誰がリンゴを食べたのか


EPISODE 029 「誰がリンゴを食べたのか」




「それは将来、世界の在り方を変える事になる機械だ。しかし早すぎた、生まれて来るのが、あまりにも早すぎた……」

「世界の在り方を変えるだと? 詳しく聞かせて貰おうか」


 アンシンカブルは翠嵐が何故、何のために、どのような不法を用いてこの場所にやってきたのかを未だに問い詰めようとしなかった。

 代わりにこの陰鬱な表情を浮かべる巨漢は近づくと、カプセル前に設置されたモニター付きの機械を見下ろして言った。

「これはさしずめ毒蛇が与えてしまった禁断の林檎、世界初のパーソナルコンピューターだ。本来これを設計するはずだったエンジニアの名前はスティーブ……」

「パーソナル……何だと?」

 初めて耳にする語句に翠嵐は思わず首をかしげる。


「非常に高度な演算能力を持った情報処理機械だ。これがあればミサイルに人間を載せて海の向こう、いや、月まで飛ばす事さえ出来るだろう……」

「月……? 夜空に浮かぶ、あの月の事を言っているのか?」

 アンシンカブルが語る空想めいた話に翠嵐は混乱し、アンシンカブルの言う月が、翠嵐の知る月と果たして同一の物を指しているのかさえ怪しむほどだった。

「ああ、その月だ」

 アンシンカブルは肯定する。

「こんな物を作れる能力者が居るとはな、日本軍にも【澎湖ほうこの貝殻】という魔術道具があったが……」

 見た事のない物体に翠嵐は関心を寄せる。日本軍にも超能力を用いる事によって純科学を越えた魔術道具がいくつか創られたし、今も秘密裏に作られているが、こういうものを観るのは初めてだったからだ。

 きっとこれもそうした……

「違う」

 その時、アンシンカブルが翠嵐の言葉を遮った。


「何?」

「サイキッカーや祈祷師プレイヤーの作ではなく、つまり魔術道具ではない。作ったのは定命者モータル……町工場で働く、普通の作業員ブルーワーカーたちだ」

「なんだと、アメリカの工業力はこれほどだとでもいうのか?」

 翠嵐が眉をひそめ問うと

「違う!」

 と声を強めて否定し、それからこう述べた。

「……アメリカには高い工業力の基盤があったが、ここまでではなかった。この機械の名前を「マークⅡ」と言ったが、マークIは存在しない。あるべき順番を飛ばして、いきなりIIを作ってしまった。この時代には本来あってはならない、1977年に、生まれてくるはずだった機械だ」

「まさか……」

 アンシンカブルが説明をすると、翠嵐の表情から血の気が引けていった。自身も予知能力者の端くれであるだけに、言っている言葉の意味が判ってしまったのだ。


「そうだ。我々は未来の道具を作ってしまった。それも、人類史を変えるほどの強力な道具を、だ」

 どんな意図であるにしろ、アメリカ人は非情に危険な事をしているとわかった。わざわざ超能力を使って魔法の道具を作っているのは、サイキックを正常に認識しない一般市民においそれと普及させない目的もあるのだ。

 たとえ予知能力者が作った設計図でも、その構成部品・製法のすべてが純科学、純物質に則ったものであるならば、すべての人類に使えてしまう、論文を書けば学者はそれを理解できてしまうし、下手をすれば町の工場で量産ができてしまう。それは人類の進化スピードを速める裏技でもあるが、一歩間違えれば今の時代の人間の手に負えない道具を与え、人類を滅ぼしてしまいかねないような危険な行為だった。


「どうしてそんな事を……」

「俺もそこまでは知らない。確かなのは、戦時中にこの機械をある魔術結社が作ってしまい、あまつさえそれをアメリカ軍に供与してしまった、ということだ」

 アンシンカブルは言った。

「そしてそれが、より恐ろしい結果を生んでしまった」

 翠嵐のもとまで歩んだアンシンカブルは、マークIIコンピューターの前に立つとそれを操作しだした。彼がパスワードを入力し、Yキーを押すと部屋中央の鉄のカプセルはキー入力に応えた。


「――これはあくまで私見だ。ハンムラビは「高性能な電卓とメモ帳」を与えたつもりだったのかもしれない。”こんなもの”の制御装置として用いるなど、考えてもいなかったのだろうな」

 カプセルを保護していた鉄のカーテンが降ろされ、アメリカ海軍がノースカロライナの中に隠していたものが露わになった。


 翠嵐は言葉を失った。ビジョンの中の霊銀はカプセルの中身を暴くことまではしなかったため、こんなものがノースカロライナの奥部に存在するとは思ってもいなかったからだ。



 それは水槽のようになっていて、カプセルの中をアクアマリン色の液体が満たしていた。中には熱帯魚も、カラフルな異形の川魚も泳いでいなかったが――――”人のようなもの”が浮いていた。


 年頃の黄色人種の少女……のようだった。彼女は裸体のまま水槽に閉じ込められていたが、腹部にはひどい縫い痕が、右手と左足先は欠損しており、右耳も千切れていた。瞳孔は開き切って、口は半開きのままで、少女が生きているようにはとても見えない。

 しかし、少女の遺体は腐敗することもなく水槽の中で紅色の水晶体に包まれており、まるで昨日か今日に命を落としたようにさえ思える。かつてそこにあった命の輝きの名残が、まだ消えていなかった。



 琥珀によってコーティングされた蝶のようだった。


 これが一体何を意味するのか、何のために存在するのか。翠嵐には一目にわからなかった。しかし、この美しく、そしてそれ以上に惨酷で、呪われたこの装置と少女の姿に翠嵐は思わず一筋の涙を流さずにはいられなかった。


「これは……。何をやった……」

「リトルリリウムと呼ばれている。戦艦ノースカロライナが抱える最重要機密であり、守り神でもある」

「そうじゃないだろうが! 俺が聞いているのはそんな事じゃない……! お前たちは、アメリカ人は何をやったんだ……!」

 翠嵐が問いただすと、アンシンカブルは彼の問いに答えた。

「この少女は生前サイキッカーだった。発見した時には既に死んでいたが……死してなお、彼女の肉体からエーテルがいつまでも消失しなかった。我々が「ヒューマン・サイキック・デバイス」と呼ぶ分野において、当時の日本はアメリカの先を行っていた。この差を埋めるアイデアを思い付いたアメリカ軍はこの少女の遺体を結晶化させ、米国産「ヒューマン・サイキック・デバイス」の成功例第一号にしようとした」

 その言葉を聞いて、翠嵐は激昂した。


「ふざけているのか! 超能力者の遺体を利用した軍事研究を行っていた罪で、日本の軍人を巣鴨拘置所に叩きこんで縛り首にしたろうが! アメリカが! それを決めたんだろうが!!」

 アンシンカブルは何も言い返さなかった。

「……なんて事を……しかも、この子は……」

「……そうだ、ニッポン人だ。この少女を沖縄で回収したのは……俺だった」

 アンシンカブルのその一言を耳にした時、翠嵐は冷静さを大きく欠いた。

「お前たちはッ!! 何をやっているかわかっているのかッ! 戦争は終わったんだぞ! なのにどうしてこんなものを増やした! お前たちが我々に対し批難したもの――――それよりおぞましいものを!!」

 顔を怒りで赤く染めた翠嵐はアンシンカブルの胸倉を掴んだ。凄まじい力で、アンシンカブルの巨体の重心が動かされるほどだった。

 翠嵐は右の拳を握り、アッパーブローでアンシンカブルの顎を下から殴り上げようとした……だが当てる直前に拳が止まった。アンシンカブルがこの拳を止める未来が、視えなかった事に疑問を持ったのだ。


「何故当てない」

 陰鬱な青い瞳が見下ろして、翠嵐に問う。アンシンカブルの両拳には何の力も込められておらず、無防備極まりない格好であった。

「貴様こそ、何故防ごうとしない。喰らっても平気とでも言うつもりか!」

 翠嵐が逆に問い詰めると

「違う。お前に当てる気がないだけだ」

 と、アンシンカブルが見透かしたように言い放つと翠嵐は更なる苛立ちを感じた。だが、それ以上にこの大男が何を考えているのかわからない。目的が読めない。


「……」

「ニッポンのサイキッカー、お前に決闘を申し込む」

 目的を計りかねて黙っていた翠嵐に対し突如、アンシンカブルは痺れを切らしたように決闘を申し込んだのだ。翠嵐は、この男の目的が余計にわからなくなった。


「挑発のつもりか。俺がそれを易々受けると?」

 この部屋に来る段階で、この男と戦う未来自体は視えていた。このやり取りも未来のレールに載せられるがままなのだ。だから、この問いは翠嵐なりの強がりだった。


 巨人はその青い陰鬱な瞳で翠嵐の表情を覗き込んだまま、ゆったりとした口調で答えるのだった。

「受けるとも。お前の眼には、おれたちへの憎しみが宿っている」







EPISODE「未来への挑戦者」へ続く。



===


☘TIPS:世界観・ガジェット 【MARK―II「パーソナルコンピューター」】


 魔術結社サン・ハンムラビ・ソサエティ(SHS)が多数の未来予知能力者を総動員して得た情報を基に設計図を起こし、製造を行った”約30年後の未来に生まれるはずだった”情報処理機械。

 設計図の作成までは超能力者によって行われたものの、その内部構造やネジの一本に至るまで100%純粋な科学技術によって構成されており、超能力耐性を持たない定命者モータルにも操作が可能、それどころか十分な設備と技術さえあれば量産さえも出来てしまう。


 戦時中、ハワイ島陥落の危機に陥ったアメリカ軍にもたらされたオーパーツの一つであったが、SHS上層部は当時マークIIを「高性能な計算機器」としか見做しておらず、それがまさか純米国産ヒューマン・サイキック・デバイス(HPS)の制御装置として使われるなどと思ってもいなかった。


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