17 ~歌合せ(急)~

◎◎



 左の組が詠んだ歌は、十六夜いざよいをテーマにした歌だった。

 要約すると、わたしはいま逢いに行くのを躊躇っています。あなたがとても恐ろしいから、とでもいうようなありきたりな代物で、ちなみそれを読み上げたのは途綱さんだった。

 大江景麟くんは、それを上座で、ジッと聞いている。

 表情は爛漫な笑みで、曇りのひとつも見て取れない澄み切った清聴の構えだった。

 そうして、順番はこちら――右の番になる。

 保名さんが一歩を進み出て、手渡された短冊の内容を読もうとする。彼が右側の講師だった。


「――」


 口を開きかけ、短冊のふみに眼を落とし、保名さんは目を丸くした。

 振り返り、あたしを見る。

 あたしはただ、真っ直ぐに彼を見詰めていた。


「どうしたの? はやく詠んで聞かせてよ、保名どの」

「――……」


 その瞳のなかで渦巻くのは、迷い、困惑、吃驚。景麟くんに促され、一度目を閉じた彼は、それらすべてを呑み込んでいた。

 とうとう彼が、口を開く。






「『あらざらむ この世のほかの思ひ出に いま一度の 逢うこともがな』」





あなたが死ねというのなら、私は長くは生きていないでしょう。ならせめて、あの世での思い出になるように、どうかもう一度、あなたに逢いたい





 そういう意味の、和歌である。

 その歌が詠まれた瞬間、その場のすべてが水を打ったような沈黙に包まれ――次の刹那、大きくざわめいた。大気が唸り、梢が鳴り、小石が弾け、人々は息を呑んだ。



「――美事みごと



 景麟くん――もとい、大江景麟が、陶酔したように、感嘆とともに言葉を吐きだす。

 他の貴族たちは、目を見開き、言葉に詰まり、なかには感極まって泣きだす者までがいた。

 それは、それほどまでに優れた歌だった。

 当然だ。

 あたしが考え、あたしがしたためた短歌――ではないのだから。


 これは、この時代よりもさらに数十年は先、平安中期の世で詠まれることになる、和泉式部いずみしきぶの愛の歌。

 教科書にも載るような、柿本人麻呂にも劣らぬ才媛の詩。

 故に、この時代の誰よりも勝る、過去の秀歌に比肩する歌なのだ。

 そして――


「これは――勝敗を吟じるまでもないようだね。僕を含めて、陶然と、誰もが呑まれてしまった。それを――なによりもが認めている」


 景麟くんが呟く。

 彼の視線の先、あたしたちの頭上に〝それ〟はあった。

 烏帽子だ。

 太陽の如く、燦然さんぜんと輝く烏帽子が、突如そこに姿を現したのだ!

 時を同じくして、大江の家から誰かが、酷く乱れた服装の誰かが、よろよろとした歩みで這い出して来る。

 誰がいうまでもなく解った。

 大江宗麟。


 その眼には、かすかな正気が宿っていた。


「逢わなくてはならないひとがいる。私には、逢わなくてはならない女性ひとがいるのだ。この烏帽子にを託すにふさわしい――この多岐都姫たぎつひめの金の烏帽子をひとが! それは――」


 彼の、老人の眼が、あたしを見て。

 そうして、微笑んだ。


「ああ、そこにおられましたか、あまてらすの――」


 彼が、言葉を発することが出来たのは、そこまでだった。

 なにかが、下手から走り、彼を蹴り飛ばした。

 そうして、そのまま天へと舞い上がり、金の烏帽子を手中に収めようとする!

 だが!


「オン・ガルダヤ・キシハ・ハキシャ・ソワカ――【《《一切不浄焼却】》】!」


 ボッと。

 そらの一面を、赤が覆った。

 炎。

 膨大な規模の火炎が、そらのすべてを席巻したのだ。

 たまらずに舌打ちをして、その人影は地に舞い戻る。

 そうして泥を煮立てたような声でわらい、怒鳴る。


「くっくっく――迦楼羅かるらえんか……知識を全て奪われたくせに、味な真似ができるようになったものよな、保名ぁ!」

蘆屋あしやぁ……道満どうまんンンンンンンンン!!!」


 激昂する。

 保名さんが。

 あの、常に平静を良しとする彼が、赫怒かくどをあらわにして叫ぶ。

 それを見て影は――舎人の格好をしていたは、みどりに燃える眼を歪め、黄ばんだ歯を剥き出しにしてニタァと笑い、そのまま塀を飛び越えて、姿を消してしまった。

 あとには驚いて腰を抜かす貴族たちと。

 まなじりを決し、老人が消えていった塀を、いつまでもいつまでも睨み続ける陰陽師がいるだけだった。


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