第二章 - 秘密結社ハンムラビ! -
一節 - 日向を浴びる毒蛇 -
第一の矢
第二章【秘密結社ハンムラビ!】
第一節【日向を浴びる毒蛇】
EPISODE 022 「第一の矢」
思えば、すこし前までは道に舞う
戦争が終わってから三度目の冬だ。それはつまり、この国に来てからの季節が三巡目に入ったということを意味する。
今年もクリスマスには帰れそうにない。ホームシック? 否定はできなかった。フェンスの内側を”我が国”のように装飾し、雰囲気を似せ、華やかにこそしている。だから暮らしはそこまで悪いわけではない、むしろ良い方だ。
ケント・エンフィールドはグラスのブランデーを呷り、窓の外を眺める。進駐軍のための日本人立ち入り禁止区域と、日本領土を分けるフェンスが続いていた。
日本人にとってそのフェンスは特権階級たちの庭園とを区切る城壁に思えるかもしれないが、内側からそのフェンスを見た時、それは自分達の身を護る卵の殻にも思える事があった。
――本国から遥か遠くの地で暮らしていると、太平洋を挟んだその距離の長さを考えてしまう。隣国とは名ばかりで、近くて遠い国。お互いの距離が近くて、それでいてどこまでも遠い事を示すこのフェンスと同じかもしれなかった。
ブランデーのボトルが置かれたテーブルにはもう一つ、口のつけられていないブランデーのグラス。それと戦時中に撮影したモノクロ写真の入った写真立て、戦功によってエンフィールドの得た銀星の勲章が置かれていた。
エンフィールドはWW1、WW2を通して活躍した歴戦の兵士であると共に「キャバリーソード」のコードネームで呼ばれた能力者でもあった。太平洋戦争における戦功が認められ大佐にまで出世が叶った。それはとても名誉な事だった。
しかし、かけがえのないものも失ってしまった。モノクロの写真の中でエンフィールドと共に写真に写っている男性は、第一次世界大戦を共に戦い抜いた貴重な能力者で、唯一無二の戦友、いや、親友だった。
第二次世界大戦も共に戦い抜くはずであったのに――――なのに彼は逝ってしまった。彼が散ったのはルソン島。終戦までたったのあと半年、あと半年で終戦だったというのに、死の運命は彼を見逃してくれなかったのだ。
ブランデーに写る我が顔をエンフィールドは見る。実年齢は既に60歳も間近だというのに、30の時に老化が急に緩やかとなって以降、顔つきは未だ30半ば程にしか見られない。
しかし見た目に現れなくとも、肉が老いずとも、心と魂は老いる。二度の戦争を勝ち抜いた歴戦の
たとえずっと若者の姿でいられたとしても、魂の老いにまで打克つ事はできない。――――冬が巡る度、そんな事をエンフィールドは考える。
彼は孤独を忘れるようにストレートのブランデーを飲み干し、ここが遠く離れた異国の地を忘れるように瞳を閉じた。
二度とその瞳が開く事はなかった。
ガラスを突き破った14.5x114mmの対物ライフル弾が二発同時にエンフィールド大佐の頭と心臓に突き刺さった。
気の緩みを狙った不意打ちだった。本来なら攻撃のダメージを抑えるエーテルフィールドを展開させる間も無かった。エンフィールド大佐は恐らく自身に何が起こったのかを理解する間もなかっただろう――――即死だ。
「命中、やりました」
立ち入り禁止フェンスを挟んで、窓ガラスの砕け散った建物から480メートル先の建物内から望遠鏡を覗かせる観測手が、ケント・エンフィールドの頭部が破砕するその瞬間を確認した。
この同時狙撃を成功させたのは赤の楔の能力者「フォーティエイト」と「タヒバリ」である。暗殺に用いた武器はデグチャレフPTRD1941対物ライフル、非常に高威力の代物である。
暗殺目標が米軍歴戦の
実にあっけないものだった。幾度の修羅場と戦場を潜り抜けて来た歴戦の強者、半身が如き力を持つ人の枠組みを超えた者であっても、条件次第では戦闘態勢にさえ移行することもなく、こんな簡単に死んでしまうのだ。もし狙撃手が定命者であったとしても、射手に腕前さえあればこの結果は変わらなかっただろう。
「この一撃は始まりに過ぎない」
狙撃を成功させたフォーティエイトは深紅のマントを翻すと、対物ライフルを抱え闇に溶けてゆく。
「闘いはここからだ」
フェンスの向こうの騒ぎが大きくなり始め、サーチライトがせわしなく動き出す頃にはもう、フォーティエイトも、タヒバリも、観測手も、全員がその姿をくらました後だった。
★
「ミスターヨシムラ、今日はよく来てくれた」
椅子を立って歩み寄り、アスタロトに手を差し伸べるのはアメリカ陸軍長官コリン・C・ロイヤルである。
「陸軍長官、こうして話し合いの席を用意してくれた事に感謝する」
アスタロトはコリン長官の手を取り、軽いシェイクハンズを交わす。
「非公式なものだがね。かけてくれ、本題に入ろう」
アスタロトとコリン陸軍長官は会議室の席につく。通訳や書記を間に挟む形で、向かい側にはアメリカ軍の佐官や将官、政治家など高官が顔を並べ、壁際にはコスチューム姿の覆面男が数人……あれは秘密工作やボディーガード、戦争プロパガンダなど様々な役割を担う合衆国の超能力者群、いわゆる「ヒーロー」と呼称される人種に相違なかった。
特に放つオーラの違う男が一名、あの壁際に立つ、肌を全く露出させない青いボディースーツに
人種さえ推察できないようなコスプレ男のコードネームは「キャプテン・イーグル」。その名は悪のナチスの超人軍団と戦うスーパーヒーローの活躍を描いたアメリカンコミックの主人公と同一のもので、格好も作中のキャプテン・イーグルのコスチュームに準拠している。
建前上はコミックの内容も、登場人物もあくまでフィクションという事にはなっているものの、彼は実在の人物で、実際に1941年のヒーローデビュー後、コミックの内容と同じくナチスドイツの超能力者部隊と戦いを繰り広げていた事を世間の大半は知らず、政府関係者・軍人・収容所から救出されたユダヤ人など一部のものだけが彼の実在を真の意味で知っている。
そして、アスタロトの座る手前側もまたそうそうたる顔ぶれであった。隣には元陸軍中将のケール、貴族出身の能力者「怪力線」、政治家の近藤議員、壁際には能力者「天空」や巨大化能力持ちの「銀河」が立つ。
「単刀直入に言う。貴公らが追っているテロリストグループ「赤の楔」の処置について協力を要請したい。情報、場合によっては人的リソースの提供も含めて」
「その件なら去年の内に私の方から売り込みに行きました。だが貴方がたは買わなかった」
「事情が変わったのだ」
「その事情とは?」
ケールが横から尋ねる。
「先日、米陸軍の
「フム、難儀ですなあ」
「難儀? それどころではありませんよ。赤の楔は犯行声明を矢に括りつけて”米軍領土内”にまで飛ばしてきた。彼らの要求は「日本を含む東アジア全域からの米軍撤退」、あまりにふざけている。そのような要求は呑めるはずがない」
コリンは大変不機嫌そうな表情を浮かべて言った。
「これは合衆国――いや、資本主義そのものに対する明確なテロ行為だ。ソビエトや中国共産党、急激に拡大を続ける共産主義勢力の脅威がわからぬ貴公ではあるまい?」
アスタロトは頷く。
「いかにも、共産主義者、そして赤色テロリストは我々共通の敵、彼らの征伐のためなら我々の有する「赤の楔」に関する情報提供は勿論、我々新帝國保安局が保有する超能力戦力の派兵も惜しみません。協力を誓いましょう」
「それでは……」
「ただし、こちらにも事情があります。そのための”お願い”は以前お伝えした通りです」
アスタロトは眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせると、こう伝えた。
「お願いは変わりません。第一に日本の再軍備を。第二に巣鴨に収監中の二名、
「ヨシムラ、出来る事と出来ない事がある」
コリン陸軍長官の顔が途端に曇った。アスタロトの要求は彼にとって聞き捨てならないものであったからだ。二名は大戦終結時、アメリカがその身柄を確保し巣鴨特別超力拘置所……が本来の施設名であるが、苦労して収容した厄介者の名であった。
「出来ない、と申すのは一体何がですかね? 赤軍のテロリストの要求を呑むことに比べたら、やさしいことでしょう。あながたがが巣鴨に収監している二名につきましても、栄氏はもとより非軍属で潔白の身、土御門氏は既に90近く、非能力者のためどちらにせよ余命幾何もありません。私は彼に恩がある、彼を暖かな畳の上で死なせてやりたいのです」
「ツチミカドが非能力者だと? 冗談を言うのも大概にしたまえ。――彼はあの戦争の大犯罪者だ」
コリン陸軍長官の険しくなった顔を見て、アスタロトはクスリと小さく笑って問う。
「平和に対する罪と仰るつもりですかな?」
「奴はルーズベルト呪殺の主犯だ! 釈放など有り得ない!」
陸軍長官の声は自然と大きくなり、険しくなった顔色も、先ほどと比較して熱を持っていることが見て取れる。
「何を熱くなっていらっしゃる。ノーサイドの笛は鳴りました、確かに、かつて我々は敵同士だったが今は手を取り合って戦後の道を共に往く仲、友人が友人を牢に閉じ込めておくなどおかしい事とは思いませんか?」
「それこそナンセンスだ、貴公らと友人になった覚えなどない。貴公の満州で行った戦争犯罪も、スガモに入りそこなった”ならず者”をかき集めた組織のやる事も、すべては目を瞑ってやっているだけだ。お前たち全員、本来はスガモに送られる身であった存在という事を忘れないで欲しい」
「しかし結局は送らなかったのでしょう? 私の申す「ノーサイドの笛が鳴った」というのは、そういう事なのです。それに”呉越同舟”という言葉が日本にはありましてね。……よろしければ意味をお教えしましょうか?」
アスタロトは
その時、その言葉を侮辱と受け取って、アスタロトの横に座るベルゼ・ケールがその怒りを露わにした。
「言わせておけば偉そうな事を……貴様ぁ、喰ってやろうか」
ケールは己の瞳を超常の輝きによって怪しく光らせ、険しい顔つきで獣のような鋭く尖れた牙を剥く。女性の乳頭を想起するような頭頂部と口からは地獄の瘴気のような煙が噴き出て、会議室には男の口から吐かれた生臭い血の匂いが広がった。
「アッ……!」
過剰な殺気とエーテルを直にあてられた米軍側の官僚の一人が自身の許容量をオーバーし、小さな声と共に口から泡を吹いてその場で失神。それを近くで見ていた怪力線が眉をひそめると思わずため息をついた。
米国側のヒーローの一人が駆け寄って官僚を介抱すると、別のヒーローが銃に手を伸ばした。キャプテン・イーグルはそこまで露骨でこそなかったが、彼もまた腕組みを解いた。
天空の瞳に光が
会議室は重い空気となり、一種即発の様相を呈した。コリン陸軍長官は
アスタロトも同様で、今にも飛び出してコリンの喉笛を噛み千切ってしまいそうなケールの肩を軽く叩いて抑える。ケールが浮かした巨体を再び椅子に落とすと天空、銀河なども構えを解いた。
「これは失礼した。我々の者は少々血の気が多くてね」
「いや……いい」
アスタロトが軽い謝罪をすると、コリンも平常に戻って彼らの獰猛さを不問とした。
「……少なくとも、巣鴨拘置所に収容されている二名の解放要求に関しては、私の権限を大きく超えたものである事を理解して貰いたい」
「結構です。では我々のお願いを是非ともマッカーサー氏に上申して頂きたい。――こと日本の再軍備に至っては、共産主義陣営に対抗可能な軍事力を整えるという点において、既に貴公らアメリカにとっての望みでもあるはず」
「日本の再軍備についてはこちら側にもメリットがある。前向きに検討しよう。……だが、それ以上の期待はしてくれるなよ」
コリンは言葉を濁し、巣鴨収監中の戦犯二名の解放については言及を避けた。
EPISODE「林檎の気持ち」へ続く。
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