05 ~暗澹飢餓絵巻~
◎◎
「生けとし生きるモノ、とくに人間がしぬは
保名さんはそんな風に言ってくれた。
ただ、あたしは思ったよりもショックを受けていなかったし、いままでの日常で触れることがなかった人の死に触れても、取り乱すことはなかった。
どこか、まだ他人事だという気持ちがあって、それでも手の中の感触は、消えてくれない。
だから、少し八つ当たりのように、尋ねてしまう。
「保名さんは、陰陽師なんですよね」
「はい、末席ではありますが、これで陰陽寮に属しておりますから――宮中の陰陽師が働く場所のことです」
「知っています。映画で見ました。でも、それなら」
「ひとを生き返らせることも、出来たのではないのか、と?」
「…………」
こちらの言葉を先回りして、それから黙ってしまったあたしを見て、保名さんは
彼のあるかなしかの笑みが、見えなくなる。
「私は未熟です。我が家の開祖であれば、或いはそれも叶ったでしょう。彼は異国で天子様のおそばに置かれたような偉人でしたから。しかし、私は違う。人の命運をかえる、
「そう、ですか」
「傲慢になってはいけませんよ、信田姫」
「姫じゃないです」
「ひとの命だけは、ままならないものなのです。例えば、見えますか」
そう言って、彼が前方を指さす。
そこには三人の男女がいた。
ひとりは飢えてはいるような、だけれどまだ健在な男。
もうひとりは、だらしなく着崩れた泥のような色の着物から乳房がこぼれ落ちている老婆。
そうしてもうひとり。
その場に座り込み、ジッと目の前の草を見詰めている少年。
保名さんが言う。
「あの三人のまえに生えている草は、
地を這うようにして広がるその草は、確かに色合いが赤と緑の、みごとな双色だった。
「これは、命にかかわる毒です。」
「え?」
驚くあたしに、保名さんは淡々と続ける。
「あの三人はこのあたりに住んでいる者たち。当然、二色草の危険は解っているでしょう。しかし」
しかし、そう。
彼らはいま、飢えている。
はた目からわかるほどに、腹を空かせている。
その眼の前に、食べ物があるのだ。
「みたところ、あなたはどこぞの姫君なのでしょう。世を知らず、朝のことから考えるに食事にも気を払うことはなく、よいものを食べられるだけ食べてきた」
……否定はできない。
あたしが生きていた時代は、飽食の時代と呼ばれるほどだった。
それこそ捨てるほど食料があって、好きなものを、好きなときに、好きなだけ食べられた。
でも。
「ああ、見なさい姫。ほぉら、子供が手を、伸ばしましたよ」
「っ」
見遣れば、子どもが毒草へと、本当に手を伸ばしている。その瞳に、生気はない。
後ろから、男性が覆いかぶさる、毒草を奪おうとして。
老婆が奇声をかけて飛びつく、ただ餓えに耐えられなくて。
そのまま、三者がもつれ、その手が6つ、毒草へと伸びて。
「だめ――っ!?」
駆けだそうとして、手をつなぎとめられる。
何をするのか。そう怒鳴りつけてやろうとして、振り返り――我に返る。
保名さんの眼は、少しも笑っていなかった。
悲しそうな色を、諦めたような色を、瞳にたたえいているのだった。
「何か、食べ物をお持ちですか、信田姫?」
「姫じゃ、ないです。持っても、いないです……」
「それで、どうやって彼らを救うと? 毒草を食すことを防げば、或いは少し長生きしましょう。ですが、飢餓という苦しみの中で死んでいくことになる。では、食べさせるか。待っているのはどちらにしろ苦しい死にざまです」
「それでも!」
それでも、目の前で誰かが死ぬのは、いやだ。
自分から、望んでもいないのに死に急ぐ人なんて、とてもじゃないけれど見捨てられない。
あたしは。
「助けて、あげたい……っ」
ポロリと、なにかが目じりから零れた。
あとからあとから、それは滑りおちる。
零れるしずく。
それはあたしの、涙だった。
悔しくて仕方がない気持ちの、溢れたものだった。
気が付いた。死をなんとも思ってないなんて、強がりだ。あたしはただ、ものも考えられないぐらい、打ちひしがれていただけなんだ……
そんな、いい年して泣きじゃくるばかな女を。そんなあたしを見て、保名さんは。
「ああ、どうか、どうか泣き止んでください、いとしい姫君」
そっと、あたしの眼元を、その白魚のような指でぬぐう。
慈しむように、なでる。
「ひとの運命はままならぬもの。しかし、それに抗うもまた、ひとの
すっと、彼が動き出す。
その手が袖の奥へと入り、何かを取り出す。
凹凸のある肌に、手のひらほどの大きさの、赤色と黄色のあいだの果皮を持つそれは。
「あまり、食べるに適したものではありませんが――少なくとも体には良い。お食べなさい」
そう言って彼は、それを――よく熟れた
「あなや」
「おう」
「おおう」
眼の前に転がる鮮烈な色合いの果実に、我先にと少年たちが飛び付く。
分厚い果皮をそのまま食いちぎり、苦く、酸い果汁を「
そうしてひとしきり、手についた果汁までペロリぺろりと丁寧に舐めとっていた彼らは、こちらを向いた。
ぎろりと、ギョロリと、獣のような、眼差しで。
「もっと、だ。もっとくれよ」
「まだあるじゃろ、くだされ、お貴族様、くだされ」
「そちらの奇妙な出で立ちの姫様も、お恵みを、お恵みを」
口々にそう言いながら、その口調こそ丁寧でも。
でもそれは、獲物のまえで舌なめずりする、猛獣の眼だった。
「くわせろおおおおおおおおおおおおおおお!!」
男がひときわ高く吠え、あたしたちに襲い掛かる!
保名さんが、咄嗟にあたしを庇うように動いて――
「ぎゃっ!?」
そう声をあげて、男性は吹き飛んで行った。
「――なんだよまったく。また面倒事に巻き込まれてんじゃねーぞ」
若草色の着物の、その胸のあたりを飾り紐が横断し、はち切れそうな筋肉を押さえている。 腰には大太刀を下げており、頭には烏帽子。
「おい保名! おまえが何をしようが知ったこっちゃねーが、災禍の降りかかる
「ははは、
保名さんがそう言うと、それまで浮かべていた勝気な表情を苦々しいものに変えて、なんか不思議な役職名で呼ばれた大柄の男性は拳を――いま、飢餓の男性を殴り飛ばした拳骨を、胸元に引き寄せてみせた。
「かたっくるしい。俺のことは呼び捨てで構わんというに」
「いまは人がおりますゆえ、ご厚意は戴いておきますが――さて、あなたがた、このかたは
保名さんがそう言っている間にも、少年たちは悲鳴を上げて逃げて行ってしまった。
口々に、「たすけて」「おたすけを」「あなや、あなや」と、そう言いながら。
その、去りゆく彼らの、後ろ姿を見届けてから、
「――で、保名」
「はい」
「この珍妙な格好の姫君は、何処のどなただ?」
源在雅と呼ばれたその人は、そう言った。
保名さんは、おかしそうに、微笑んだ。
そんな二人を前にして、あたしは。
「――――」
ただ、立ち尽くしていたのだった。
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