08 ~葛葉、怪異のあらましを知ること~

◎◎



「……ああ、君達がそうか。君らがあれか、まったく、何とかしてくれるなら早く何とかしてほしいものだ……」


 彼の印象を一言であげるなら――

 身なりから顔立ちまで、どれもがとにかく鋭く研ぎ過ぎた剃刀のようで、研ぎ澄ました結果刃こぼれしているような、それが一層神経を逆なでしているような、そんな印象があった。

 張りつめている――そんな感じだ。

 京の西のほう、例のマジカル☆牛車に乗り込んで、あたしたちはそこに来ていた。

 保名さんの屋敷より質素な、だけれど一般的な寝殿造りの御屋敷。

 菅原亭。

 そこに辿り着いたとき、あたしは、微かに奇妙な感じを覚えた。

 奇妙というか、変な、あまり身近ではない感覚。

 なにかが、臭う。

 臭いわけではないのだけれど、妙な香りが鼻につくのだ。

 出迎えた下男のかたに促されるまま屋敷の奥へと進むと、その奇妙な香りは、より一層強くなった。甘い。蜜や、スイカの甘さに似た香り――

 それは、奥の間に着くと、むせかえるほど強烈になっていた。

 そんな立ち込める香気の中で、彼はあたしたちを――正確には小袖に着替えたあたしの姿を一瞥いちべつするなり、そんな言葉を吐き捨てたのだった。


「随分と、不躾ぶしつけだな」


 匂いの所為か、普段の無骨な表情をより強めた在雅さんがそう呟くが、目の前でいらだたしげに算木そろばんをはじいている男性には聞こえていないようで――そもそも彼はあたしを見たっきり、こちらを見ようともしていない――かなりツッケンドな言葉が帰ってきた。


「忙しいのだ、早くしてくれ。笛が聞こえる、振袖が宙を舞う、折角書いた巻物がなくなる。異常は以上だ、何とかしろ」


 唾棄するような、ぶっきらぼうな言葉を耳にして、在雅さんが眉をしかめ、保名さんは堪えきれないように笑みを零した。

 彼が、温和な言葉で尋ねる。


「あなたがご当主の、菅原途綱さまですね?」

「ああ、そうだ。そんなことも解らない愚物なのか、君らは。それじゃあ、怪異の解決も何もできやしな――」

「こちらを、向かれてはいかがでしょうか?」

「あん? まったく来客のくせに態度がわ、る、い……」


 神経過敏な様子で、ぼりぼりと後頭部を掻きながらこちら振り向いた途綱さんの表情が、途端に蒼褪めていくのがあたしの位置からでもはっきりと見て取れた。

 そうして、彼がこちら真っ直ぐに見たことで、隠れていた横顔がさらされる。

 神経質な印象は変わらないが、その右目だけに眼鏡が嵌っていることを知り、何だか少し、理科系の人物なのかとあたりをつけることが出来た。

 また、このときになって初めて、室内に日本らしくない品々が――渡来品のようなもので溢れていることにも気が付けた。

 もうおかしくって仕方がないという顔を隠すこともなく、保名さんが言う。


「こちら、従五位、検非違使の実質的な取りまとめ役であらされます源在雅さま」

「け、検非違使の……!」

「それから私が、あなたさまと同じく、陰陽寮にて博士を任されております保名と申します」

「やす――賀茂かもの忠保ただやすさまの秘蔵っ子か!?」


 いいえ、私はただの内弟子、その一人に過ぎませんよ、謎の謙遜をしつつ、保名さんは微笑む。

 対照的に途綱さんから顔色は失われ、その視線が、恐る恐る、もうどうしようもないものを見るような目つきで、あたしへと向けられた。


「で、では、こちらのかたは――」

「はい。こちらは、身なりこそ市井のものの格好をしておりますが――」

「解った! いや、解りました、保名どの。こちらの非礼は深く詫びさせていただきたく思う。これ以上、自分に恥をかかせないでくれないか!」


 とんだ粗相を、いたしました。

 そう言って、彼――途綱さんは、深々と頭を下げたのだった。

 在雅さんと――あたしに。


「ひどい詐欺を見た」


 そんなあたしの呟きを、傍らの二人は苦笑とともに黙殺した。



◎◎



「改めて――自分はじゅ七位なない、大学寮にて算博士さんはかせを任されている、菅原途綱です。検非違使佐さまには、大変な失礼をいたしました」

「おう、俺はな、そういう堅苦しいのは好きではない。無礼にならない程度に、先ほどのように振る舞うといい。気にしてはいないぞ」

「はっ、有り難く存じ上げます」


 ニヤリと笑う在雅さんに、ピシリと直角に頭を下げてみせる途綱さん。

 権力や階級というのは、ある意味とても明白なものだ。

 自分より上の者は、自分の責任を負ってくれる。同時に、自分よりよほど優秀である。

 そんな、現代では通用しない理屈が、ここでは当たり前なのだと、あたしはよくよく知ることになった。

 あれだけとんがっていた途綱さんがこうなるのだから、そうなのだろう。

 ただ、先ほどまでの狼狽は薄らいだようで、途綱さんは幾分落ち着いた面持ちになっていた。眼鏡の理系は伊達ではない、ということなのだろう。


「さて、その辺りはもうよろしいようでしょう。では、本題に入りましょうか。算博士どの、なにか、思い当たる節はありませんか?」

「思い当たる節、というと、なんだ、陰陽博士どの?」

「私のことは保名と、呼び捨てで結構でございます。陰陽博士といいましても、ロクに役にすら立たない三流でして」

「それは……自分も同じことだ。いまの時代、算博士など、陰陽師がいれば事足りるのでな――」


 そう言いつつ、彼の視線が向かったのは、文机ふみづくえの上に置かれた巻物だった。

 少し距離があってよく見えないけれども、ひらかれた箇所には、漢数字がびっしりと書き込んであるのが、見て取れる。


「はて……話が逸れましたね。では、一つ一つ確かめていきましょう。その怪異が初めにおこったのは、いつでしょうか?」

「六日前だ。今日で七日になる」

「起こることは、毎回同じですか?」

「……そうだ。毎度笛が聞こえ、聞こえると家宝の十二単が踊りだし、そうして気をとられているすきに、自分がしたためた書物がなくなる」

「その書物とは、いかようなものでしょうか?」

「それは……」


 道綱さんは、露骨に顔をしかめる。

 如何にも言いにくい、言いたくないといった表情だった。

 どうやらこの人物、腹芸が苦手らしい。


「……算道つーのはな、数を操り死者すら甦らせると、もっぱらそういう噂なんだよ、姫」


 あたしの耳元にそっと顔を寄せ、口元を取り出した扇子でわざわざ隠し、聴きとれるかどうかの小声で、在雅さんがそう教えてくれる。

 つまり、算道とは外法の一種。現代でいえば魔術や魔法のような扱いを受けていると、どうやらそういうことらしかった。

 そしてそれを修めているのが、あの〝天神さま〟の末孫だから、一層警戒されているのだと、そう言われているのだった。


「……え? そういうのって、陰陽師の領分なんじゃないの?」


 保名さんへと視線を向ける。すると、しぃーっと口元に人差し指をかざされる。

 あたしは、不承不承黙ることにした。


「……算博士どの」


 狩衣の陰陽師が、あるかなしかの笑みをたたえたまま、眼鏡の数学者を見遣る。



「その家宝の十二単、最後にお身につけられたのは――どなたでしょうか?」



「むぅ……」


 唸った、途綱さんが。

 彼は、目を閉じ、かなり長い時間を思案に費やした末に、こう、答えたのだった。



「自分の、母だ。七日前に亡くなった、な」



 ……ああ、理解した。

 この甘くて、強い、その匂いは――むかし葬儀で嗅いだ抹香の、炊きあげられた、そのかおりだ。

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