27 ~蘆屋道満、秘術を行使すること~
◎◎
「蘆屋、道満!」
不愉快極まりない老人の、その哄笑を断ち切る鋭い怒声。
保名さんがその瞳に怒りを宿し、右手の札を
だが、
「おっと」
その汚らしい老人――蘆屋道満は、倒れ込んでいるあたしを、どこにそんな力があるとも知れない枯れ木のような腕で、無理矢理に立ち上がらせ、盾として抱きかかえてみせる。
ニタニタとした下卑た笑みを浮かべる皺だらけの顔が、その緑の
「――ッ!」
「ほぅ、恐ろしい目付きをする小娘だ。伊達にあれをこの世に引きずりおろすためのかなめではないというわけか。よい、よいな、気に入ったわ、小娘。くっくっくっく……」
泥を煮詰めたような音で嗤う道満。
眼を細く歪めながら笑う彼が、保名さんの方へと視線をゆるりと向ける。
「おう、不用意に動くなよ、保名ぁ……儂はこの娘が死ねば困るが、肉塊として蘇らすこともできる。が、ぬしにそれは出来まい。この娘が死ぬのは……怖かろう……?」
「道満ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!」
眉を吊り上げ、まなじりを決し、ギリリと奥歯を噛み締める保名さんに、いつもの冷静さは無かった。
ただただ憎悪だけが、そこにあるのだった。
それを愉快そうに、ひどく痛快そうに眺め、道満は何度目かも解らない嗤いを見せる。
「ぬしの父に阻まれていちど、加茂忠保めに邪魔をされていちど、《これより未来の世界でいちど》。都合三度、儂の野望は阻まれたが――しかし、
道満の手がひるがえり、右手であたしを抱きしめ、左手が宙になにかを描く。
縦の線と、横の線。
都合九本の線で描かれるそれは――
「
薄汚れた蓬色の衣服の中に、道満は左手を突き入れた。
引き出されたとき、そこには見覚えのあるものが握られていた。
「それは! 大江家秘蔵の金の烏帽子!?」
ようやく復活したらしい在雅さんが、太刀を杖代わりに身を起こしながら驚きの声をあげた。
そう、それは金の烏帽子だった。
いま、保名さんの邸宅で、大江景麟くんの手で守られているはずの――
「ふん、結界のなくなったあの屋敷など、踏み入るのは容易かったわ。忌々しい陰陽頭も不在とくれば、大江の餓鬼など、まさに赤子の手を捻るようなものよ――
道満の眼が怪しく輝く。
その視線の先にいたのは、怯えて尻餅をついている菅原途綱さんで。
「途綱ぁ……儂に覚えはないか? 儂の声、儂のこの瞳、覚えはないかぁ、算博士?」
「……ぁ! ああ、ま、まさか、おまえは!?」
瞠目する彼。
その口元が恐怖に震える。
「自分に、死命逆転数秘術図を与えたあの法師か!?」
「おうよ。貴様の母親を呼び戻す笛を吹いてやったのも儂じゃ。恩に着ておろう? じゃから――」
そのつづらの中身を、寄越せ。
道満が、面妖極まりない囁きを発するのと、途綱さんの背中のつづらが弾けるのは同時だった。
「あなや」
彼の悲鳴とともに、途綱さんの背中から、それは跳び出す。
豪華絢爛にして極彩色の、十二単!
「
「黙れ! 葛葉はおまえの道具などではない!」
裂帛の気合とともに、保名さんの手から札が飛翔する!
それは空中で角度を変え、あたしを避けて道満へと襲い掛かる!
「儂は恐れた、己が天命を。
道満の左手が奔る。
「ありえない!?」
それはあたしの叫びで、保名さんの驚愕だった。
道満の左手が、保名さんの放った札を容易く受け止めて、そして握り潰す。
その手は舞を踊るように蠢き、中空へと金の烏帽子を投げる。
輝く。
烏帽子が、振袖が、そして――悪右衛門の右手に突き刺さったままだったかんざしが!
「これなるは最後の神器、
かんざしが、烏帽子が、十二単が宙に舞い、黄金に輝く。
「ぬぅ……?」
「――え?」
バチリとなにか、弾けるような感覚があって、あたしの身体が道満から離れる。
道満はその右手を焼けただらせ、しゅうしゅうと煙を上げながら、あたしと同じように驚いたような表情を浮かべ――そうして、ニタァリと嗤った。
「なるほど、だからこれまで失敗してきたのか」
有無を言わせず道満の左手が伸びる。
炎がどこからか、あたしの周囲から迸り、そいつの腕を焼くが、道満はひるむことなく突き進み、あたしへと掴みかかって、そして
「きゃあ!?」
そして片手で、あたしを空中へと放り投げた。
神器と呼ばれたすべてが、木の葉のように宙に舞ったあたしへと飛び込んできて。かんざしを、そのなかで輝くかんざしを、あたしは必死に掴み取って――
「きさまの加護の届かぬ場所でやってやる――
眼の眩む閃光。
完全に視界が潰れる。
なにも見えなくなったその瞬間、あたしの耳に届いたのは、蘆屋道満の欲望にみちみちた嗤い声と。
「葛葉ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
誰よりも好きだと思った、愛したいと、やっとそう想えた。
ひとりの陰陽師の、絶叫だった。
衝撃。
そして意識が、途切れて――
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