24 ~突入~

◎◎



「――さて。では吾はゆきます。皆さまがたも、きっとご健闘を」


 あたしがかんざしを受け取ったのを見届けて、にっこりとほほ笑んでくれた八咫姫さんは、悪右衛門の屋敷へと、そのまま躊躇いもなく一歩を踏み出した。


「や――八咫姫さん!」

「はい?」

「えっと……その……あたし、あの」


 心がせっつくまま、思わず呼び止めてしまったものの、しかしどんな声をかければいいのか解らなくって、あたしは困惑する。

 この先には、たぶん危険が待っている。

 なにがどうなるか、先行きは不明瞭もいいところだ。

 このひとは、あたしにとってひょっとしたら単純な味方というわけではないのかもしれないけれど、それでも、だからこそなお、もっと話をしておくべきなんじゃないかと、あたしはそんな思いにき動かされていた。

 なにか、なにかを――


「八咫姫さん、あたしは……あたしは保名さんを――」

「その先は」


 笑う。

 美しく、凄烈に。

 彼女は嫋やかで揺らぐことのない笑みを浮かべる。


「その先は、なにごとも、なにもかもが無事に終わったあと、お聴きしましょう。女ふたり、殿方も交えずに、ずずいと語り合うことにいたしましょう。ええ、ええ、問題ありませんとも。きっと皆、また会えますから。大丈夫ですとも。吾も、もちろん無事に戻りますから。ふふふ、だって信田葛葉さま。吾は、なにせ――」



 ――どなたかと同じくらい、保名さまを、お慕い申し上げておりますから。



「――だから、必ず無事に戻ります。そのときこそ、あなたの本心と、吾の本心をぶつけ合いましょう。恋のさや当て、きっと、とても、とっても――楽しいものになるでしょうね」

「――――」


 言葉を失う。

 眼の前の女性の強さに、覚悟に。そして、信頼に。

 そうか、そうだ。

 このひとも、保名さんを本気で――


「ああ……それともあれですか?」


 あたしが沈黙を貫いている意味を、勘違いしたのか――それとも敢えて的の外れたことを口にして場を和ませようとしたのか、彼女はくすりと笑って、


「女一人で戦場に出向くのは、あまりに危険と仰りたいのですか? それならば、ほら、舎人とねり近衞このえなどこの通り――」


 そのか細い手を、握った扇を、天に向けて振り上げる。

 眩い輝きが、さっと彼女の周囲を照らし出す。

 すると、いったいいつからそこにいたのか、いつの間に現れたのか、四つの影が、まるで虚空から生じたように彼女の、その前後左右に控えていた。


桃助ももすけ

「はっ」

雉丸きじまる

「ここに」

申兵衛さるべえ

「おそばに」

狗彦いぬひこ

御前おんまえに」


 それは、あたしがいつか見た、あの小柄な人物たちだった。

 括り袴に直垂ひたたれの、萎烏帽子を被った男性たち。

 ひとりは頬の膨れた、一人は鼻先のとがった、ひとりはサル顔の、ひとりは犬に良く似た顔付きの、四人の付き人。

 その手には、笛や太鼓、竜笛にひちきりと、幾つもの楽器が握られている。

 まるで楽団の一員のような彼らが、白拍子である彼女の周囲に控えているのだった。

 驚いて目を丸くするあたしに、ね? っとばかりに八咫姫が片目を閉じてみせる。

 そうして、


「では、吾の一世一代の舞台、存分にお見せ致しましょう! おまえたち、ある限りをもって盛り上げなさい!」

「「「「御意ぎょいに!」」」」


 もはやこれ以上に語ることはない。

 そんな顔で彼女は今度こそ歩みだし、それに彼らも付いていく。


「白拍子にして、陽の巫女、占道者せんどうしゃ――八咫、参ります!」


 その日のうちにあたしが聞いた彼女の言葉は、それがたぶん最後だった。

 立ちつくしその白い背中を見送るあたしに、保名さんが優しく声をかける。


「行きましょう、信田姫」

「でも、保名さん」

「あれが、八咫姫さまの、お覚悟なのです」

「――――」


 あたしは知った。

 痛感した。


「おう、俺達も覚悟を決めるぞ」


 空気を読んで黙っていた在雅さんが、口の端を吊り上げながら言う。


「安心しろよ、保名、姫さん。きっちり俺が、守ってやるから!」

「……ああ、頼りにしている。私の背中、しっかり守ってくれよ」

「はっ! 頼りにしてんのはこっちだってぇーの!」


 豪気に笑う検非違使の長、保名さんの親友。

 保名さんもまた、それにいつもの笑みで応じる。

 ああ、そうだ。

 このひとは、保名さんは、こんなにもみんなから愛されている。

 彼を好いてくれる人間は、けっしてひとりではないのだ。

 みなが、彼のために笑ってくれるのだから。



 それが、どうしてかあたしには、無性にうれしく思えたのだった。



◎◎



 仇敵きゅうてき、石川悪右衛門の屋敷――その表門から、煌びやかな音色が響き始める。

 八咫姫さんが、舞を始めたのだ。

 やにわに屋敷のなかが騒然となり、多くのものが表へと走っていく音がここまで聞こえてくる。

 八咫姫さんが陽動してくれている間に、あたしたちは裏門へと回り込む。

 そうして、手薄になった警備の隙を突き、押し入る。

 そういう作戦だった。

 その作戦は、たぶん途中まではうまくいっていた。


 裏門へと回り込み、いざ侵入しようとなったところで、がかかるまでは。


「おお! 陰陽博士どの! 検非違使佐さま! そして信田姫さま! やっと追いつきましたぞ!」


 突然の背後からの声に、ぎょっとしてあたしたちが振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたとある人物が、大きなつづらを背負って立っていた。

 菅原道真公の末孫にして算博士。

 菅原途綱さんが、何故かそこにいた。


「って、なんでいるんだよ、おまえは!?」


 あまりに驚いたためか、言葉遣いがより荒くなる在雅さん。

 つかつかと彼は途綱さんに歩み寄ると、「いや、本当なんでいるのだ?」とねめつけながら詰問する。そのさまはまるでどこぞのヤのつく自由業の方々ばりの迫力である。

 もっとも、態度こそ違え、保名さんもあたしも同じ気持ちだった。

 そんな在雅さんの問いかけに狼狽――というか思いっきり縮み上がりながら、だけれど途綱さんは不思議そうに、首を傾げた。


「は? いえ、この屋敷で大きな宴が開かれるので、家宝を持参してさんじよと自分へふみをお寄越しになったのは、検非違使佐さまではないのですか?」


 彼は、そう言った。

 在雅さんが首を傾ぐ。


「待て、俺は文など出していない」

「しかし、ここに」


 途綱さん懐を漁り、ひとつの書状を取り出す。ひったくるように在雅さんがそれを奪う。そうして、吃驚の声を上げた。


「これは……俺が書いたものではないが、まるで俺の字ではないか」

「どういう、ことです?」


 よく呑み込めないあたしが尋ねると、その場にいた全員が沈黙した。

 誰にも、なにも解らなかったからだ。

 呼んだわけがない途綱さんが、書いた覚えのない在雅さんの文で、来るはずもない悪右衛門の屋敷に召喚される。

 それは、なんだか出来過ぎの、明らかに作為が透けて見える筋書きで。


「まあ、ありていにいって罠でしょう。なにせ、この通り――」


 保名さんが、両手を袖の中に入れながら(臨戦態勢だ)、悪右衛門の屋敷へと向き直った。

 遅れて、在雅さんが、腰の太刀を抜く。


「なるほど、いろいろ筒抜けのわけか。こりゃあ、遣り甲斐があるってもんだ!」


 意気込む男ふたり。その横で蒼褪めている算博士。

 ……ああ、嫌な予感しかしない!

 それでもおそるおそる、嫌々あたしが振り返ると。



 そこには、何十人もの覆面の一団が、立ちふさがっていた。



 まるで初めから、そこにいたかのような唐突さで。


「な、なななななな、な――なにやら、不穏なご様子。これはきっとお忙しいに違いない! で、ですので自分は、出直して」

「そんな暇あるか、いま逃げたら逆に危ねぇ。ちょうどいい、人手はあって困るもんじゃあない。菅原すがわらの! おまえ一緒に吶喊とっかんだ!」

「そ、そんなぁー!?」


 引き攣った表情で、そそくさとその場から逃げ出そうとする途綱さんの首根っこをつかまえると、在雅さんは雄たけびをあげてその一団に――黒服の集団へと突撃していった。

 途綱さんの涙が、空中に散る。

 許せ、必要な犠牲なのです。


「信田姫、私たちをも続きます。離れないでください!」

「はい、離さないでくださいね!」


 手を差し出され、それを握って、あたしたちは走り出す。

 あたしと保名さんは、手に手を執って、争いの渦中へと身を投じたのだった。


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