18 ~歌合せの始末~
◎◎
あれから。
蘆屋道満と呼ばれた謎の老人がいなくなってすぐ、保名さんは倒れてしまった。
急激な展開についていけず惑乱するあたしをよそに、在雅さんが颯爽と陣頭指揮を執ったことで、事態は速やかに収集を迎えた。
そうだ、事件は一応の解決を見たのだ。
大江宗麟さんはすでに正気に戻っていたし、それを景麟くんも認めた。ただ、原因までは明らかにならなかったため、追加調査という名目で、あたしたちは金の烏帽子を預かることになった。
そうしてすべてが――大きな予想外はあったもののすべてが納まるところに収まったことで、ようやくあたしたちは、保名さんを屋敷へと連れて戻ることが出来たのである。
在雅さんは火急の呼び出しだとかですぐにいなくなってしまったから、保名さんの看護はあたしの仕事だった。
献身的な処置の末(あたしが献身的だと言ったら献身的なのだ)、保名さんが目を覚ましたのは、それでもどっぷりと日が暮れてからのことだった。
「――……ご心配を、おかけしましたね、信田姫」
目を覚まして第一声。
布団に横になり、そっと目を開いた彼は、焦点の定まらない目付きで、そんな事を言った。
……どうでもいいことだった。
「だいじょうぶですか、なんともありませんか、保名さん」
「……ええ、大丈夫です。あなたの〝呪〟が、私を引き戻してくれましたから」
「〝呪〟……? 私のですか?」
「はい」
頷いて、彼はあたしの手に触れた。
「こんなに、冷たくなってしまって」
保名さんの言葉の通り、あたしの手は、凍えるように冷たかった。
彼が、額にのせていた手拭いを、そっと外す。
「つきっきりで、面倒を見てくださったのですね。その繊細な手が荒れることも厭わず、私の熱を冷やしてくれていた。それもまた、〝呪〟ですよ」
〝呪〟。
ひとの想い。
つまり――
「信田姫」
保名さんが、まだどこかぼんやりとした表情で、あたしに尋ねる。
「私の子を、産んではくれませんか」
「……それ、いろんな人に言っているんじゃ、ないですか」
自分の口から出た、その声の、あまりの冷たさに、あたし自身がビックリする。
すこしだけ不明瞭な気持ち。
あたしはいま、なにを思っているのだろう。
誰を、想っているのだろう。
「或いは、そうだったかもしれません」
保名さんのその言葉に、冷たい氷を心臓に突き刺されたような痛みを覚えた。
同時に、やっぱりそうなんだと、どこかで納得する思いがあって。
「ですが、それも二度とはないと断言できます」
何故なら、
「私が、いま心よりそばにいて欲しいと願うのは、葛葉姫――あなただけなのですから」
その一言で、大きく変わる。
なにもかもが、一つの方向へと走り出す。
気が付けば、保名さんの瞳には光が戻っていた。
真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐな、誠実な輝きが。
「私には、もう血のつながりはない。私は、家族が欲しいと強く、思っています。だから、葛葉姫」
「姫じゃ、ないです」
「では、葛葉」
「…………」
「私に、あなたを愛することを、許しては戴けませんか。あなたを抱きしめ、そばに留めて、いつまでも愛するゆるしを。私に、運命を超える機会を――」
「あたしは!」
あたしは、彼の言葉をさえぎって、叫んだ。
「いまのあたしには、まだ、子どもを産むとか、家族になるとか、そういうことは考えられません。そりゃあ、行き遅れているかもしれないし、この時代ならなおさらだろうけど……それでも、そういうことは考えられないんです。だって、性急すぎるから」
「…………」
「でも」
だけれど。
「それで、保名さんを拒否するような心持ちには、なれません」
そう、なれやしない。
あたしは。
信田葛葉は既に。
「あたしは、あなたを好いていたい。好きになりたいと思っています。ですから保名さん、お願いです。もう少し、待ってください」
あなたを、信じられるかどうか。
この想いが、その〝呪〟がどんなものかを、見定めることができる、そのときまで。
「もう少しだけ、待っていて、くれませんか?」
ありったけの想いを、ありったけの度胸で紡いだそんな言葉の先で。
彼は。
保名さんは。
「――はい。待ちますとも、いつまでも。いつまででも」
そんな、いつもと変わらない微笑みで、頷いてくれたのだった。
かくして、歌合せをめぐる事件は幕を閉じた。
閉じた……はずだった。
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