34 ~希望の桔梗紋~

◎◎



莫迦ばかな……ありえるものか……」


 脱力したように、あるいは呆れたように、蘆屋道満が呟く。

 地上へと降り立ったあたしたちを見る彼の眼には、ひどく疲れた色があった。


「三度、儂は退けられた。一度目は保名、ぬしの父に。二度目は加茂忠保、あの男に。そして三度目は、これより先の世で。だが、こたびこそ、こたびこそ儂は――」


 俯き、奥歯を噛み締め、しかし大陰陽法師は再び顔をあげる。

 その瞳には、消えることのない、あくなき欲望の焔が灯っていた。


「終わるものか、ここまでのものか。稲荷は出し抜いた、ダキニ天は儂を避けた、天照すら一度は、この手が届いた。ならば、ならば!」



「見苦しい真似は、そこまでにしてはいかがですか、蘆屋道満?」



 響き渡る涼やかな声。

 口元に浮かぶのは、あるかなしかの微笑み。

 保名さんが、何十日もあっていなかったような彼が、それでもなにも変わらない微笑みで、そこにいる。

 ボロボロの袖を払い、細い指先を道満へと突き付け、彼は言う。


「あなたは負けたのです。世のサダメに、運命に」

「運命、だと? ならば、ならばこそ、この結末は間違っておるわ。くっ、くっくっく」


 嗤う。

 けっして気が狂ったわけでもなく。

 正気のまま道満は、喉の奥で泥を煮立たせたように嗤う。


「運命というならば、本来死ぬのはぬしよ保名。ぬしが死に、ぬしの父も死に、そうして儂は――


 吐き捨てるように、腹腔のなかの黒いものをすべて、黒々とした混沌をぜんぶ垂れ流すようにして、道満は怨嗟えんさを口にする。


「ただしい運命とはそれよ! ぬしらは死に、儂も二度と立ち直れぬほどの敗北を喫する。だが――!」


 だから、すべてを変えてやろうとしたのだと。

 だから、すべてを手にして、運命すら捻じ曲げようとしたのだと。

 道満は、哀れな敗北者は、そう語った。


「神々の決めた運命など、破壊してくれる。儂は、儂だけが望む運命を――」



「たぶん、勘違いしてますよ、道満さん」



 あたしは、言った。


「勘違い、だと?」


 あたしたちを睨みつける魔人。

 その魔人に億すことなく、でも睨み返すわけでもなく、ただ真っ直ぐに見返しながら、あたしは頷く。

 そう、勘違いだ。


「運命は、神さまが創るものじゃありません。たしかに、あいつらちょこちょこ介入してきますけど……」


 そう、ワンとか、ニャーとか言って、ひとの夢に出てきたりもするけれど。


「でも、彼らは見守っているだけなんです。そばにいてくれるだけなんです。だから、運命っていうのは」


 それは、いまを懸命に生きる人々の願い。

 それは、明日を夢見る人間の祈り。

 それは、意地汚く生き足掻き、なにがあっても生き延びようとするの本能的な――


「みんなの意志が、紡いでいく未来。それが――運命なんです!」


 だから、いまここであなたは敗れる。

 いや、ずっと、ずっと、あたしが生きていた時代まで何度でも敗れ続ける。


「ひとの命をもてあそんだ弱いあなただから、みんなの命の強さに負けるんです!」


 だから。

 だから。


 そっと、あたしの手にぬくもりが宿る。

 保名さんが、あたしの手を握ってくれていた。

 見る。

 彼の瞳の色は。

 希望に満ちた、眩しいぐらいの――


 彼が、あたしが。

 言った。


「「だから――未来永劫、敗れ続けろ――蘆屋道満!」」


 刹那、それは巻き起こる。

 蒼天より降り注ぐ太陽の輝きが増し、あたしたちを見詰めるように存在する太陽から三つの影が飛び出してくる。


 ひとつは十二単――天照大御神の長女、沖津島姫おきつしまひめの振袖。

 ひとつは烏帽子――天照大御神の三女、多岐都姫たぎつひめの金の烏帽子。

 そしてかんざし。

 思い出のかんざし――天照の大御神が次女、その全権を持つ――挟代姫さよりひめのかんざし!


 舞い降りる三つの黄金、燦然さんぜんたる至高の太陽、その輝きが、あたしの身体を包み込む。

 光は緩やかに退き、あたしは。

 信田葛葉は、【覡】としての姿になる。

 振袖をまとい、烏帽子を被り、そして、かんざしで髪を結う。

 奇妙な、だけれど神々の正装ともいえるその姿で。


 あたしは保名さんの手を執った。強く、握り返した。

 彼もまた、それに応じてくれる。



「なにが、いまさらぬしらになにができる……! 保名は信田葛葉を救うために力を使い果たし、信田葛葉、ぬしなどただの器ではないか! ぬしらに、きさまらになにができる!?」


「なにができるか、ですか道摩どうま法師? あなたらしくもない、決まっているでしょう」


 保名さんが笑い、あたしが答える。

 そうだ、なんだって。


「なんだって――できるんです!」


 顔の高さで、前方へと真っ直ぐに突き出されたあたしの右手と、保名さんの左手。重なり合ったあたしたちの手に、穏やかで暖かな輝きが宿る。

 左右の手は一度離れ、互いに向かって下方へ。

 そこから交叉し、上方へと伸びる両手は、肩の高さまで上がり再び中心でめぐり逢い、強く、優しく結ばれる。

 輝く軌跡が描きだしたのは、五つの頂点を持つ、星の姿。

 あらゆるをはらい、あらゆるを清める、この瞬間から誕生する陰陽道を象徴する紋様。

 五芒星。


「あ、ありえるものか!? それは、その桔梗紋セーマンは、きさまらの子が生み出すはずの――まさか、まさか儂が敗れるものとは、単純なきさまらの子などではなく、保名の英知と、信田葛葉の無限にも等しい神の寵愛を受け継ぐ、可能性としての土御門つちみかど、未来という祈りの――」


 驚愕に動きを止め、狼狽を露わにする道満さんへと、まさに祈りとともに、保名さんが、最後の〝呪〟を紡ぐ!


「狐に良く似た夜千やせんは稲荷――稲荷とは、ダキニ天のこと。そしてダキニ天は太陽を現し――太陽は天照を、そして更なる存在を呼び起こす。私の友は、私の愛する女性は、私の伴侶は、その【覡】である!」


 桔梗紋が唸りをあげて、黄金の輝きを放つ!

 その、燦然たる輝きの名は――





「オン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン・ソワカ――この世のすべてを司る、全にして一なる神仏――天照大御神――よ、きたれ!」







 

 在雅さん、途綱さん、駆けつける八咫姫さん、悪右衛門の亡骸、そして道満の闇までも。

 あまねくすべてを照らし出す光が放たれて――




「……儂は、死なぬ。なんどでも、なんどでも運命に抗うため、黄泉がえる、ぞ」


 だから、言ったじゃないですか、道満さん。


「永遠に敗れ続けろって――これからもずっと、あたしたちが、あたしたちが築き上げたものが、あなたを倒していくんですよ?」

「――はっ!」



 光の中に消えながら、彼はわらった。

 嗤うわけではなく、清々しい表情で、笑ったのだ。




「それは随分と、楽しい人生になりそうじゃ――」





 そうして。

 そうして、本当にすべてが。

 蘆屋道満と、あたしたちをめぐるなにもかもが、終わったのでした。


 だから、信田葛葉あたしは――

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