二節 - 花に二度目の命在り -

花は見ている


二章【秘密結社ハンムラビ!】編

二節【花に二度目の命在り】

EPISODE 033 「花は見ている」




 能力者名を「呑龍どんりゅう」、本名は池野 潤一。日の出と共に彼の一日は、その日も変わりなく始まった。この寒中にも関わらず、呑龍はベランダに出ると体操を始める。

 ケージ内の”同居人”は今も眠りについている。こんなネズミみたいな生き物を預けて来るあの野郎の考えている事はわからん。と当初は思ってもいた。


 ――――だが池野は気づいたのだ、ものは考えようだと。実際面倒を見てをしてみると意外と世話はしやすく、少々活きの良いカブト虫を飼っていると思えば良いではないか。犬のように散歩に連れていく必要もないし、猫のように部屋中を荒らす事もない、時々滑車をからからと回すだけで、とくに五月蠅くも無い。よく見れば、ネズミにしてはそこそこ知的で上品な顔立ちにも見える。

 本来の飼い主の指示で「近くで煙草を吸うな」と言われてる事だけがヘビースモーカーの池野にとっては問題であるが、まあこればかりは嫌でも言う事を聞かざるを得ない。あまり怒らん奴だが、奴が怒れば一体死人がどれだけ出るかもわからない。


 その日も麦飯と、切り干し大根と、具の少ないみそ汁を平らげる。食事が終われば真にも餌を与え、それからやはりベランダでラジオを聴きながら一服だ。冬の朝の金鵄タバコは美味い。

 池野は腕時計を見る。まだ一日は始まったばかりだ。職場に出てもいいが、今日は別に出て来なくても良いという日になっていた。


「今頃あいつらは仲良く船旅かねえ……。いいねえ」

 池野は呟いた。任務に回された霊銀と翠嵐は今頃海上クルーズか。池野にとってアメリカ軍は色々と癪に思う事が大半だが、船旅自体は羨ましい。出来れば日本酒でも持ちこんで、夜の海を眺めながら隠れて一杯やりたいものだった。



 手持無沙汰を感じた池野は外出を決断した。最低限の荷物を持ち、ランニングして向かった先は武道場である。保安局の息がかかった武道場であるため、警察官の他、保安局職員が鍛錬をしにやってくる場所だ。


「ヨイショ!」

 ――――呑龍は思い切り身を引くと、小内刈、大内刈、のフェイントに合わせて内股を仕掛ける。呑龍と組み合っている男が内股に耐えた。呑龍と共に柔道を楽しんでいる男の名は四宮、保安局の能力者で、能力者名は「震天シンテン」、飛行能力者だ。空中戦のエキスパートで、戦時中は帝都に侵入してくるB―29を次々に撃ち落とす空の狂犬だった。

 震天は呑龍の腰に手を回し、裏投げで投げ飛ばそうとする。だが呑龍は逆に素早い捨身小内を仕掛けた。震天は呑龍を引っこ抜く前に技にかかり、転倒する。


「よし、一本!」

 呑龍が倒れた震天に覆いかぶさるようにしてニカっと白い歯を剥いて笑った。

「まて、今のは技有りだ」

 震天が抗議する。

「何ィ? 今のは一本だろうが」

「捨身小内なんかで一本が取れると思ってると思ってるのか。せいぜい技有りだ」

「じゃあいいぜ、ここは技有りで譲ってやるよ。……で、ここからどうするんだ、”帝都の打ち上げ花火さん”よ」

 呑龍がニヤニヤ笑みを浮かべる。彼には今、震天に百歩譲ってやったところで問題のないほどの余裕があった。なぜか? 高校体育で柔道を習った読者の皆様、よく御覧頂きたい。習った覚えがなければ…………まあ、問題はないはずだ。

 呑龍の余裕の秘密はその体勢にある。小内巻き込みで震天を倒した呑龍は、そのまま「袈裟固め」と呼ばれる抑え込み技を成立させた後であった。


「んだとォ~~? 見てろよこの野郎……!」

 震天は強気を崩さずこの抑え込み技を何とかしようとするが、戦前から相当に柔道をやり込んでいる呑龍の技量はかなり侮れない。


「どうした、早く見せてみろよ」

 呑龍のそれは、震天にとってはむかつくほどの余裕だ。何とか見返してやりたいが……気持ち一つでどうにかなるほど嘉納治五郎の提唱した柔術理論は”ヤワ”じゃないのだ。


「くぅ~……! くそ、参った!」

 結局、震天は抑え込み技を脱出する事が出来ず、自主的に降参を表明した。


「結局俺の勝ちだな」

手前てめえ、ちょっと柔道が得意だからと良い気になるなよ。空を飛びさえすればあんな袈裟固め……」

「柔道で空を飛ぶ馬鹿がいるか。……よし、もう一本やるか!」

 呑龍は立ち上がり提案するも、震天は

「もう夕方だろ、今日はこれぐらいにしておこうぜ」

 と、休憩を提案した。


 震天の言う通りで、太陽も寒がりなのか冬場はそれほど顔を見せてくれないため、既に日は傾き始めている。今日の呑龍は武術訓練のフルコースだった、やったのは空手に、剣道に、少林寺拳法とかいう最近出来たばかりらしい拳法も少し勉強した。

 もちろん締めは柔道――――充実した訓練漬けだ。やはり身体を動かすのが一番。


「なんだ、もう疲れたか。俺はまだまだ……」

「そうじゃないだろ。見ろよ」

 呑龍はまだまだ元気が有り余っているといった風であったが、震天は武道場の隅を指差す。武道場足元の通気孔からこちらを覗いているが、震天はその顔に見覚えがある。


「ウチんとこの内勤職員だろあれ。さっきからお前を見てるぞ」

「まさか……」

「お前もなかなか隅に置けんようになったか。ほれ、行ってこい」

「馬鹿言うんじゃ……」

 まるで馬を走らせるかのように背を叩かれた呑龍は、怪訝な表情で震天を振り返りながらも渋々事実の確認作業へと赴く。


「おう」

「きゃあ!」

 武道場の開け放した窓から身を乗り出した呑龍が武道場の外で隠れるようにしていた女性に声をかけた。震天の記憶に瑕疵はなかった、彼女は確かに新帝國保安局の内勤職員、野中 イツ子そのひとであった。


「おう……平気か」

「は、はい、私は大丈夫です」

 驚いて尻もちをついたイツ子が返事した。


「一体何やってんだ」

「あ、いえ……その、たまたま近くを通りがかったので……」

「仕事はいいのか」

「あ、はい、今日はもう上がってよいと言われましたので」

「そうか……よっと」

 窓から身を乗り出していた呑龍はそのまま腕の力で身体を持ち上げると、両足を窓の縁につけ、絶妙なバランスでその体勢を維持する。


「だ、大丈夫ですか?」

「ん? 何がだ」

「え、その、そんなところに登って……」

「鍛えてるからな、平気よ」

「そ、そうですか……。えっと、それではその、私はこれで失礼するので……」

 覗き見のばれてしまったイツ子は気まずそうな笑顔でそそくさと撤退を試みるが、何を思ったかそんな彼女の事を呑龍は引き留めた。


「まあ待てよ、俺もそこまで愚鈍じゃない、お前がここに来た理由は何となく察しがついたぞ」

「!」

 士官学校の出であるためにはそこそこ勉強が出来なければならない、故に呑龍は決して馬鹿ではないのだ。むしろインテリの部類に入る。彼は鋭い知性によって当たりをつけ、こう言ってみせたのだ。


「武道に興味があってここに来たんだろ」

「え? あ、えっと……?」

 …………訂正が必要かもしれない。呑龍は少なくとも、勉強は出来る方だ、少なくとも、勉強は……。


「見るべきものがよくわかっているじゃないか、一番良いのは何といっても柔道だ。……しかし女に柔道は少々難しいからなあ……合気ならどうだ、あれなら女でもやってるやつがいる」

「そ、そうなんですか……?」

「今日はもう遅いから、今度日の高い時に来い。一番得意なのは柔道だが、他の武道も一通りはかじっているから、少しは教えてやれるぞ」

「あ、ありがとうございます……?」

 イツ子は困惑しながらもとりあえず礼を述べる。呑龍もこれで善意十割の申し出なので困った話だ。


「少し待ってろ、女一人は危ないからな、送ってやる」

 顔を上げ、空の色を見た呑龍がふいに申し出た。戦争が終わってからの治安はお世辞にも良いとはいえない。大の男でも襲われたり金品を奪われたりするのに、それが非武装の若い女性であれば尚更だ。やはり善意の申し出であった。


「え!? そ、そんなご迷惑な……」

「気にするな気にするな! 事のついでだ!」

「行っちゃった……」

 呑龍は窓の縁から飛び降りると、風のように道場を駆け更衣室へと向かった。彼の超人的身体能力を追う事は目ではもちろん声でさえも難しく、それから3分ほどは、きょとんとした表情のイツ子がそこに残されるだけだった。



 ★



 結局イツ子は帰り道を呑龍に送って貰う事になった。実際彼が居ればスリが来ても、強姦魔が来ても、ヤクザが来ても、いや、例えT-34戦車が来たって安心だろう、何といっても呑龍には単独の対甲破壊能力がある。


 二人が歩いていると、夕暮れの空にエーテルが作り出したきらめく小さな飛行機雲が見えた。

 飛行ゴーグルをかけ、黒帯に結んだ柔道着を背負って飛ぶ震天シンテンが地上の二人を見つけると、地上向けて敬礼を送った。

 呑龍もそれに気付き敬礼で返す。すると震天は柔道着を宙に投げ、オモチャを見つけた子供のような笑顔で卑猥なジェスチャーサインを地上へと送る。眉をピクりと痙攣させた呑龍が左腕をライフル銃に変形させ、空へと威嚇射撃を行った。イツ子は驚き、両耳を塞いでその場にしゃがみ込み、震天は笑いながら柔道着を空中キャッチすると、一回転のトンボ返りをして彼方に飛び去っていく。


「野郎、覚えとけよ……」

 空のエーテル雲に向かって悪態をつく呑龍だったが、隣でしゃがみ込んで震えているイツ子に気が付いた時、呑龍はハっと我に返った。


「驚かせたか? 悪かったな」

「は、はい。すみません、私は大丈夫です」

 左腕の変形を解くと、呑龍は優しくその手を差し伸べた。手に取った呑龍の手は分厚くゴツゴツしていて、豆だらけだ。彼女はその手に引き上げられ、生まれたての小鹿のように立ちあがる。


 ――――誰もが戦争で傷ついている。自らがそうであったように、この少女も何か恐ろしい体験をしたのだろうか。口にこそ出さなかったが少女の銃声への怯え方を見て、呑龍はふとそのような考えを脳裏に過ぎらせた。



「……でな、今日はその拳法家が来てたのよ。少林寺とかいう、出来たばかりで聴いたこともなかった拳法だが、日本人の作った武術らしい」

「そうなんですか」

「ああ、中身は俺が大陸で見た中国拳法に確かに似てた。なかなか面白かったぞ」

「そうですか。武道にも色々あるのですね」


 イツ子の自宅までの帰り道を歩きながら二人は会話する。といっても話しているのは大半呑龍のほうだ。呑龍にとって今日の一番興味深かった事は何と言っても少林寺拳法なる新しい武術だ。陸軍の工作員でもあった大陸帰りの武術家が今年になって始めた国産の拳法なのだという。

 イツ子は拳法のことには詳しくないが、呑龍の話に静かに耳を傾け、都度相槌を打った。あまり自分から話さない娘であったが、それでもハムスターよりずっと言葉豊かで、いやみな表情や退屈な表情も見せず真面目に話を聞くものだから、呑龍も他愛もない平凡な今日の一日の事をつい沢山話してしまったのだ。


「あ、あの、このあたりで大丈夫です。後は角を曲がるだけなので……。今日はありがとうございます、わざわざここまで……」

 しばらく歩くと、復興の始まった新興住宅街のあたりでイツ子が足を止め、送ってくれた呑龍に恭しく頭を下げる。


「そうか、またな」

「……ぁ…………」

 呑龍は承諾し、自らの家路に着こうとする。しかし背を向けた時、イツ子の蚊の鳴くようなか細い声が聴こえ、呑龍はおもむろに振り返った。


「どうした」

「あの……」

 イツ子はややうつむきがちに、何かを言いたそうな様子であるのが見て取れた。


「言いたいことがあるなら、気にせず言え。歯に衣着せん奴との会話にも慣れてる」

「……そ、その……この間のお誘いの事……覚えていらっしゃいますか……?」

 意を決したイツ子がぽつり、小さな声で話題を切り出した。そして、その事を尋ねた直後に彼女は赤面して自分の発言を後悔した。

「……い、いえ、やっぱり何でも……」

 と、イツ子が自分の発言を取り消そうとした時の事だった。

「ああ、その事なら覚えてるぞ、俺が入院してた時の」

 と、被せるようにして呑龍が答えたのは。

「俺が飯に連れてってやるって話だったろ。自分で言ったことを忘れたりはしねえよ」

 ――――呑龍は少なくとも、勉強は出来る方だ。多少の物事を覚えておける男でなければ、士官学校には入れない。


 呑龍が答えてみせると、イツ子はこう申し出た。

「あの……今度のお休みの日でしたら……」



 風の音に消されそうな小さな声だったが、呑龍は確かにそのように聞いた。

 池野 潤一は、それからしばらく豆鉄砲を喰らった鳩のような表情をしていた。





EPISODE「ポツダム少佐」へ続く。



===


☘世界観・組織



☘サン・ハンムラビ・ソサエティ(略称:SHS)

※前作:暗黒街のヒーロー(FinR)にも登場。


 古い歴史を持つ超能力者と祈祷師のコミュニティで、その起源は16世紀の魔女狩り時代における魔女組織であるといわれている。合衆国ソルトレイクシティに本部を置き、建国の時代からアメリカ合衆国と強い関わりを持つ。

 戦前には日本国内の支部を持てずにいた組織であるが、敗戦時の連合国軍の進駐と共にSHSも日本国内に支部拠点を置いての活動を行うようになる。

 1946年、戊辰戦争の経験者でもある林  董三郎がトーキョー・ロッジの初代マスターに就任。フィリピン支部からの独立を果たしSHS日本支部の歴史は始まる。



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