赤い血


EPISODE 003 「赤い血」



………………


「なあ、名前はなんていうんだ? 俺は池野ってもんだが」

「俺は立峰だ」


…………


「立峰、広島と長崎に落ちた新型爆弾の話を聞いたか? ひどい有様らしい」



 堪エ難キヲ堪エ忍ビ難キヲ忍ビ……



……



「目覚めたかね」

 立峰の意識を夢から引き戻したのは、知らない男の呼び声、久しく聞いていなかった日本語だった。それと、全身に浴びせられたバケツ一杯の生温い水。



 倉庫のようだった。辺りを見回すと暗い室内に、ランタンによって僅かな灯りが灯され、倉庫に空いた小さな穴から差し込む陽射しが大気中のほこりをキラキラと光らせている。


 四肢は天井から伸びる鎖によって繋がれ、更に椅子の上に縛られる形で座らせられていた。この拘束を行うのが常人であるならばまだしも、立峰は只の人間ではない。この程度の鎖を引きちぎる事は容易い…………



「……!」

 力を込めた時、立峰は違和感を覚えた。力が満足に入らないのだ。鋼鉄の板を捻じ曲げるほどの怪力を発揮する事が出来ず、それどころか”能力”も使う事が出来ない。



「無駄だよ、君の力を”無効化”させて貰った。私はそういう力が使える」


 立峰は声の主を見る。外見だけならば男の年齢はさしずめ50代ほどといったところか。髭を生やし、黒縁の丸メガネをかけた男で一見物腰が穏やかそうにも感じられるだろう。……このような初対面でなければ、の話だが。



 ……徐々に意識を失う直前の記憶が蘇って来る。地元のマフィアをけしかけた襲撃と、その中に混ざっていた”能力持ち”の日本人の集団。その中にこいつは確かにいた。


 戦略的な規模で負けた事は何度もあったが、実戦上の白兵戦ではこれまで無敗の存在だった。例え人数差がどれだけあったとしても、だ。



 拘束され、能力を封じられたこの状況……負けたか。玉音放送の際であっても敗北を実感しなかった男は、初めて感じる敗北の感触に眉をひそめ、ばつの悪そうな表情を作った。



「知的好奇心で尋ねるのだが、どんな夢を見ていたか聞かせてくれないか」

「戦争の夢だ。昔の戦友に会って、樺太で戦って……」

「ほう、それから?」


「……戦争が負けそうになった時、体長2メートルのキヌゲネズミ十万の軍勢が降り立ちソ連のクソッタレを皆殺しにする。樺太はそいつらの島になるんだ」

 と、立峰は荒唐無稽な夢の内容を男に語って聞かせた。


「茶化しているのか? それとも本気か? ……まあいい、君は変わったユーモアを持っているようだな」



 男は戦闘でレンズの割れた黒縁の丸メガネをクイと上げる。

立峰たつみね しるべ、大正10年生まれ、名古屋出身、士官学校を卒業の後は「第二後方勤務要員養成所」を経て皇軍の大東亜決戦超人兵として戦争に参加。当時の識別名は【霊銀】。戦場を転々としマレー作戦、シンガポール攻撃、インパール作戦などに参加。樺太からふとで終戦を迎える。最終階級は中尉。……まさに軍神、凄まじい経歴だな」



 彼は紙などの類は一切読まず、記憶力だけを頼りに立峰の経歴について語り続ける。

「最終所属は第八十八師団……に組み込まれた特別攻撃超人部隊。能力は金属硬化、流体化による四肢の刀剣化、それと再生能力……? こりゃ大変な能力だね。……いや、実際手こずったよ。見ろよこの傷、君にやられたんだ」


 そう言うと男は頭を上げ、人差し指で自らの首を横に撫でた。立峰は意識を失う前の戦闘を思い出す。自身の記憶が確かならば、この男の首を裂いて殺したはず。……だというのに、男がこれみよがしに見せつける首には、ペーパーナイフのり傷ほどの傷跡すらもない。


 そのわざとらしい行為は自身に対し、彼我の実力差をあえて見せつけているように感じた。


「うんまあ、君は能力者にしては驚くほど強い。事実この追跡で三名の部下を失った。――――だがその程度で私の足元にも及ぶと思ったなら君は究極の馬鹿だ。身の程は知るべきだね、下位人モータル


「身の程? そんなものは一生知る気にならんね」

 そのマウンティング行為に対し立峰は吐き捨てる態度を取る。


 男は失笑し、それから話を続けた。

「シンガポール攻撃作戦と樺太の撤退戦における功労者ともされ、軍神、英雄とさえ呼ばれた君がまさかタイにまで国外逃亡とはな。戦犯として処刑される事を危惧したのか?」


「俺をGHQかソ連にでも引き渡しに来たか」


 立峰は眼前の男をアメリカのOSSか、あるいはソ連のNKVD(エヌカーベーデー)の息のかかった者かと疑ったが、男は首をゆっくりと横に振ると、こう答えた。


「私が白人に見えるか? ……そもそも、戦犯という尺度で考えたら私こそ処刑されかねない。ハァ、べつに満州で医者をやっていただけなんだがね」


 その言葉から、立峰は男の経歴を瞬時に察した。


「ああ、お前は俺たちが戦っている間、満州で”お人形遊び”をやってた連中か?」

「心外だな、おまけに君という男は無礼極まる。私のやっていたことはね、国のため、戦争を終わらせ平和をもたらすために行っていた立派な国の研究だよ。……楽しかったのは認めるがね」


 暗闇の中、男の表情の微かな変化を立峰は見た。その表情は崇高な使命と、そこに隠された僅かな愉快の入り混じった、見る人によっては「不謹慎」と感じるような微笑みだった。


「それとも非難するか? いくらでもすればいい。だが私は使命に従い”人の嫌がる事を進んで行っただけ”だ」

「誰が死のうが、苦しもうが別にどうでも良い。――外国人の命だの人権だのは特に」



 立峰こと「霊銀」はかつて英雄とも呼ばれた男であったが、道徳観というものを靴べらほどにも重要視しない男だった。そういう戦友たちも居た気がするが、そういった連中は全員戦争で死んだ。志は立派だったかもしれないが、生き残るだけの力が無かったのだ。

 そして皮肉な事に、英雄という人物像から最も遠い男が生き残ったのである。なぜならば、彼には戦争を生き残る力があったからだ。



「それが君の命でもか?」

「大差はない。殺すならさっさと殺せ」

 立峰は即座に言い返した。


「君は超能力者サイキッカー、普通の人間じゃない。まともに君を殺そうとすれば大量の戦車や爆撃機、もしかしたら戦艦も必要になるかもしれないな? だが……今の君は私の力によって能力と身体能力、そして斥力場バリアを封じられている。見てみなさいこの銃を」



 そう言うと男は拳銃を一丁、懐から取り出す。細身の銃身でいかにも非力そうに見えるその銃は優男か女のための拳銃といった印象で、陸軍が採用していた十四年式拳銃よりも更に細く、アメリカ軍のガバメントのような軍用銃特有の力強さはどこにも感じられない。



「コルト・オートマチックピストル。22口径の銃で、ウサギや蛇を狩ったりするのには丁度いい。普段ならともかく、力を奪われている今の君ならこんな小口径の銃でも死んでしまうだろうね。君のような強力な能力者から力を取り上げて、こういう非力な玩具オモチャで殺す。お気に入りの殺し方の一つだよ」


 男は表情を変えず、ただコルト・ウッズマンとして知られる狩猟、スポーツ用拳銃の銃口をかつての国の英雄へと向ける。



「楽しい趣味を持ってるな」

 それでも立峰は、皮肉とも本心ともつかぬ余裕を持った言い回しによって対する男の残虐に当たった。


 コルト・ウッズマンが火を噴いた。倉庫の闇が一瞬光に染まり、.22口径の銃弾は立峰の肩を貫いた。


 能力者となって以来、根本的に体質の変化した立峰が赤い血を流すことはほとんどなくなった。それを流すのはインパールで栄養不足に陥った時以来か……久しぶりの事だった。倉庫を舞うほこりの匂いの中に自らの血と、コルダイト火薬の匂いが混じりそれが立峰の鼻を刺激する。



「その趣味で死ぬことをどう思う?」

「どうということはない。銃は好きだ、どうせなら銃で死にたいと思っていた」


 男は立峰のももを撃ち抜いた。弾丸が動脈を貫き、大量の血が足を伝って床へと零れ始める……。


「それが今ここででも?」

「ならばその時が来た。ただそれだけだ」


 立峰は尚も言い放った。男と立峰は互いに目を合わせ、静かに睨みあう。英雄の命が流れ続け死に向かうその間も二人は沈黙を保った。


 ブラフではない。彼の言葉は本心から来るものであり、他人の命をどうとも思わない事のみならず、自身の命でさえ軽く見積もる男。――それが立峰という人物の価値観だった。



 男は立峰の本質を見抜くと微かな微笑みを浮かべ沈黙を破る。

「気に入った。私の見込み通りの男のようだな」


 そして彼は告げた。

「ここまで来た目的は君を捕まえて外国の諜報機関に引き渡す事でも、ましてや殺す事でもない。実のところを言うとだな……君を迎えに来たんだ」


 そう言われた立峰は口を挟むことこそしなかったものの、怪訝けげんな表情を浮かべずにはいられなかった。


「君にしかできない、それこそうってつけの仕事がある。日本の未来を創る大仕事、内閣の要請だ。どうせ死んでも構わない思っているなら、せめて話だけでも聞いていくといい。どうだね?」


「良いだろう。聞いてやる」

 その実、霊銀の命を救った判断は好奇心だ。死ぬこと自体は大したことではない。しかしまあ、日本を離れこんな東南アジアまで自分を探しに来たのだ。その目的は聞いてやろうという気になった。



「感謝する。まだ名乗っていなかったね。私は善村 功四郎だ」

「俺は忘れっぽい、他人の名前なんて忘れちまう」


 立峰は皮肉っぽく言ったつもりだったが、善村は頷いてこう答える。

「いかにも。あと10秒もしたらこの名前を聞いた事実を破壊しよう。するとどうなる? ……私の名前を聞いた記憶が君の中から消える」

「へえ便利な能力だな」



「そう、便利なんだ。だから代わりにこの名で私を覚えておくがいい……「アスタロト」。今はそれで充分だ」

 アスタロトは微かな笑みを浮かべると、瞳の全てを白色に光らせ、超常の力を帯び神秘的に発光する手を立峰の額にかざす。……立峰の意識は再び闇に落ちた。





 ――――感謝するよ。私と君はついさきほどは敵同士だったが、ノーサイドの笛はもう鳴った。これからはお互いよくやっていこう。




 歓迎しよう霊銀。そしてようこそ、新帝國保安局へ。







 終戦から二年後の出来事であった。





EPISODE「新帝國保安局」へ続く。

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