23 ~かんざしの秘密と葛葉の幸せ~

◎◎




 ススキのはたけを抜けて、森を抜け、さらに随分と進んだそこに、その不穏極まりない屋敷は存在した。

 屋敷――いいや、そう呼ぶことはたぶんはばかられた。

 目算で、東京駅ほどもある広大な敷地を、寝殿造りの平屋が、どこまでも覆い尽くしている。

 上空には暗雲が立ち込め、瘴気のようなものがあたしの眼にすら見えるほど立ち上っているのだ。

 伏魔殿ふくまでん

 その言葉が、的を射ているようにさえ思えた。

 そんな屋敷から、最も近い林の中に隠れて、あたしたちは様子をうかがっていた。

 見る限り、特に警備らしい警備がいるわけではない。

 しかし、その屋敷自体が放つ魔気のようなもので近寄りがたい心地にされるのだ。ただ事ではないなにかが、いまここで起きようとしているのだと、その場にいた全員が直感的に理解していた。


「さあ、どうでるよ、保名。こりゃあ、正面切ってというのは避けたいが――」

「そうだな、在雅。出来れば私も、術の使用は温存したい」


 矢筒を背負い、弓を持ち、腰には太刀を帯びた在雅さんが無骨な笑みを浮かべる一方で、保名さんは慎重さを崩さない。

 いうなれば、保名さんは切り札ジョーカーだ。

 一枚きり、一度きりの確実な一撃。故に、温存しておきたいのが人の心の常。


「ならば、やはり吾が出向くのが、一番でしょうね」


 そう名乗りを上げたのは、八咫姫さんだった。

 彼女もまた、神妙な表情を浮かべている。


「吾が正門より悪右衛門の注意を惹きつけましょう。その間に、保名さまたちは裏門より忍び込んで頂ければ」

「それしか手はありませんね」

「致し方なしか」


 なんだか納得した様子で頷き合う三人に、あたしは慌てて口を挟む。


「ちょ、ちょっと待ってください! それは危険じゃないんですか!? 保名さんも、在雅さんも、女性一人を悪人のまえに立たせるなんて、いったいなにを考えてるんですか!?」


 そんな風に喚くと、三人は顔を見合わせ、そうして示し合わせたように、同じ種類の笑みを浮かべた。

 ……うわぁ、むかつくなぁー。

 訳知り顔をして仲良しアピールだよ。

 代表してか、白拍子姿の彼女が口を開く。


「信田姫さま」

「姫じゃないです」

「信田葛葉さま」

「なんですか、?」


 さすがにこの嫌味は通じたらしく、彼女も苦笑を浮かべる。

 浮かべたまま、その白魚のような指を袖の中にしまい、なにかを、そっと取り出してみせた。


「あ!」


 思わず声が出る。八咫姫さんの表情がまた微笑に変わる。

 彼女が取り出したそれに、あたしは見覚えがあった。

 かんざし。

 いつかの早朝、小柄な男性に保名さんが託していた、あのかんざしと同じもので――


「保名さまの屋敷は、風水で見るところの地脈の結集点にあたります」

「はい?」

「京の都それ自体が、莫大な地脈の力を栄華のために昇華する場所なのですが、なかでもあの屋敷は、無数に京の都をはしる細い地脈の、その一部がこぶのように集っている結束点なのです。温泉がありませんでしたか、屋敷の真ん中に?」


 いや、ありましたけど。

 毎日入ってましたけど。

 いきなり地脈がどうのこうのと言われても……


「あの温泉自体が地脈――大地の力の流れなのです。そうしてこのかんざしは、その水底に安置されていたもの」

「なんで、かんざしを温泉の中に沈める必要があったんですか?」


 そう問うと、八咫姫さんは静かな表情で答えてくれた。


「指示をしたのは加茂さまです。このかんざしには、天道に等しい強い守護のちからがあり、それを地脈の制御に利用して、屋敷ごと保名さまをお守りしていたのです。ですが、あの夜、屋敷にこのかんざしはありませんでした。何故なら――」


 言いながら、彼女は保名さんを見た。

 保名さんが頷き、八咫姫さんは彼の手に、そのかんざしを乗せる。


「確かに、お返ししましたよ、保名さま。女性が付けるにふさわしいよう、しっかりと手入れをしておきました」

「ありがとう、八咫姫。こんなことは、おまえにしか頼めないから」


 そんな風に、妙に気安い会話を交わして、微笑みあうふたり。幼馴染というのだから、それが格別におかしなことというわけではないのだろうけど、でも、なんだかあたしは、ちょっとだけモヤモヤとしてしまった。

 それを見透かしたように、在雅さんが言う。

 その顔に張り付いているのは、茶化すような面白がるような表情だった。


「なぁに、悔しがることはないぜ、姫さんよ。なんたってその髪飾りは、保名が手入れをさせたんだからな」

「――え?」


 待って、ください。

 どういう、ことですか?

 あたしの髪に似合うようって、それは――



 甦る記憶。

 遡る日々。






 保名さんは、あのときなんと言った?



 その黒髪に似合うように――と。

 口説歌への返歌は、そのとき受け取るつもりです――と。



 たしか、たしかそう言って。



「葛葉姫」



 彼が、あたしを見た。

 その瞳にあるのは、諦観でもなく、絶望でもなく、厭世の念でもなく。


「これは、このかんざしは、加茂さまが私を護るために家宝として祀っていたものを下さったのです。日ノ本ひのもと一流の守護であるから、安心せよと。そうして、そのときにこうも仰いました。『真に守りたいひとが出来たとき、己よりも優先すべきものが生じたとき、そのひとに、このかんざしを託し、護れ』と」


 袖の中から延びた彼の白い手が、あたしの髪に触れる。

 この黒髪を、彼はいつくしむようにそっと撫でて。

 そこに、そのかんざしを飾って。

 彼は、いままでで一番やさしい微笑みを、その端正な顔に、浮かべたのだ。



「私の口説歌への答えは、いずれお聴きしたく思います。ですが、どうか、葛葉――私にあなたを、守らせてほしい。この最悪の局面で、あなたを守る力となりたい。どうかこのかんざしを、受け取ってはくれませんか?」



 ――――。

 ――……。

 …………。

 ……ああ、もう。

 受け取ってはくれませんかなんて、なんて回りくどい言い方を。

 ねぇ、保名さん。

 保名さん。

 そんなことを言われたら。

 あなたにそんな風に言われちゃったら、あたし。















「断われるわけ、ないじゃないですか」













 あたしは、いまにも泣きだしてしまいそうな、だけれど涙の代わりに喜びがあふれてしまいそうな、そんな泣き笑いの表情で、彼からかんざしを受け取った。


 ありがとう、嬉しい、幸せです。

 だから、保名さん――



「――です」



 あたしは、掛け替えのないひとつの想いを、その瞬間から胸に誓ったのだった。

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