夢の香りを追って:1


EPISODE 007 「夢の香りを追って:1」




 西へ沈んだ太陽はまたやがて東から登る、この世の普遍が崩された事は人類史上未だかつてない。――無論その日も例外ではない。


 ここは1DKの小さな宿舎、そして八畳ほどのリビングには「同居人」専用の机が置かれている。机の上には常人ですら力を少し込めれば簡単に歪んでしまうような細い細い鉄格子のケージが置かれ、その中で”小さな同居人”が眠りについている。


 リビングから続く唯一の部屋は六畳の和室だ。そこでは畳張りの部屋には似つかわしくない背の高いベッドが置かれ、布団の中には大男とおぼしき姿がくるまっている。


 王族の住まう宮廷には到底遠いであるものの、個別の風呂釜と手洗い場もついてプライベートの確保された場所であり、戦後間もないこの時期の国民の住宅としてはこれでもかなり上等な家であると述べる事ができた。




 ジリリリリリリ……。



 静寂を破ったのはリビングに置かれた黒電話の鳴り響く音だった。音に気付いたケージの中の同居人、ことジャンガリアンハムスターが目を覚まし、いざ我が霊の徳を積まんとばかりにマニ車模様の特製滑車を回し始める。


 ――僅かばかりの”ひまわりの種”を食べ、マニ車を回し続ける事を生涯の責務とするほどの過酷な運命を背負った僧侶や住職は存在するか? 否。今この瞬間、1DKのハムスターは日本国内に存在する全住職を越えし崇高な存在と相成ったのだ。



 一方、リビングの黒電話からは実に一分近いコールが続いたものの、ナイトキャップを被ったベッドの中の人物は一ミリの微動さえすることがない。やがて電話のコール主は観念したのか、黒電話の音を鳴らし続ける事を諦めてしまった。


 ……静寂が戻った。



 しかしそれも僅か三十秒ほどの出来事であった。1DKの静寂は再び奪われた、がしかし今度の音はリビングの黒電話ではない、隣室――すなわちベッドのある和室の方からであった。


 音の発信源は和室に置かれたコーヒーテーブル上に置かれた女性の握りこぶしほどの大きさの貝殻で、それがブルブルと振動しながら「海軍マーチ」のメロディーを鳴らし続けている。


 海軍軍人の歌が十秒続いた頃、ベッドの中から元”帝国陸軍”軍人の舌打ちと、地獄の底から響くような唸り声が聞こえた。


 男が這い出してきたのは、和室に置かれたベッドの”下”からであった。ベッドの中で住民よりも上等な睡眠環境にあったのは”かつら”を被せたマネキンである。――寝込みを襲われる事を想定した彼なりの対策と警戒だ。


 ボサボサ髪の大男は窮屈そうにベッドから這い出すと、寝ぼけ眼をこすり匍匐ほふくでコーヒーテーブルへと進軍を開始した。机の上に置かれた軍隊格闘の始祖ウィリアム・E・フェアバーンの書物を払いのけ、立峰はようやく貝殻を手につかんだ。


 ほんのり紅潮した色の二枚貝の裏側にはいくつかの小さなボタンと、表側にはラジオの調節つまみのようなものが二つ取り付けられている。


 もしもこれが湘南あたりの海岸に落ちていたとした場合、その辺に落ちている貝殻との違いに気が付かない可能性がある。



 ――――【澎湖ほうこの貝殻】、かつての一部軍関係者の間でそう呼ばれていたこれは一種の魔術道具で、いわゆる「無線機」、あるいは「電話機」のような役割を果たす。

 黒電話と違って電力を必要とせず、軍用無線機よりも小型で携行性に優れ、音質も良い。超能力技術が可能にした夢の通信機器といってさえ良い。


 本魔術道具の制作に関わっていた帝国軍人が先の大戦で戦死し生産が途絶えてしまった事、そして戦火によって多くが消失、あるいはGHQに接収されてしまい今日では貴重なものとなってしまったものの、若干の数を新帝國保安局が未だ保有しており、その中の貴重な一つがこうして立峰の手元に今あるというわけだ。


「あー……? もしもし……?」

「なんだあ、まだ寝てたのか? 俺だよ俺」


 畳に腕をついたままの立峰が気怠そうに貝殻に耳を当てると、聞きなれた張りのある男性の声が耳に届く、池野だ。――はきはき明瞭とした喋りをする彼の声も、寝起きに聞くには少々鬱陶しく感じた。


「一体何だ……俺は眠い……」

 めもとに薄いくまを浮かべる立峰だが、あいにく【澎湖の貝殻】に映像の送受信機能はない。


「何言ってんだ、もう十時だぞ。この間の事件の事で話したい事がある、出勤しろ」

「……わかった、少し待ってろ」

「よし、それが終わったら飯食いにいこうぜ」

「ああ」


 立峰は短く返事すると歯茎をむき出しにして陰気な表情を作り

「しょうがねえな……」

 と、諦めるようにして173から4センチはあろうかという大柄を垂直に直した。


 かるく頭をかきむしる、戦時中こそ丸刈りだったものの、それ以降はずっとぼさぼさ髪で、髭も適度に伸びている。

 よわいはまだ二十代半ば、つまり若年者にあたるのだが「とてもそうは見えない」というのが平均的な感想となるだろう。

 彼の戦争体験と人生哲学をそのまま写したかのようないかめしい顔つきは四十路の貫禄を帯びており、「超能力者は平均して年が外見に現れにくい」という学者の通説を見事に覆してくれている。


 立峰は顔を洗い、歯を磨き……髭は剃らない。私服の上に”しわ”の多い深緑色のジャケットを羽織り、胸ポケットにサングラスを差し込み、内ポケットには米軍御用奴の自動拳銃であるM1911をねじ込む。能力者と戦うには最低でもこのぐらい大口径の銃火器でなければダメで、こいつは良い銃だった。


 身支度をおおむね済ませた彼はリビングの一角に住まう”同居人”の様子を伺いに向かった。


「よしよし……今日も徳を積んでいるな、偉いぞ」

 一生懸命マニ車型の滑車を回し続けるジャンガリアンハムスターを見て立峰は満足げに頷くと、机の中から”ひまわりの種”の入った袋を取り出しそれを与える。同居人は主人の存在に気付くと一旦滑車を回すことを止め、与えられた食事のもとへと駆け寄った。



マコトくん、俺はこれから仕事だ。良く食べ、良く眠り、徳を積み、圧倒的成長しろよ」

 ひまわりの種を頬張り顔を膨らませる同居人にそう言い聞かせると、立峰は指の腹で彼女の頭を優しく繊細に撫でてみせた。立峰の殺伐として乾ききった世界で、彼女は唯一人権に相当するものを獲得している生命体だ。



 別れを済ませた立峰はケージを閉め、ひまわりの種の袋を閉じ机の引き出しに戻すと黒い布のブリーフケースを手に職場へと向かった。



 ――――今日も仕事だ。帰ったらフェアバーンの本の続きを読もう。






EPISODE「夢の香りを追って:2」へ続く。


===


☘TIPS:世界観・魔術道具 【澎湖ほうこの貝殻】


 まだ通信技術が発達していなかった時代にも、超能力者たちは遠くの人々と瞬時に連絡を取り合う手段を空想し、求めました。【澎湖の貝殻】と呼ばれる貝殻型の魔術通信装置もその一つです。


 帝国海軍所属の能力者が創作したそれは半径10kmほどの通信距離を持ち、最大50件の通信先を登録可能、一日4時間までの連続通信が可能でした。



 推定総生産数は11,700機、戦時中の日本で最も多く運用された魔術無線機で、熟練戦闘機乗りを中心に支給されましたが、生産者であった能力者が太平洋戦争中に戦死したことにより増産が不可能となってしまいました。


 戦争によって多くが破壊、放棄され、2008年に行われた日本英雄団体連合会による調査では現存数は500未満と推定された。

 強力な能力者の制作した道具であるため、制作者の死後70年近くが経過しても機能の劣化自体は確認されなかったものの、科学技術の進歩、そして携帯電話の登場によって21世紀では時代遅れの魔術道具とみなされ、今日では一部のコレクターの間で収集品として取引されるに留まっています。



 ――――日本英雄団体連合会による教育書「ヒーロー秘密道具図鑑(2014年版)」より抜粋。



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