13 ~〝呪〟~

◎◎



 今度の御屋敷は、途綱さんの場合とはあまりに形式もも違うということで、あたしは宮中で女性が着る略式の正装、五衣小袿いつつぎぬこうちぎという姿にされてしまった。

 簡単に言えば、いわゆる平安貴族の御姫様が着ているイメージの十二重。

 あの、上に羽織っているカラギヌとかいうやつを脱いだ姿である。

 なので、もうほとんど正装と変わらないし、現代でも同じように、正装というのはとにかく窮屈で辟易する代物だった。

 だというのに、そんなあたしを見た男どもの感想といえば――




「誰だ! こんなうつくしい姫さんに今まで料理とか作らせていた羨ま――けしからん陰陽師は! ちょっと代われ、代わってください!」


 だの、


「完璧だ……このように計算し尽くされたうつくしさを自分は見たことがない……まるで一と零だけの数字のような……黄金的な比率!」


 だの、


「この艶やかな黒髪は、まさに烏羽玉の実で染め上げた絹……さて、私の見立ては間違っていませんでしたなぁ、おふた方とも?」


 と、はっきりいってダメ人間の見本市といった具合だった。

 救いようがない馬鹿どもである。


「なんですか、恰好が変わっただけでしょう? あたしはあたしですよ」

「馬子にも衣装」

「数式に解法」

「陰陽師に式神」


「死ね! おまえら一回死ね! 褒めちぎったと思ったら素直にもなれないのか!?」


 怒ってそんな風に叫ぶと、呑んだくれ三人組は愉快そうに笑い転げはじめた。もはや悪ガキと大差がない状態である。

 この……これだから、男ってのは……っ!


「はっはっは! それはともかく、保名。なぜ姫の着替えにわざわざ人を呼んだ? 自慢の式神でも使えばよかっただろうに」

「……私は陰陽頭、賀茂かもの忠保ただやすさまほどの技を持ちませんので、そのような真似はできかねます」

「しかし、最近のおまえ――」


 なにかを言いかけた在雅さんの口を、保名さんの笑みが鎖す。

 それ以上は喋るなと、彼の瞳が如実に物語っているのだ。


「…………。あまり、無理をするなよ」

「はい、ご忠告しかと胸に刻んでおきます」

「これは友として言っている。畏まるな。そしてこちらの姫さんを……泣かせるなよ」

「…………。はい」


 未だに笑い転げている途綱さんの横で、ふたりはそんな言葉を交わしていた。

 普段と変わらない表情で。

 普段とは違う、言の葉で。


「さて――それでは出発いたしましょう。大江邸での歌詠み合戦。来々の御歴々に、我らの姫君のうつくしさで、心行くまでときめいていただきましょう」


 保名さんは、殊更に明るくそう言った。

 それは、いつも通りの、彼の言葉だった。

 いつも通りなのに、どうしてかあたしは上手く、受け止めることが出来なかった。



◎◎



 というわけで、マジカル☆牛車、再びの出番である。


「大江宗麟の屋敷は、京の南にありますれば、そこに至るまでしばしの時を要します。その間、退屈しのぎにでも〝しゅ〟のお話をいたしましょうか」

「〝呪〟、ですか? あー、難しそうな話は、ちょっと……」


 牽くものもなく進む牛車の中で、並んで座りながら、あたしと保名さんは暇つぶしの雑談を交わす。

 ただ、正直なところあたしはそんなに頭がよくないので、彼が口にするお話は、だいたいいつも半分ぐらいしか理解できていなかったりする。

 これもたぶん、理解できない話だろうと、そう思った。


「いえ、本質的には難しい話ではありませんよ。敢えて難しくしている話なのです」


 そんな風に、彼は微笑んだ。


「では、信田姫」

「姫じゃないです、現代人です」

「今日はどこぞの姫君ということになっています。ご容赦を」

「…………」

「〝呪〟とは。どのようなものだと思いますか?」


 それは……やたらダイレクトな問いかけだった。

 しかし、いきなりなんだと思いますかと言われても、こっちとしてはまったく想像もつかない。

 とりあえず、のろいのようなものだろうかと答えてみる。


のろい。では、呪いとは何でしょうか。人を呪うとは、どういうことでしょうか」

「それは、怒って、憎んで、恨みつらみをぶつけることで」

「しかし、実際に手を下すのなら、激情に身を任せ、刃で切りつけるのなら、それは呪いとは言いますまい。それは、暴力です」

「…………」

「道真公。菅原途綱どのの偉大なる先祖は、いったいなぜ、京のすべてを祟るような真似をしたのでしょうか?」

「それは」


 それは、きっとなにもできなかったからだ。

 暴力すらふるえない、どうしようもない状況で、それでも自分を陥れたすべてを憎んだからだ。

 呪った、からだ。


「そうです。呪いとは、手の届かぬものを想うこと。それ自体なのです」

「想う? それってなんだか、前向き過ぎませんか? 呪いっていうのは、もっと」

「もっと悍ましいものだと? では、ひとつ問いますが、信田姫。この世に、他者を呪ったことがない人間が、一人でもいるでしょうか」

「それ、は……」


 いない。

 たぶん、そんな聖人は、この世界には存在しない。

 過去にも、未来にだってさえ。


「そう、かしこき道真公ですら、ひとを呪い、ひとを想った。つまり、〝呪〟とはそういうものなのです」

「……わかりません」

「ふむ……では、少し言い方を変えましょう。信田姫は、たとえばほら――そこここに咲いている花を見て、なにを感じますか?」


 そう言って保名さんが示すのは、牛車から覗く外の世界。

 それを見て、あたしはあっと声をあげる。

 いったいどこをどう進んだのか、そこは一面が真っ赤な――真っ赤なヒガンバナの咲き乱れる野原だった。


「……きれい」


 陶然とそう呟くと、保名さんが隣で笑みを深くする気配が伝わってきた。


「その想いが、〝呪〟です」

「――え?」


 振り返る。彼は、優しく微笑んでいる。

 その口紅をさしているわけでもないのに赤い唇が、ゆっくりと開く。


「姫はいま、その花をきれいだと口にされました。そう、感じたのでしょう。それが〝呪〟です。では、例えばその花々が、すべてされこうべだったとしたら、どう思われたでしょうか?」


 そんなことを言われる。

 一面のヒガンバナが、そのすべてが髑髏どくろだったら、それはきっと。


「怖い」

「その恐怖も〝呪〟」

「……ひょっとして、心の動きのことですか?」


 あたしが漠然とそう尋ねると、彼はかすかに微笑みを深くした。


「はい、やはりあなたは敏い。〝呪〟とは、ひとの心そのものなのです」

「でも、心に人を呪ったり、祟る力なんて」

「ないと思いますか? しかし、信田姫はいま、花畑をその眼で見て、そしてそれがされこうべの河となるところを想像した。どうでしょう、いま一度、外をご覧になられては」


 促され、首を傾げつつ外を見て、そしてあたしは、息をのむ。

 牛車の外にあったのは――地獄だった。

 白い、漂白されたように白く、薄汚れたように黄ばんだ、無数の、世の果てまでも続く髑髏の河。

 そんな怖ろしい光景が、牛車の外を埋め尽くしていた。


「や、保名さん!?」

「……ひとは、見たいものを見て、そうして己に都合がよいように物事を捻じ曲げる。心の働きとはそのそれ。うつくしいと感じ、恐ろしいと感じるも同じこと。うつつにあってなお、夢幻を見ることができる――それがひとの心と呼ばれるものなのです」


 さあ、姫。もう一度、外をごらんなさい。


 保名さんのその言葉には、有無を言わせないものがあった。

 あたしは。

 彼を信じ、外を見る。

 そこは。

 そこには――


「京の、都……?」


 一面のヒガンバナ畑はない。

 髑髏の河もない。

 そこにあったのは、いつの間にか見慣れてしまった都の町並みがあるだけだった。


「あ――あたしに、術を懸けたんですか!?」

「いいえ、あなたの心が、望んで〝呪〟にかかったのです」


 可能性に思い至り尋ねると、彼はまた、煙に巻くようにそんなことを口にする。

 わからない。

 ちっとも理解できない。

 雲をつかむように、それはふわふわとあやふやなもので。


「そうして、それが本質なのです」


 彼が、そんな風に結んで、余計に解らなくなる。

 本質というのなら、このひとの本質が。

 〝呪〟とは、ひとの心の働きだという。

 そして、ひとの心とは――


「どうか、覚えておいてください信田姫。人間の心は、なによりも世界に優越されるもの。眼に映るものすら変えてしまうちから。信田姫、いまだ知らぬ未来のこの国よりきたという不思議なひとよ」


 あなたが。


「あなたが真実、元の世界に戻りたいと願うのなら、どうかその想いを忘れませぬように。強い想いは、必ず一つの形を成すのですから」


 保名さんは、そう言って悲しそうにほほ笑んだ。

 その瞳の奥に、初めて出逢ったときのような諦めが巣食っているのが、あたしには視えた。


 ――私の子を産んでほしい。


 あの夜に聞いた言葉が、脳裏に甦る。

 同時に、恋歌に返事をしなくてはならないという彼の言葉も、またリフレインする。

 あたしが未来に戻りたいと願うように、彼にも願うことがあって。

 それは、とても強い想いで。

 ……誰に向いているのか、解らない想いで。

 解らない。

 解らない。

 解らないから、


「や、保名さん!」


 ――あの言葉は、本当は、どういう意味だったんですか?


 そう問おうとしたとき、ふいに牛車が止まった。


「――つきましたよ、信田姫」


 彼が、陰陽師が、口を開く。

 いつもの眼差しに戻った彼が、いつの間にか、上手く信じられなくなってしまった彼が。





「ここが――大江亭です」




 牛車の外には、大きな屋敷が、そびえていた。

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