二節 - 血塗られたアンコール -
新帝國保安局
第二節【血塗られたアンコール】
EPISODE 004 「新帝國保安局」
アスタロトとの
後で知った事だが、戦後の逃亡期から日本に戻って来るまでの間に、霊銀の戦時中の記録の多くは秘密裏に処分され、残った記録もアスタロトの計らいによって書き換えられたようだ。
懸念は消え、祖国にも無事帰れた。タイでの暮らしと海の眺めは悪くなかったが、やはり自分の国が一番だと思う。この二年間はちょっとした休暇のようなものと思えばいい、月月火水木金金、戦争に明け暮れ、あのクソのようなビルマの道のりさえも休まず歩き切った。休暇をいくらとった所で文句は言われまい。
――――もっとも、文句を言う上官の内何名かは既に巣鴨の拘置所で十三階段を待つ身である。
風の噂では、第二後方勤務要員養成所の校長であった
霊銀は占領された帝都の焼け野原を歩く。随分と変わってしまった。大空襲によって焼き消えた街並みだけではない、東京のそこら中を我が物顔で歩き回る白人の軍服男達……これが二年前だったら決して許容されなかった光景だ。
だが事実、それらを咎められる力を持つ者などどこにもいない。進駐軍、連合国軍、GHQ、マッカーサーの手先……呼び方は何でもいいが、この地は彼らに奪われた。
大日本帝國という国は、敗戦と共に消えたのだ。GHQなどという我が物顔で自分達の土地を歩き回る連中、焼け野原、残されたのはそれだけ。
……何が悪い? こうなった原因は? 霊銀は何度もその理由を考えたが、活動家や政治家、プロパガンダめいた答えを出すことを好まなかった。ただ、日本には力が足りなかった、ゆえに帝國は崩壊した。事実として存在するそのロジックだけを霊銀は受け入れた。
それでも日本という地が完全に潰えたわけではない。大日本帝国を喰い漁り終えた
「ここか……。随分変わったな」
東京都
アスタロトによって霊銀が招集を受けた組織「新帝國保安局」の本部がある地域だ。指示を受けた地名は確かにここ。空襲後に建てられたのか、急造のコンクリートビルで作りに粗悪さが見受けられる。
「霊銀だ。アスタロトから招集を受けて来た」
「伺っております。二階までどうぞ」
受付を兼ねた祈祷師の女性を通りすぎ、霊銀は階段を登って二階へ上がり、扉の一つをノックした。
「霊銀です」
「入りなさい」
聞き覚えある声の許可を得た霊銀が入室すると、そこにはやはり見覚えのある顔があった。しかし、それは一つではなかった。
「ううーん……おお? お前……まさか立峰か!?」
室内には先客が居た。振り向いた男は目を細めて霊銀を数秒凝視すると表情を変え、驚きの声と共にニカっと笑みを浮かべる。
彼の中国で負った頬の傷とその表情を忘れるはずもない。第二後方勤務要員養成所で出会った男にして共に樺太で終戦を迎えた戦友、名は「池野
「呑龍、生きていたのか」
「ハハハ、冗談が悪いな。俺が赤軍なんかに捕まるかよ。お前こそ、生きてるとは思ったが会えて嬉しいぞコノヤロー。それより髪伸びたな?」
笑みを浮かべた池野こと【呑龍】は、二年ほど見ない間にすっかり伸びた霊銀の髪をわしゃわしゃと撫で揉む。表情には出さなかったものの、変わってしまったと思いかけていた内地で変わらぬ彼に会えたことは霊銀にとっても悪くはない再会だった。
「約束通りだな霊銀、遠路遥々よく来てくれた。この国の為、国家の英雄であった君と共に働けることを嬉しく思う」
アスタロトは、呑龍の立つ奥でデスク前のチェアに腰をかけていた。先月にタイで出会った時と何一つ変わらない、髭をたくわえた黒縁眼鏡の姿のまま歓迎の意を示してくれた。
もちろん、変わらないというのは一見穏やかな表情の奥に、アスタロトは底知れぬ何かを抱えているという事でもある。
「この新帝國保安局についてだが――「赤の連中」とやり合う組織だと聞いた」
「間違ってはいない。だが少々語弊もある」
アスタロトは肯定とも否定ともつかぬ曖昧さをまず見せた。
「確かに我々は「赤」とも戦っているが、それは第三部門の仕事だ。帝國保安局の目的は「日本の未来の創造」そのものにある」
「意味がわからんな」
「難しくはない、少し考えればわかる事だ。数年ぶりの内地はどうだった? 東京の景色を見たか? 軍隊は見たか? 何人に出会った? 彼らの人種国籍はどうだった?」
アスタロトは雄弁に語る。
「日本は焼き尽くされ、玉座にはマッサーカーが居座り、彼らの兵隊であるGHQが帝都を我が物で歩き回っている。スパイが出入りし放題で各所に拠点を築いている。治安は最悪で人々は飢え、ヤミ市が蔓延り、中国大陸、朝鮮半島、台湾からマフィアが次々押し寄せ犯罪は絶えない。……こうしたすべての問題を解決し、奪われた日本を我が手に取り戻す。……それが新帝國保安局だ」
「ふうん、なるほどな」
霊銀はなんとなく納得し静かに頷く。
「霊銀、君には今日から第三部門である対赤部門で働いてもらう。呑龍、彼と組むように」
「了解しました。では工作員「呑龍」、霊銀と共に警ら活動に行って参ります」
呑龍は笑みを浮かべてアスタロトに敬礼する。
「よろしい。行きなさい」
アスタロトが退出を許すと霊銀は腕を組み神妙な面持ちで頷き、呑龍に連れられるままに局長の部屋を後にした。
★
かくして新帝國保安局の一員となった立峰こと霊銀であったが、実感というものはさして感じなかった。警察や軍隊と違って秘密組織であるために制服の類もなく、霊銀は私服の上にジャケットを羽織るのみ。昭和22年の秋の風が頬を冷たく撫でる季節だった。
パトロール活動に出かけた二人は車に乗りゆったりと東京の街を走る。鼻の突き出たような造形のこの車は40年型のフォード・クーペで、これ自体は悪くないものだがあちこちに擦り傷があり修理が行き届いていない。それでも移動手段があるだけ幸運だ、なにせ今の日本で車に乗れる身分は限られている……戦前以上に。
「それにしてもお前にまた会えるとはな」
運転席の呑龍は機嫌良さそうに言った。
「で、二年間もどこに隠れてたんだ?」
「どこか隠居しようと思ったんだが内地に良い場所が無くてな。結局タイで暮らしてた」
「なるほど。それで国のために戻ってきてくれたのか?」
呑龍は愛国心の熱を持った瞳で霊銀に問うたものの、霊銀の瞳は実に冷めていた。
「いいや、
と、前置きした上で彼は言った。
「
そう答えると呑龍は噴き出して笑った。
「ハハハハ、局長は強引だからなあ。あの人にかかれば冬眠中の亀だって二本足で走るぜ。……それで? タイではどんなことしてたんだ? ジャングルに地下壕でも作って暮らしてたか?」
「別に、動物売りの奴の所に転がり込んで小動物や小鳥を売ったり、炭鉱とかで労働したりだな」
「動物売りに炭鉱だって? お前にしては随分地味な暮らしだったんだな」
「地下拳闘や用心棒もやったが短期間だ。目立って米軍に目をつけられたくなかったからな。呑龍、お前はどうしてたんだ」
「俺か? 大した事はない、北海道でお前と別れた後は故郷に帰ろうと思ったんだが、俺も戦犯容疑がかかってたから途中で捕まりかけてな。そこをアスタロトに助けられて、そのあとはここで働く事になったのさ」
運転席の池野こと「呑龍」はハンドルを握りながら霊銀の問いに答えた。
「お前はどう思う?」
ふいに呑龍が尋ねた。
「何がだ」
「我らが局長……アスタロトの話さ」
「生活の邪魔をされたから仕事を辞める時は十発ほど殴ってから出ていく」
「……他に言う事はないのか?」
「ああ、これといって言う事もない。金が溜まったらまたどこかで静かに暮らす」
霊銀は感慨もなく、そう答える。アスタロトの存在の事は非常に面倒くさく思っているようだが、その他の事に関しては何事も彼にとっては些細な事のようだった。
「そうか。まあそれも良いんじゃないか?」
「お前こそ、この仕事はどうだ」
「そうだな。必要な仕事だが、人によってはしんどく感じるかもしれない」
「どういう面でだ」
「女子供を殺さなきゃいけない事がある。証拠の隠滅だったり、そいつ自体が「赤」の連中だったりする時にな」
「そんなものか」
霊銀は無感情に言い放った。
「成人男性や軍人を殺すよりずっと簡単だ」
それは「なぜ躊躇うのか」とさえ言いたげな一言だった。
「はは、相変わらずだなあ、お前は」
呑龍は何も言い返さなかった。霊銀がそういう男なのは戦中からよく知ってる。凌辱を楽しんだりするような輩でこそないが、例え女子供であっても敵と見做せば老若男女を問わず平等に殺す。非常にシンプルで、平等で、それでいて冷徹な思考の持ち主だ。
「まあ、お前なら長続きするだろう。それに近頃は退屈しない」
卑屈な笑みをみせた呑龍は、傷ついたフォードのアクセルを少しだけ強めた。
初日となったその日のパトロールは何事もなく終わった。
EPISODE「正義を為すオルグ」へ続く。
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