12 ~葛葉、ふたたび怪異のあらましを知ること~

◎◎



 すっかり上達したお味噌汁を、ふたりですすりながら、お粥ときのこの酒蒸しをつついていると、いつの間にか聞きなれた二人組の声が、表門の方から響いてきた。

 迎えに出ようかと立ち上がると、目の前の彼が笑いをかみ殺した様子で手を振るので、あたしも同じような表情でそ知らぬふりを続けることにした。

 そうしていると一時と待たず、


「保名、いるか」

「信田姫! 途綱、菅原途綱が参りましたぞ!」


 と、そんな風に。

 検非違使の事実上の長、つまり警察組織のトップである源在雅さんと、先日いろいろあって、それ以来なぜかあたしに御執心の彼、算博士、菅原途綱さんの二人組が、朝餉あさげの途中だというのに、お酒片手に現れたのだった。

 ふたりは既に飲んでいるらしく、赤ら顔だった。


「……ふたりとも、仕事はいいんですか?」


 内心を隔しつつ、そんな彼らにジト目で詰問する。

 だけれど在雅さんは豪放に笑うばかりだし、途綱さんに至っては、


「そもそも、算博士などやることがない!」


 と、開き直ってしまう始末だった。

 くそ、平安貴族の暇人どもめ……笑ってやってたが、思ったより暇人過ぎるでしょう……


「それで、本日はどのような御用向きでしょうか、検非違使佐さま、算博士どの」


 先程までの表情はどこへやら、平素と変わらない様子で保名さんがそう尋ねる。

 が、その手にはいつの間にか盃が握られており、さらにいつのまにかお酒がなみなみと注がれ波紋を揺らしているのだった。

 ああ、こいつら全員、基本的にダメ人間なんだな……

 そんなことを実感し、全員の評価がひといきに下がる、そんな今日この頃だった。


「――大江おおえの屋敷で、内々な歌合せが行われる」


 在雅さんがそんなことを口にしたのは、もうずいぶんと盃が進んでからのことだった。


「やはり――此度こたびもそのような案件でしたか」

「おう。やはりと言うからには、やはり知っていたか。実は、その大江の屋敷で、この算術バカのときと同じようなことが、起きているらしい」

「自分は算術バカではない。そして算道だ、間違えないでくれたまえ。これだから検非違使という武力至上主義者は……」

「はっはっは! やけに酒がまわっているなぁ、菅原の!」

「痛ったい!? 痛とう御座いますが、検非違使佐さま!?」


 豪快に笑い、途綱さんの肩を殴りつける在雅さん。

 決してモヤシという訳ではない(少なくとも保名さんよりは体格がいい)途綱さんの身体が、それでも揺らぐほどの拳は、さぞや痛いのだろう。在雅さんは別に力を込めた風でもないのが、余計に、である。


「で、お二人はそのことで、保名さんを頼ってきたんですか?」

「いや、本題は別にある。いや、いや。それもあるのだが、思惑は別にあってだな」

「?」


 あたしが首を傾げると、在雅さんは渋面を浮かべ、あたしと、そうして何故か保名さんを交互に見比べた。

 保名さんはただ涼しい顔をしているし、あたしは目をぱちくりやっている。

 それすらも彼の苦虫をかみつぶしたような表情を加速させる要因にしかならなかったようで、

「ごほん!」


 最終的に、在雅さんはわざとらしい咳払いで無理矢理話の転換を図った。


「あーっと、な。大江の家といえば、歌の名手だ。そこに、景麟けいりんというまだ若い男がいる。いずれ一角の役職に就くであろうと宮中でも噂されるほどの才能の持ち主だが……こいつの父親が、ここ数日ふさぎ込んでいるという」

「ええ、聞いていますよ。金の烏帽子の夢、ですね」


 それまで黙って、微笑みを浮かべたままお酒を飲んでいた保名さんが、割って入るように口をひらいた。

 それは、こういう話だった。



◎◎



 大江おおえの宗麟そうりんが夜眠っていると、枕元に人影が立つらしい。

 それは、男のようでもあり、女のようでもあり、老人のようでもあり、わらべのようでもあった。

 ただ、その背後から眩い後光が射しており、顔を伺うことが出来ない。

 だから宗麟が、たれそ? と問えば、その人影は、ただ歌をんで見せるのだという。





 ――うつくしといもは はやも死ねやも 生けりとも 吾にるべしと人の言はなくに――





 愛しいと思うあのひとは、いっそ死んでしまえばいいのに。生きていたって、どうせ自分に靡いてはくれないのだから――おおよそこんな意味である。


 それを歌い終えると、眩い人影はふと姿が見えなくなる。

 宗麟が目を覚ますと、枕元には遺失したもと思っていた先祖伝来の金の烏帽子が置かれていたというのだ。

 あくる日も。

 またあくる日も。

 その人影は現れた。

 そうしてその度に、同じ歌が詠まれ、仕舞い込んだはずの金の烏帽子が宗麟の枕元に置かれるのであった。

 これを、なにかの祟りではないかと恐れた宗麟は、陰陽師や播磨はりまの陰陽法師、はては比叡山の僧まで呼びつけて祈祷やら何やらを執り行わせたものの、一向に治まらない。

 そうこうしているうちに、宗麟はおかしくなってしまった。

 自分には、逢わなければならないひとがいる。

 それを連れて来い、自分に合わせろ、自分のものにさせろと昼夜を問わず喚き立て、狂人のようになってしまったというのだ。

 この頃になると人影を見るものは宗麟ひとりではなくなっていた。

 大江の屋敷につとめるものの多くが、やれ宙を舞う人影を見た、屋根の上でなにかが吠える、地の底から地鳴りがする、頭に角を持つ巨大な獣が雲間から屋敷を睨んでいたと、次々に言いだしたのだ。

 恐れをなして、自らも祟りの火の粉が飛んでくること嫌い逃げ出す家人もいた。

 これを見かねた息子の大江景麟が、それの祟りを収めるために思いついたのが、歌合せだったのである。



◎◎



「だが――こいつが上手くいかなかった」


 在雅さんが、杯を乾して、続ける。


「夢の相手に返歌を送り、お引き取り願おうっつーのは悪くない算段だ。女を探せと言われたって、この京の都にどれだけいるか……。だったら会えませんよときっぱり突き付けてやるのが未練を断ち切る方法というもの。さすがは大江の跡取り、考えが違うと宮中ではもちきりだったが、しかしいざ歌合せを開くとなると、話が違った」

「歌の怪異だから歌で鎮める。ああ、自分も考え自体は理にかなっていたと思う。が……集まったものたちがよくなかったのだよ、信田の姫君」


 在雅さんの言葉を継ぐ形で、途綱さんは眉をしかめた。


「姫じゃないです」


 誰であろうと変わらずにそう否定しつつ、


「集まったものがよくなかったって……どういうことですか」


 あたしは尋ねる。

 すると、在雅さんが頷き、こう答えてくれた。




「歌に見合うだけの、歌人を用意できなかったのさ」




「……でしょうね」


 ジッと話に耳を傾けていた保名さんが、苦笑を浮かべて頷いて見せた。


「愛しと吾が~~といえば、柿本人麻呂さまが歌われた古今稀に見る秀歌。それに見合う返歌をぎんじようとなれば、いまの宮中で思いつくものは、ひとりか、ふたりか」

「おう。そのひとりが、景麟どの自身よ。だが、彼の御仁は決して自ら歌おうとはしない。まるでなにか、、だ。そこで」

「ははぁ、ちょうどいいと考えましたか、検非違使佐さま、算博士どの?」

「……そういう目で見ないでくれないか、陰陽博士どの。自分たちとて、悪気あってのことではないぞ!」


 冷や汗をかいて見せながら、それでも必死に抗弁する途綱さんを見て、保名さんは意地の悪い笑みを浮かべる。

 まあ、だいたい解った。

 つまり、保名さんにどうにかさせたいのだ。

 陰陽師であり、どこの派閥にも属していなくって、ついでにいえば――



「……確かに、渡りに船ですね。解りました、その歌詠み。この保名も参りましょう。ですが、おふたがた。一つだけお願いしたきことが」


 彼がそう言うと、二人は解っているというように頷き、さっきの保名さんと同じような意地の悪い表情になって、そうしてどうしてか、あたしのほうを見た。

 ……あたしのほうを、見た?


「へ? ……え? あたしが、なんです?」

「ええ、信田姫、あなたには――」





あなたには――返歌を詠んでいただきます。






「――はああああああああああああああああああああ!?」









 ……保名さんの言葉、そして彼らの思惑を察するまで、あたしは随分な時を要した。

 ついでにいえば保名さんたちの本心を、この時点ではまだ、あたしは視抜けてもいなかったのだ。

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