ったぞ」

「ここが隠れ家ってわけか」


「見張るには向かない場所だな」

 池野は周囲を見渡した。あちこちに申し訳程度にプレハブ屋根をつけただけのボロ小屋が立ち並ぶこの場所も、戦前はもう少し落ち着いた風情のある場所だった。戦争の被害が住宅不足を生み、貧困がスラム街を生む。そしてヤクザや近隣のアジア諸国から流入してきたマフィア連中もうろつく、良くない場所だ。

 殺し合いとなれば台湾マフィアが10人出てこようが100人出てこようがこのタッグなら負ける気はしない。しかし余計なトラブルを避けて任務を遂行するには、ここに長時間張り付く事は得策でないように思えた。


「ならやる事は一つだ」「多数決で決まりだな」

 立峰は言った。池野も頷き、男の潜伏場所に歩を進めた。


 人員は二名、決定は一つ、即ち……

「オラァ! 邪魔するぜ!」

 オープン・ザ・セサミー! ボロ小屋の扉に力づくで放ったフロントキックを以て合鍵とした呑龍が威勢よく男の住居に踏み込み、霊銀もそれに続く。


「!? クソッ!」

「逃がすかよ!」

 侵入に気付いた稲船が敵を認識し、裏口からの逃走を図るものの超人的身体能力を持つ二人の男から逃げ出す事は不可能だった。呑龍は稲船の首根っこを掴むとその怪力で裏口とは逆方向に思い切り投げ飛ばした。

 地面にぶつかった衝撃で稲船は鼻を強打し、口の中を切る。それでも何とか逃げ出そうと這ったが、小屋を出た所でその背中に大男のブーツの重みがのしかかった。


「ぐうう……くそ……」

「稲船 ひろむだな」

「くそ、権力の犬か……!」

「色々聞きたい事がある」

「答える事はない」

 すると呑龍は抑えつけられて身動きの取れない稲船の顔面を死なない程度の強さで蹴り飛ばし、冷酷にこう告げた。


「こっちには用がある」

「答える事はない!!」

 稲船はむきになって叫ぶ。


「皇室や閣僚に対して殺害予告を出していたな。本部で色々聞かせて貰う」

「なんだと! 令状でもあるのか!?」

「そんなものはない、よな?」「ああ、ない」


 二人が顔を会わせて答えると、稲船は喉が裂けるかというほどの勢いで怒鳴り始めた。

「畜生! お前たちはいつだってそうだ! 八丈に住んでいた時もそうだった!」

「何を言ってる? お前が強姦して殺した老婆の話か?」


「そんな事件はなかった!!」

「被害者は居たし、共犯者の自白もあってお前も吐いたはずだろう。何言ってやがる」

「ある日警察が「俺は天皇暗殺を目論んでいる犯罪者だ」って疑って来たんだ! 俺がアカハタを読んでいたからっていう、ただそれだけで!」

「事実だろうが」


「あの時まではそうじゃなかった! なのに警察は俺を捕まえたんだ! おまけに俺が犯罪を計画していた証拠を作るために、老婆と知的障害を持った男を使って適当な証言を引き出した!」

「一体何の話だ……?」


「それからはお前たちのやった通りだ……俺はでたらめな奴等のでたらめな自白で犯罪者にされ、二月も拷問された……あの人が来なければ俺はどうなっていたか……」


 二人の追跡者を警察関係者と思い込んでの発言であったが、稲船の憎しみは日本の警察のみならず、日本そのもの、そしてそれを支えている人々すべてに対して明確に向けられていた。



「あの人だと? 誰だそいつは」

「彼は真の日本人、憂国の十字架を一人背負う高潔な方だ! イカれた老婆と男と警官共を全員殺して、俺を地獄から救い出してくれた。あまつさえ俺を同志と呼び、革命の闘士に選んでくれたんだ! こんな腐った国はぶっ壊してやる……!!」


「ほう、めでたいな。ぶっ壊して、それで? この国を赤くするってのか? それでこの国が変わるとでも?」

「”変わる”さ……! 少なくともな……!」


「少なくも俺は、この国をソ連にしたいとは思わんね」

「アメリカやイギリスにはしたかったのか? 勝てもしない戦争を勝手に始めておいて、それこそめでたいね」


「舐めるなッ!!!!」

 稲船を皮肉ったつもりの呑龍であったが、思わぬ返しの一言は国のためにひたむきに戦い続けて来た兵士にとって、この上ない侮辱の一言に感じた。


 頭に来た呑龍は不愉快のおもむくままに男の顔をもう一度蹴りつけた。稲船の歯が三本ほど一気に折れ、その内の一本が吐いた血と共に路上に転がった。


「復讐するのはお前の勝手だが、相手が悪かったな」

 霊銀は一言、虫けらを見下ろすような目で、無感情に言い放った。


「くそ……」

「そういう事だ。お前の言う「あの人」とやらについて、洗いざらい吐いて貰うぞ」

「誰が話すか……!」

「俺たちにかかれば話す気になるさ、例えそれがスターリンや毛沢東だってな」


 こんな問答はそもそも本筋ではない。問題はこいつの関与した犯罪と、どんなテロ計画を練っていたか、そして何より背後関係だ。呑龍はこめかみに青筋を浮かべながらもより詳しい尋問を行うため、彼を生け捕りにして本部まで連れ帰ろうとした。


 その時だった、風を切って一本の矢がウミヘビのように唸りながら飛来した。霊銀は右腕を硬化させ、呑龍も右腕を日本刀に変形させたが、突如の予期せぬステルス・アタックにほんの一瞬反応が遅れた。

 それでも歴戦の兵士二人は突然の襲撃に対しても深手を負う事はない。しかし誤算はあった、狙いはそもそも彼ら二人ではなかったのだ。


 一瞬の反応の遅れ――――飛来した矢の狙いが二人ではなく、稲船であると気づいた時にはもう、遅かった。


 突如飛来した銀の矢が稲船の頭部を貫き、彼の持つ情報を彼の持つ世界への憎しみとごと永遠に奪い去った。



EPISODE「死人に口無し」へ続く。

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