軍艦上のモルモット:2


EPISODE 031 「軍艦上のモルモット:2」




「どうした、お前の力はその程度か」

 アンシンカブルがその暗い表情を変えることはない。いや、むしろ戦闘開始前と比較して、どこか翠嵐スイランに対し失望したような様子でさえある。


 アンシンカブルはゆったりとした動きで、ついに戦闘態勢を取った。身長2メートルを超す巨躯が両の掌を向け、前傾姿勢で構えるその様は直立したグリズリーの威嚇姿勢を想起させる。

 そのファイティングポーズはボクシングや空手、合気系武道などとも異なる。似ているのはレスリング、柔道……CQCに心得のある者ならば、予知能力者でなくとも彼のそれがグラップル系の構えに近い事に気が付けるだろう。翠嵐も未来予測によってアンシンカブルがいよいよ攻撃を仕掛けてくることを察知し、構えを上段から中段へと移行させる。


 翠嵐は瞬時に未来の光景を予測し、今後の戦闘展開を予想する。右手で掴みかかって来る未来と、左手で掴みかかって来る未来、もう一つは体当たりを仕掛けて来る未来が視える。パンチ、蹴りは有力な可能性の中には浮かんでこない。


(左右の掴み、もしくはタックル。打撃が来る可能性は低いか……)


「――――行くぞ、失望させるな」

 アンシンカブルは呟くと、30センチは余裕で越える巨足で大地を蹴り、向かって来た。


 タックル攻撃か!? 翠嵐は右に屈んで避けようとした――――が動きをキャンセルした。逃げた先に蹴りが飛んで来て吹き飛ばされるビジョンを視たからだ。


(低確率の技を選んだか……)

 時には実現可能性の低い未来がカードとして引かれてしまう。そういうこともある。予測は外れたが翠嵐は動じることなく、二度のバックフリップで距離を取りながら変形のムーンサルトキックを浴びせる。冷静な対処でショルダータックルは殺され、アンシンカブルはカウンターを受ける。鋼鉄のブーツが確かに顎先を蹴り上げたはずだったがまるで手ごたえがなく、これ以上深く当てに行った場合、蹴りが威力が死んだ所で足を捕まれている所であった。


 次の攻撃パターンを翠嵐は読んでいる。複数の可能性の中から可能性の最も高いスタンプキックに備え、他の可能性が選ばれても対応できるよう心構えする。


 アンシンカブルはスタンプキックを繰り出す。翠嵐は超低空ブリッジし回避。巨足はすぐに隕石じみた踵落としへと変化した。


 翠嵐はローリングして回避すると共に切り上げの斬撃を当て逃げしてゆく。確かに当てた、されど未だ有効打にならず。起き上がりの翠嵐を掴むべくアンシンカブルは右手を伸ばすが、その肘を叩きあげるようにしてアッパーブローを当て、狙いをずらす。

 低空姿勢の翠嵐は懐に踏み込み、強烈な左フックで横のアバラを叩く。巨人の左手が伸びて来る時には既に相手方の行動を読み、大きく一歩退くと同時、指先に斬撃を食らわせる。


 未来を読む翠嵐はここが攻め時である事を理解している。そのまま刀の切り上げ、袈裟切り、更に突きを喰らわせる。当てたのはすべて――――左腕人差し指から小指にかけて。


 連続攻撃を受けてもアンシンカブルは表情を変えず、眉一つさえも動かさない。この男には何も通用しないのか?

 ――――いいや、そうではなかった。半ばそう思われた時、アンシンカブルの指には傷がついていた。それは、戦傷と呼ぶにはあまりに浅い傷だった。たとえばそれは、裁縫の苦手な女性が自分の指を針で刺してしまうような、そういう傷だった。少年が本を読んでいるとき、誤って髪で指を切ってしまうような、そういう傷だった。


 その連続攻撃は骨はおろか、肉にさえ届かなかった。だが、皮は切れていた。切り上げと突きを受けた個所の皮膚が極めて浅く切れ、赤い線になっていた。翠嵐はその極めて微かな手ごたえを、刀を通じて感じていた。一分もすればこの裂傷から、薄い血が滲んでくることだろう。


「まずは皮」

 翠嵐のヘッドに取り付けられたライトが、アンシンカブルの極めて僅かな裂傷を照らす。

「次は肉だ。お前が無敵でない事を、俺は知っている」

 青眼の構えを取った翠嵐は威圧的に告げる。勝率25%の狭き未来を知り、”可能性”という呪いを知る彼にとって、その言は未来そのものに対する宣戦布告でもある。


「無敵だと。――――誰がいつ、そんな馬鹿な事を言ったというんだ」

 アンシンカブルは自分の負傷に目をやることさえもせず、10秒前に自身がそうしたのとまったく同じように構え直す。


 すると翠嵐は一歩下がり、腰から上は下段構えのまま、腰下のみが左半身ひだりはんみになるような逆下段構えを取った。相手の攻撃を誘うためのカウンターに特化した古流構えである。


 アンシンカブルはタックルを仕掛けた。翠嵐は横にローリングし、ギリギリタックルを回避する。反撃はできなかった。直角に方向転換したアンシンカブルが飛び膝蹴りを仕掛け、翠嵐は更にローリング回避。そこから刀で足を払いにいくが、アンシンカブルは馬のような強烈なバックキックで刀を蹴り弾いた。


 翠嵐はバックフリップからムーンサルト跳躍し、宙に舞った愛刀をキャッチ、地面に着地する。


(速くなったか)

 翠嵐は、アンシンカブルの動きが先ほどよりも早くなっている事を非常に警戒した。いや、スピードだけではない、パワーも上がっている。

 この先の戦いの展開のビジョンが視える……それは敗北の未来だ。序盤は未来予測によって相手の攻撃を上手く躱し、カウンターを入れながら徐々にダメージを与えていくも、徐々にカウンターを入れられる回数が減り、後手に回されていくのだ。そして最後にはアンシンカブルの攻撃を捌ききれなくなり、捕まり、詰む。

 そして実際の戦局は、間違いなくそのコースに近づいている。長期戦になればなるほど不利になると翠嵐は踏むも、これほどのタフネスを持つ男に短時間で膝をつかせることなど可能なのか。



 アンシンカブルは更に攻める。左掴み、右掴み、左掴みをフェイントにしヘッドバッド、を途中キャンセルしながらのフロントキック。翠嵐は全てを読み刀で、刀で受けきれないものは左手徒手による回し受けで対処しながら、アンシンカブルの動作の隙を突いてカウンターを重ねてゆく。

 アンシンカブルの左の掴み攻撃を刀で斬り払い、アンシンカブルの前蹴りの予備動作を見切っては左前蹴りで攻撃を事前に潰し、刀の柄で鳩尾を打ちながら、体当たりで一瞬押し返す。

 一つのミスさえ許されない綱渡りの中、驚異的な集中力を発揮し続ける翠嵐が好機を見出した。


「貰った」

 ――――強烈な袈裟斬り! 鋭い刃がアンシンカブルのエーテルフィールドを裂き、肩と胸の肉を裂いた!

「GRRRRRRRRRRR!」

 しかしアンシンカブルは歯を剥き、両の瞳をオレンジ色に輝かせながら唸ると、日本刀をものともせずに前身! 袈裟斬りを振り抜こうとするよりも先に体当たりを行った結果、自動車事故並の衝撃が翠嵐の刀、腕、肩へと伝わる。

 大きく後退した翠嵐であるが、地面を踏みしめ転倒を逃れる。エーテルフィールドに加え、試作当世具足が殺人的な衝撃を大きく軽減した結果、翠嵐にダメージはない。

 だが武器は別だ。翠嵐の持っていた刀は真ん中より下の場所から刀身が折れて無くなっていた。消失部分の行方は? ――――アンシンカブルの分厚い大胸筋に刺さったままだった。無手のカウボーイは刺さった刃を引き抜き、甲板の床上に捨てる。巨人の傷口からは血が流れ出ていたが、彼が筋肉に力を込めると人類の企画を越えた筋力によって傷口は強引に塞がり、流血は止まった。


 なんという化け物じみたタフネスか、再生能力や硬化能力を有しているようには見えなかったが、それらの能力を持ったサイキッカーと比較しても引けを取ることのない耐久力で、辛うじて青写真を描ける勝利のビジョンは遥かに遠くに見える。不沈艦アンシンカブルのコードネームが伊達でない事を、翠嵐はその身を以て噛みしめていた。



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