16 ~歌合せ(破)~
◎◎
歌合せにはルールがある。
まず右側と左側にわかれ、歌を作る。
出来た歌の中から一番良いと思うものを、両サイドがそれぞれ選び出す。
この、それぞれの歌の作者――
念人とは弁護士みたいなものである。
が、これはあくまで正式な形であるな、だ。
今回、方人、つまり作者と念人は同じ者が行い、講師はその付き添いが担当することになっているし、判者に至っては、大江景麟その人が、直々に判定役を買って出るという特殊ルールだ。
だから、あたしの役目は精々、保名さんたちが用意してくれた和歌を、朗読するのが仕事だろうと勝手に考えていたのだけれど――
「できぬ」
「できぬな」
「できません」
「できぬよなぁ」
「だれか」
「だれか出来たものはおらぬか」
「柿本人麻呂さまに勝るものぞ」
「だれか」
「たれか」
……そんな具合で、貴族の皆さんは首をひねりながらお酒を嗜むばかりで、一向に和歌など完成する気配がなかった。
柿本人麻呂といえば、あたしでも知ってる大有名人。万葉集随一の歌い手とまで呼ばれる歌人だ。
そんな人の歌に、並ぶか超えるかする返事を書けといわれて、はいそうですかと二つ返事で出来るものなんていないのは解っている。
この場に集まっている人たちは、たぶんそれなりに和歌が上手いのだろうけれど、あたしも含めて人麻呂さんには決して及ばないのだろうと、理解はしていた。
だから。
だからこそ、あたしは、
「それで、信田姫できましたか? え、まだできていない? それは困ります。なにせ今回はあなた頼みなのですから。まあ、きっと大丈夫でしょう。信田姫ならば、どんな古今の名作にも勝る素晴らしい秀歌を産みだせると、私は信じていますからね?」
などと、保名さんはいつもの底が知れない、なにを考えているんだかわからない笑みで、そうのたまうばかりだった。
……はっきりと言おう。
あたしは、だんだんと彼を疑い始めていた。
この歌合せ自体が、仕組まれたものなんじゃないかって。
それがどうしてか解らないけれど――いや、解りたくないけれど、彼は、本当はあたしに失敗して欲しいんじゃないかって。
下手な歌を詠んで、大恥をかかせたいんじゃないかって。
そう、邪推してしまうぐらい、不安になっていた。
保名さんの表情はちっとも変らない。
あるかなしかの、見透かすことを拒否するような微笑を浮かべているばかりだ。いつも、いつも変わらず、そんな顔なのだ。
だから解らない。
どんどん解らなくなる。
頭の中で、いつかの朝に見た光景が繰り返される。心の中で不安が、不信感が募っていく。苦しい。つらい。
だって、誰かにおくる髪飾り。恋歌。口説歌って、それってつまり、口説かれたってことで――
「おう、だいぶ行き詰ってんな、姫さん」
太い声をかけられて、ハッと我に返る。
眼の前で、在雅さんが陽気に笑っていた。
「あ、ありま――検非違使佐、さん」
「いつもどうりでいいって。姫さんはいま、俺と同じぐらいえらい、俺と同じ出自ってことになってるんだぜ。ここでは気を使う必要がねーよ」
「……在雅さん」
「おう」
「……なんであたし、この歌合せに呼ばれちゃったんでしょうか?」
そう問えば、「あー……」と、彼は空を仰ぐ。
しばしの間のあと、彼の顔が戻ってきたときには、もうそこに、先ほどまであった陽気さだけの笑みは、なくなっていた。
かわりに、真剣な、精悍な、
「保名のことが、信じられなくなってるんだな、姫さんは」
「――いえ」
ズバリと心中を言い当てられ、反射的に否定する。
そっと背後を伺うけれど、そこに保名さんの姿は見えない。
それが有り難いことのような、逆にすごく悲しいことのような不思議な気分で、胸が締め付けられるような気がして。
それでも、在雅さんへと向き直る。
彼は、きちんとあたし顔が、自分のほうへ向いたことを確認してから、言葉を続けた。
「……確かにな、保名は難しいやつだ。付き合いの長い俺でも、あれがなにを考えているかなど、時々わからなくなる。いや、ほとんどわかっちゃいない。わからんが……わからんなりに知っていることもあった」
あいつはな、諦めていたんだ。
陰陽師の友人は、そう言った。
「あいつの父親のことを、知っているか?」
「いえ」
「だろうな。あいつが自分から話すとも思えん。保名の父親は殺された。石川悪右衛門という男にだ」
「悪、右衛門……!?」
それは。
それは確か、あたしがこの時代に来て初めて襲われた、最悪の人物の名前で。
「殺された。あいつの親父さんは陰陽師として、悪右衛門の親類を救おうとしたらしい。だが、なにかがあって、殺された。そのあとは、悪右衛門の独壇場よ。摂津の守――つまり地方豪族であって、宮中にも顔の利く奴は、謀略によって保名の家の家財、そのほとんどを簒奪し、家の名前さえ奪い去ってしまった。親類も、縁者も、先祖伝来の書物すら――なにもかもを奪われて、壊されて。あいつは、すべてのものを失った」
「それで、絶望した……?」
「そうだ。絶望して、諦めた。実をいえば、あいつには、陰陽師としての才能がこれっぽちもない。陰陽頭賀茂忠行さまは認めておいでだが、しかし、他の陰陽師が使う、まともな術をひとつでも使えば、完全に動けなくなってしまうほど、あれは凡人だ」
そんなばかなと、否定したくなって。
だけれど思い出す。
そうだ、思い当たる節はあった。
あの夜、初めて出逢った夜。
あたしを助けてくれたあと、保名さんは座り込んでしまった。
あれがもし、そういうことだったのだとすれば――
「いままでのあいつは諦めていた。絶望していた、諦観していた。何を悲観したかまではしらないが、少なくとも人のために働こうなんて真似はしなかった。式神に自分の身の回りのことを全てさせて、それで力を使い切って、それで終わりの生活を毎日続けていた。それが、どうだよ姫さん。きみが来てから、あいつがどうなったと思う?」
あたしが来て。
あたしと出会って。
彼は。
保名さんは。
「変わったんだ。保名は、変わったんだよ」
眼の前の武士は、嬉しそうな顔つきで、まるで我がことを喜ぶに、そう告げた。
「だれかのために術を使うようになり、きみのために奔走するようにまでになった。内緒だが、今日のこれもその一環だ」
「え?」
「信田姫。きみはもっと、自信を持っていい。俺が太鼓判を押してやる。きみはあの偏屈を変えたんだ。それが出来たんだ。姫さんは――あいつの心を動かしたんだ」
だからできる。
「きみなら、ひとの心を動かす歌を、読むことができる。俺はそう信じるね。姫さんの想いをそのまま言葉にすりゃぁ、知ってる言葉で表せば、間違いなく今回の怪異は解決する。もっとも――」
そこで彼は、笑ったのだった。
とても男臭く、とても気恥しそうに。
こちらも胸がすくような、そんな笑顔で。
「俺は、学がないからなぁ、戯れに作ってみたが――こりゃあ、数年前に父上が詠んだ和歌と同じになっちまった。まったく、猿真似にも劣るとは、このことさ――」
たははーと笑い、彼は立ち上がる。
そのまま別の貴族のもとに行こうとする彼の背に、あたしはあわてて声を投げた。
思うがままに、叫んだ。
「在雅さん!」
「あん?」
「あたし、解りました!」
「……なにが?」
「想いは――伝えるべきなんです。黙ってちゃ、伝わらないんです」
そう、いまのようにまごついていたって、なにも変わらない。
あたしは決めたはずだ。
なにかをすると。きちんとやるんだと。
やり遂げるんだと。
だから――
「今日一番の和歌は――あたしが詠んで
信田葛葉は、そう高らかに宣言したのだ。恥じ入ることもなく、臆することもなく、躊躇うことさえなく。全力で、全霊でそう宣言し、宣誓したんだ!
……貴族一同が、見守っている中で。
「おう、さすがは源氏の姫ぞ!」
「皆の衆、これでわれらが右の勝ちは決まったもどうぜん」
「ささ、ならば祝杯を」
「これ、
「肴もじゃ」
「だれそ」
「だれそ」
…………。
……こいつら、もう嫌だ!
こころの底から、そう想った。
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