後方勤務要員


EPISODE 002 「後方勤務要員」




 「霊銀」と呼ばれる超人的な力を持つ男との出会いは結構な昔の事になる。だがそれを思い出すことは前線で手に入れた食料のかすれた味を思い出すよりもずっとずっと容易い。


 1940年、この時既に大日本帝國陸軍に属し、支那事変(※)の英雄として名を挙げていた【池野 潤一じゅんいち】、識別名を【呑龍どんりゅう】であったが、戦争も良い所で突如、陸軍省からの要請によって一旦内地――つまり日本列島へと戻されたのだ。


(※当時の日本国内における呼称。21世紀では41年以降の戦争も含めて「日中戦争」と呼ばれる事が多い。)



 その理由はハッキリとしない。電報によっての詳細も語られず、不審・不満に思いながらも帰って来た池野であったが、帰国した彼が最初に受け取ったのは「第二後方勤務要員養成所」なる軍教育施設への転属命令だった。



 ――身に覚えはある、あれは任務中に三十年式歩兵銃を壊した際の事だ。破損は戦闘中の不可抗力であったにも関わらず、天皇陛下より賜った小銃を壊すとは何事かと怒鳴り散らした上官が腹を切って詫びる事を要求したのだ。

 口論となり、切腹を拒否のうえ上官を殴り倒してしまった。命には別状なかったものの軍法会議にかけられたり、左遷を受けたりするには十分すぎる理由だ。


 せっかく戦争が盛り上がって来た所だというのに後方送りか。などと思って男は軍教育施設の門を潜り、指定の教室へと辿り着く。




 飛びこんだ景色は士官学校時代によく見たような教室だ、今となっては懐かしくさえある。

 生徒はそれほど多くなく、せいぜいが二十五から三十人といったところか、まだ中学にでも通っていそうな若い少年もいれば見覚えのある者もいる。



 ――例えば教室の後ろ側で既に着席している人物、彼は海軍第十三航空隊の男だ。本名は確か天元あまもと 淑雄よしお。能力者であると同時、96式を乗りこなす手練れの戦闘機乗りとしてもちょっと名の知れた男である。


 その時の彼は「黒人クロウド」という識別名を名乗っていたが、池野自身も中国で彼に会ったことがあるから、彼で間違いがない。まさか彼も左遷を? そのような可能性を検討したが、海軍の刀にして模範的優等生、人格者としても評判の高い彼が後方左遷を受けるとは想像しづらい。


 池野はいぶかしみつつも、天元に話しかけるか話かけないか少し迷った。しかしそうしている間に鐘の音が鳴ると、壇上に立つ軍の将校が着席を命じた。




 すぐさま手近な席へと着席する池野であったが、遅れて最後の人物が教室内に入って来る。


「貴様! 既に鐘は鳴っているぞ! 時間を厳守できぬとは何事か、恥を知れ!」

 壇上に立つ隆起した禿げ頭と、やけにつぶらな瞳が印象的な将校が最後の入室者を怒鳴りつけた。


 池野は振り向き、”大物”の尊顔を拝見しようとする。

「あー、すんません」

 その言葉に反して表情にも声にも悪びれた様子の見られない男は、非常にいかつい顔つきの男で背丈は173もしくは4と、その行いに見合う体格の大男だった。


 厳つい顔つきの男はとくに池野に目もくれず、彼の場所から二つ離れた席におもむろに着席する。



「まったくたるんどる、これだから近頃のは……」

 厳つい男が着席すると将校は不機嫌な表情を残したまま話を切り出す。

「……まあ良い、今日はよく集まってくれた。私は「第二後方勤務要員養成所」の教官の【ケール】である!」

 乳頭を想起する、母性を体現したような頭の将校は胸を張り、威張り散らすように名乗った。池野はこの男を知っている。陸軍のお偉方でついこの間まで北平(※)に駐留していた部隊の連隊長であった人物だ。もっとも、彼も生粋の日本軍人であるから当然にそのような名前ではなかったはずだが。


(※ 北平=21世紀では「北京」の名で知られる中国の都市)


「あの! お伺いしたいことがございます!」

「なんだね」


 突如挙手した青年が、池野の疑問を代弁して将校に問う。

「失礼ですが、あなたは陸軍少将のむた――――」

「! 口をつつしみなさい! ……確かに私は君の推察の通りの者であるが、私の真名マナを不用意に口にする事は”我ら”の活動の機密性を損ないかねないのだ。ケール、私の事はこの識別名で呼ぶように。良いか?」


 【ケール】と名乗る母性頭の男が念を押して注意する。青年はこれに素直に従った。

「は、失礼致しました!」

「うむ。それと質問は後で受け付けるから、講義中の質問は控えるように」

 真面目そうな青年が再三頭を下げる中、ケールは話の再開を試みた。


 の、だが……


「まず、表向き本校は「後方勤務要員養成所」の名を取っているが、本校は我らが皇軍の勝利のために必要とされる次世代の兵士を教育し、輩出するための秘密機関である事を念頭に置いて貰いたい。

 そもそも日本は神州であり、神々が守って下さる仕組みになっておる。その証拠として神々は我ら帝國臣民に”神懸かり”の力をお与え下さった。西洋のいんちき霊媒師どもはこれを「サイキック」つまり【超能力】などと呼ぶが言語道断、これは神武天皇が即位し皇紀元年の時より天照大神様が我々日本人に約束してくれた力であって…………」



 …………ケールの恐るべき長話は実に一時間を越えた。大した名演説だった。

 どうやら彼は「この世界に存在する超常の力」の成り立ちについて語りたかったのかもしれないが、話が逸れるばかり。池野も度々意識が遠のき危うく居眠りしかけたため、話の全貌など到底頭に入らなかった。まあ、いかに軍事の将軍といえど要領を得ない者の言う事、鳥の糞ほどにも大した事は言っていないだろうと池野は結論付けた。


 池野はチラリと横を見る。二つ隣の席の厳つい男を見ると、その男は不動明王の如き厳めしい顔つきを崩さぬまま、腕組みし壇上の将軍を見つめている。その眼の見開き方といったら凄まじいもので、その眼光一つでこの世のどんな盗人も自らの罪を男の前で悔い改めそうな、そういった眼だった。


(凄いな、まさかこいつ、あの話をずっとそんな真面目に聞いてたのか……?)


 池野が強く感心したが、ケールの長い演説を海軍将校が諫め沈黙が訪れた時、彼の超人的聴力が微かな音を聞き取った。



 スー……スー……。

 池野は気づく、この音はもしや……?


(まさかこいつ、起きてるフリか……? やはり大物か……)


 二つ隣の席に座る大男とはまだ一言も話していないにも関わらず、池野の中で彼への関心はどんどん高まった。こいつは一体どこの出の者なのか? 軍人か? 士官か? 何の因果でここにいるのか? 興味は尽きなかった。


 あまりに長すぎたケールの話にようやく中断が入り、代わりに壇上に立ったのは同じく禿げ頭の将軍であったが、顔はケールよりも細く四角く、持ち前の生真面目と背負った責任や立場の重さが面相となって表れている老人だった。



「えー、既にケール氏が存分語ってくれたので私は手短に話させて頂きます。はじめまして、私は本校の校長を務めさせて頂く永野ながのと申します」


 彼はそのように名乗ったが、例えそれが無くとも、池野も含めこの場で軍属にあるものなら陸海問わずほぼ全員が彼の顔と名を知っていた。永野ながの 修身おさみ、帝國海軍の大将で連合艦隊司令長官をつい数年前まで勤めていた大物中の大物である。



「さきほどケール氏も述べてくださったように、本校の「後方勤務要員養成所」という名称はあくまで表向きのもので、実際には神懸かり、ないしは超能力と呼ばれる人智を越えた力を鍛える一種の研究機関であります。

 ここに集まって貰った諸君らの中には既に兵士として前線に戦っているものもおりますし、そうでないものもあります。具体的にいえば尋常中学校などでの身体測定で著しい成果をみせ、それらの才能が見込まれた者などです。


 池野は続けた。

「既に存じている事でしょうが、我が国は現在中国との戦争状態にあります。しかし実のところ戦争は新たな局面に突入しようとしています。最高軍機であるため仔細しさいまでは申し上げられぬが、いずれ来たるべき決戦の時に備え、我々日本軍は神々の力を持つ兵士たちを育てる必要がある事をまず、理解して頂きたい。

 早速ではあるが各種検査の後、本日よりそのための教育課程を始めるので、一年後には諸君ら一人一人が一騎当千の軍神になると心得てこの使命に臨んで欲しい。ひとまずは以上となります」


 永野大将が一礼すると、生徒として招集されたものたち一同はようやく椅子と机から解放された。



「……こいつ、まだ寝てるのか」

 池野はすぐに席を立たず二つ隣の席を見る。厳つい男はまだ腕組みしたままだった。まだ寝ているのだろうか、面白いので悪戯の一つでもしてやろうと思いついた池野は懐から十銭ニッケル貨幣を一枚取り出すと、指弾の要領で男のこめかみ目がけて撃ちだした。


 ――――だがその瞬間、眠っていたと思われた男が雷の如き素早さで動き、右手で十銭硬貨を払いのけると左手に生やした銀色に輝く鋭い爪を貫手で放った。



「あっぶねえ……!」

 喉を狙う鋭い貫手を池野は回し受けの要領で見事受け流した。その対応もまた雷の空に瞬くほどの素早さであった。


「なんだよ、起きてたのかよ」

 相手が池野でなければ相手の命は失われていた可能性を考えるべきほどの鋭く殺人的な貫手だったが、池野は笑いながら言った。


「少し前に起きた」

 と、厳つい顔つきの男は答えた。


「お前、かなり出来るな。どこの部隊だ」

 その恐るべき身のこなしと顔つきを見て軍人、それもベテランに違いないと踏んだ池野は男の所属を問うものの

「まだどこにも入ってない」

 と、男から帰って来たのは意外な返答であった。


「なんだと? 軍人じゃないのか?」

「士官学校での教育が終わったばかりだ。……ああ、畜生。もうすぐ戦争に行けると思ったのにこれだ、ふざけやがって」

 厳つい顔の男は舌打ちすると、教室の壁を忌々し気に見つめ悪態をつく。それを見て池野は思わず笑った。


「ハハハ、戦争に行きたいのかお前」

「そうだ」

 即答だった。


「まあ心配するなよ、閣下の言う事が確かなら戦争は待っていてくれるはずだ。それより士官学校ってことは、まさかお前そのツラと図体で俺より年下か? ハハハ、能力者の外見情報は本当にアテにならんなあ」

「どうでもいい、それより俺は早く戦いに出たい」


 なぜこの男は戦争に憧れるのだろう? 少なくとも呑龍には終わるならとっとと日本軍の勝利で終わって欲しい気持ちもある。彼はますます好奇心を持った。


「勇ましい奴だな、そんなに戦争に行きたいのは何故だ? アジアの平和のためか? それとも大君おおきみのためか? それとも中国人に個人的な恨みでもあるのか?」


 すると男は一言、こう答えた。

「何度も言わせるな。俺は”戦いたい”んだ」


「ははん、なるほどお前はそういう性質タチか。……だがそういう奴は嫌いじゃないぞ、第一お前は面白そうだしな。なあ、名前はなんていうんだ? 俺は池野ってもんだが」


 池野がまず名乗ると、厳つい顔つきの男はこう名乗った。

「俺は立峰たつみねだ」



 1940年の始め、内地に突如呼び戻されて向かった東京の胡乱うろんな軍学校での遭遇。それが大東亜戦争にて【霊銀れいぎん】の名で呼ばれた無慈悲にして比類なき力を誇った戦士、立峰たつみね しるべと【呑龍どんりゅう】と呼ばれる日中戦争の英雄、池野いけの 潤一じゅんいちの初めての出会いであった。



「そうか、その内お前に助けて貰う事もあるだろう。よろしく頼むぜ立峰」

「……」

 池野は立峰に手を差し出し握手を求めたのだが……立峰はこれに応じなかった。だが池野はこれに些かも気分を害することなく鼻で笑い飛ばした。


「……なんだ? 文句でもあるのか?」

「助けるかどうかまではわからん」


「そうかよ、連れん奴だな。まあいい、よけりゃ後で飯でも食いにいかねえか?」

「興味ない」

「興味が出る方法はないのか?」

「奢りなら行ってやっても良い」


 立峰が不遜に言い放つと、池野は片眉を吊り上げて軽く笑った。

「ほう、いいぜ奢ってやるよ。どうせ中国では使う場所も無くて余らせてた給金だ」




 ――――まだこの時期の日本の戦争は対中国の戦争であり、世界のすべてを相手とするも同然の苛烈極まる戦争がこの後に控えていると……いや、更にその先に1945年のあの日が待っているなどと、一体何人の者が精確に予見できたであろうか。


 それを知っていたものが皆無だったわけではなかったが、回避は出来なかった。それは覇権と覇権がぶつかり合い、血と混沌にまみれた戦火の時代で、何人であっても等しくその渦に逆らえず呑みこまれたのだ。



EPISODE「赤い血」へ続く。

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