第一章 おいでませ、ネオ平安京

01 ~葛葉、窮鳥となる~

 信田葛葉。

 身長157センチ、体重49キログラム強(自己申告)。

 現代日本人の女性としては、小さなころから自慢の黒髪と、困ったことに規格よりずいぶん鋭いと評判の三白眼を除けば、ごく一般的な社会人OL。

 そんなあたしは、深夜のオフィスでワンナイトラブしている上司を目撃して、その結果上司に屋上から突き落とされてしまい、気が付くと、見知らぬ場所に立っていた。

 夜のすすき野。

 月明かり以外の光源が一つもない、とても、とても真っ暗な場所に、ひとり佇んでいたのだった。


「……なんて、説明的な思考をしちゃったりして」


 自虐的な独白して、それでようやく、落ち着く。

 動転していた気が、鎮まる。

 同時に、何ともいえない寒気のようなものが、あたしの背筋を駆け抜けていった。

 ここは、あまりにも荒涼としすぎている。

 月明かりを反射するススキ、それ以外のものが何もない。虫の鳴き声一つ聴こえない。

 まるで寂莫。

 寂しすぎて、心細い。


「どうして」


 思う。

 どうして、こうなったのだろう――と、そう思う。

 ここがどこなのかは解らないし、どうしてここにいるのかも解らない。


「でも、いつまでもこうしてるわけには、いかないわよね」


 ふっと息を伸びをする。

 準備体操のストレッチ。

 少しぐらい歩くことになっても構わない。せめて民家か、第一都民を発見して、情報を入手する。

 それがとりあえずの指針だ。

 そんな風に、事態を打開すべく、持ち前の切り替えの良さを発揮したあたしは、決意も新たに一歩を踏み出した。

 踏み出した――そのときだった。

 ザザッ。

 と、ススキが鳴った。

 風はない。

 風は恐ろしいほどないのに、ススキが鳴る。

 ザッ、ザッ、ザッ。

 それは、分け入る音だった。踏みしめる音だった。なにかが走る、その音だった。

 ハッとなって振り返る。

 遠く。

 眼を凝らしても捉えきれないほど、まだ遠く。夜の闇に溶け込むようにして、輪郭の曖昧なそれらは走っていた。

 初めは影に見えた。

 影法師のように。

 輪郭がはっきりとしないから。

 だけれど、数秒ののちには、それが人であることが分かった。

 はっきりと像を結ばなかったのは、そいつらが黒ずくめだったから。

 黒い、七人ほどの人物が、こちらへ向かって走ってくる。

 近づくにつれ、見えるようになる。彼らはみな、すっぽりと頭から頭巾を被り、顔を隠しているようだった。

 ……その服装は、なにやら時代劇めいたものだった。ただ、忍者のような、という感想は浮かばない。もっと、もっと、古めかしい衣装に見えるのだ。

 それはまるで、時代劇で見るようなものではなくて、歴史の教科書や、いっそ国語の教科書で見るような、古典的な――


「――っ」


 冷静に――いってしまえば平和ボケ的に、のうのうと考えることができたのは、そこまでだった。

 黒ずくめの一団のひとりが、右手をひらめかした。

 一瞬後、ヒュンという風切り音とともに――何かが、あたしの右頬の横を、通り過ぎる。


「ふぇう?」


 思わずこぼれた間抜けな声。

 肌に走る、奇妙な熱感。

 そっと頬に触れる。

 ぬるりとすべる。

 鋭い痛みとともに、温かい液体が、零れはじめていた。


「な――なな、な」


 反射的に、あたしはその場から逃げ出そうと後ろに下がった。鋭い音を立て、寸前まであたしがいた場所に、なにかが付き立った。

 月光を受けてギラリと光る、鋭利な刃物。

 細長い手裏剣のようなものが、地面に三つ、刺さっていた。


「――――ッ!」


 あげそうになった悲鳴を噛み殺し、あたしは今度こそ逃げ出す。

 逃げろ、逃げろ、逃げろ。

 本能が、恐怖が、あたしに囁きかえる。

 理由は解らない。彼らが何者かもわからない。本当、解らないことだらけだ。でも、一つだけはっきりしていること。それは――



「明らかに好意的感情はないですね、はい解ります!」


 バカなことを叫んだ。

 現実逃避だ。

 自分が命を狙われているなんて、認めたくなかったのだ。

 とにかく、走る。

 ススキを掻き分け、押しのけ、ピシリピシリとその穂に肌を叩かれながら、ハイヒールで走る。ちくしょう、会社帰りじゃなかったらニューバランスのスニーカーなのに! 50メートル7秒96で走れるのに!

 走った。

 アホなこと考えながら、精一杯逃げた。

 走って、走って、転んで、それでも立ち上がって走って。

 いつの間にかススキ野を抜けて、森の中にあたしは迷い込んでいた。

 それでも走って。

 ぜぇぜぇと息を切らし、すり傷切り傷だらけになりながら逃げこんだのは――ひとつの、おやしろだった。

 さびれた風の境内に、石造りの動物が二体、月光を浴びている。

 狛犬こまいぬではなかった。

 もう少し、ほそもての顔。

 そこは――稲荷いなり神社のようだった。


「あ、あかりが」


 質素な本殿の扉の中に、微かな人工の灯りを見て取って、あたしは神にもすがる思いで飛び込んだ。


「――おやおや」


 聴こえてきたのは、困ったような、あるいは愉快そうな、いまいち真意を測りかねる声。

 拝殿のなかに、一人の男が胡坐あぐらをかいて座っていた。

 先程の男たちと同じ、またも時代がかった、こんどは平安貴族が身につけているような、白い狩衣かりぎぬ烏帽子えぼしを被った優男。

 それが、あるかなしかの笑みを湛えて、拝殿の中央に置いた和蝋燭わろうそくを前にして、盃を口に当てているのだった。


「神頼みの戯れに、酒でも嗜みましょうかと思っていたら、なんです、窮鳥きゅうちょうが私の懐に舞い入りましたか。それにしても随分と奇抜な身なりのひとだ。唐の国にもそのような格好の者はいませんでしょうに――」

「あ、あの!」


 悠長に意味の解らないことを口にする優男へ、あたしは怒鳴るようにして訴えかける。

 こっちは必死なのだ。


「た、助けてください!」

「ふむ?」

「あたしもよく解らないんですが! 変な男の人たちに追われていて、か、かくまってください!」

「……匿えと言われても、ほれ、ここはこの見た通り、粗末な御神体ぐらいしかない本殿。おまけに私とあなたは出会ったばかり。さぁて、これは狐にでも化かされているのか、それとも神仏の導きか――」


 何がおかしいのか、そこでその男はクックッと笑ってみせた。

 ……なんか無性に腹が立つ笑い方だった。

 世の中のすべてを皮肉っているような、諦めているような、いらいらする笑い声だったのだ。

 だから、あたしは感情のままに口を開く。


「あの、ですね!」

「うん」


「……普通、女の子に助けを求められたら、男は二つ返事で了承するものでしょう? ましてこんな美女を前にして、なにを躊躇うんですか、甲斐性なし!」

「……はて。私の前に烈女はおれど、美女など皆目見当たりませんが……しかも、見たところずいぶんと気性も荒く、とうもたっている様子。それほど弁が立ち立派な体格をしているのです、ご自身でどうにかなされてはいかがですか?」

「~~っ、自分で何とかできるんなら!」


 はじめっから、あんたなんかには頼まない。

 そんな風に、怒りをぶつけようとしたときだった。
























「見つけたぞ」








 悍ましい声を、背後に聞いた。

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