02 ~その出会いは、運命への~

◎◎



「見つけたぞ」


 底冷えするような声が、背後から投げかけられる。

 ゾッと、蒼褪めながら振り返ると、あの黒ずくめの一団が、そこに集っているのだった。

 七名の集団――そのなかから、ひとり、服の色が異なるものが歩み出てくる。

 時間のたった血のように赤黒い、明らかに身なりのいい人物。


「見つけたぞ、我が妻がにえ


 ガマガエルが人の言葉をしゃべるとするなら、それだった。

 くぐもった、聴くだけで背筋が粟立つような、そんな声音。

 その、あまりの悍ましさに、私は一歩さがる。


 ――抱きとめられた。


 視界をよぎる微笑。


「だいじょうぶですよ」


 あたしの耳元にそんな囁き声を残して、あの優男が、袖をひらひらと躍らせながら、あたしと、その恐ろしい男の間に割って入る。


「――はて。なにやら聞き覚えのあるお声を耳にしましたが……その頭巾の下、どなたがおられますのでしょうか?」

「……下賤げせんなおまえが知ることではない。控えろ、没落貴族」

「ふふ」


 没落貴族と呼ばれて、優男は、薄く笑う。


「ふふふ……如何いかにも如何にも。みどもは三流三下下賤の男。落ちにぼっした貴族であります。頼みの綱たる始祖の威光もいつしか曇り、いまや失伝した知識をくみ上げることしかできない学者崩れ……しかし、私はこれでも貴族の末席に連なるもの。雅を介する以上、懐中に飛び込んだ窮鳥を、どのような理由があれば明け渡しましょうか」

「いのちと引き換えなら安かろう。ほうれ、逃げてしまえ腰抜けが。でなければ――」


 かちゃり、と、男の腰でなにかが鳴った。

 刀。

 長い、時代劇で見るよりもよほど無骨な日本刀が、鯉口こいくちを切っている。

 恐ろしい光が、目に刺さった。


「ちょ――それって銃刀法違反じゃない!」


 思わず、ほとんどパニックのように、あたしは声を荒げる。


「と――というか、さっきから違反よね、それ違反よね!? ここがどこだか知らないけど――日光江戸村とかじゃないでしょうね?――そんな危ないもの振り回しちゃ、現代日本じゃ警察に捕まっちゃうのよ! そんなことも知らないの、薄らバカども。あたしが、ただのOLだからって、通報ぐらいできるんだから!」


 恐怖に麻痺した脳髄が、何だか逆切れみたいな感じで言葉を吐きだしていく。

 実際、それは口に出すまで突発的な想いつきに過ぎなかったけれど、いざ言葉にしてみればナイスアイディアだと我ながら喝采を上げたかった。

 そうだ、ケータイで、さっさと警察なり何なり呼び出せばよかったんだ!

 そうとわかれば怖いものはない。

 あたしは意気揚々とケータイをスーツのポケットから取り出して――


「――え゙!?」


 ひどい、声をあげた。

 ……圏外だった。電波が通じていなかった。電話会社の怠慢だった。


「……何かするつもりだったようだが、不発に終わったか。しかし、俺に啖呵たんかを切るとは大した女よ。さすがは道満どうまんの兄者が言っておられただけのことは、ある。まったく、女狐よな」


 蒼褪めたあたしを見て、その赤黒い服の男は、ニヤリと、頭巾を被っていても解るほど醜悪な笑みを浮かべて見せた。


「だ、誰が女狐よ、誰が」

「……やはり畜生か。俺の身分も解らんとみえる」


 反論するも、それは冷たく一蹴される。

 一時的に盛り上がったあたしのテンションは、完全に消え入る寸前だった。


「ふん、いつまでも畜生にかかずらっている暇などないわ」


 冷たく、害意に満ちた言葉が紡がれて。

 男がその腰にいた刃を、つらりと抜き放つ。

 拝殿の中、蝋燭の炎を反射して、刀身がぬめるように怪しく瞬いた。


「腕の一、二本でも切り落とせば、大人しくなるか? それから、連れ帰るとしよう」

「う」


 その刀は本物だった。

 一目でわかる、人を殺せる剣呑な輝きが、そこにあるのだった。


「うう」


 生まれて初めて浴びるような、途方もない悪意。

 そのあまりの、ひりつくような冷たさに、身が縮こまる。

 怖くて、萎縮してしまう。


「ううう」


 当たり前だった。

 いくら強気に啖呵を切っても、私はどこまでも普通の、ひ弱なOLに過ぎない。か弱いとまでは言わないけれど、それでも男の暴力には勝てない。


「うううう!」


 今更になって鳥肌が立つ。冷や汗が噴き出る。

 ぎゅっと、意図せずに、目の前の優男の服に縋りついてしまう。

 こんどこそ、殺されちゃうのかな……?

 あたしらしくもない、そんなことを、思った。



――



 笑声。

 その場の緊張を砕くような、高らかな、抜けるような爽やかな笑い声。

 笑った。誰が?

 ――あの、優男が。


「ははは」


 彼は笑っていた。先程までの微笑とは違う、心底嬉しそうな、喜びにみちた表情で!


「女狐! 女狐か! それはいい! たわむれでも神頼みをしてみるものだね! ああ、私は、実にいている! さてはて事情が変わったよ。この烈女が、いや――このひとが窮鳥ではなく、女狐だというのなら」





 ――ますますおまえたちには渡せない。どうか、お引き取り願おうか。





 狩衣の内側から、白い手がすっと伸びる。

 ぴんと伸ばされた人差し指と中指に挟まれるのは、一枚の複雑な紋様が描かれたお札。

 それを胸元に構えながら、優男が、笑みを消す。

 かわりに現れたのは、精悍な、男の表情だった。



「あなたは、私が守らせてもらう」

「抜かせ!」


 優男の言葉に激昂したように、ガマガエルが吠えた。

 白刃が躍る!


「あぶない!?」


 反射的なあたしの叫びは、あまりにも無力だった。

 だって。

 あたしをかばう彼へ。

 狙い余さず優男へと振り下ろされた刃は。





 ――たった一枚の紙の札に、やすやすと受け止められていたのだから。





!」

「ぬう!?」


 狩衣の彼が短く、強く息を吐く。

 その繊手が蝋燭の灯りの中で踊り、兇悪な刃をいなしてみせる。

 赤黒い服の男が、二刀目を振るおうと踏み込むより、優男が指を弾くほうが早かった。


「む……む」


 たたらを踏んでさがる。

 下がったのは――赤黒い服の男。

 その頭巾が、ひらりと――まるで鋭利な刃物に断ち切られたように両断され落ちる。

 男が顔を押さえる。

 現れたのは、恐ろしい顔立ちだった。ガマガエルと猿を掛け合わせたような、醜悪な狂相きょうそうのそれ。

 ぎらつく獣のような瞳が、優男を憎々しげに睨みつける。

 その額に一筋、血がにじんでいる。

 優男の札がそれをやったのだと理解したとき、もう狂相の男は退いていた。


「今宵は退く。ここは退く。だが……この恨み、この恥辱……忘れはせぬぞ、三流陰陽師……!」

「恨みを忘れないのは、こちらも同じですよ……摂津せっつもり――石川いしかわ悪右衛門あくうえもんどの。とりあえず、さっさと国へ帰るんですね、?」

「…………」


 優男の言葉に、悪右衛門と呼ばれた男は苦渋の表情を浮かべ――そして踵を返した。

 そのうしろに、黒衣の男たちが物も言わず付き従う。

 最後に悪右衛門は、こう、吐き捨てたように、私には聞こえた。




「おのれ下賤が……父親と同じ目に、必ずあわせてくれる……!」



◎◎



「さあ、もう大丈夫ですよ」


 優男が、不意にそう言った。

 そうして「もう私から離れても大丈夫ですよ」と微笑む。


「うひゅい!? あわわわ……」


 あたしは慌てて飛退いた。

 呆然としていたのが原因だけど、ずっと彼にしがみ付いていたのを自覚して恥ずかしくなったんだ。


「え、えと、これは、その、他意があったわけじゃなくって! えっと、えっと……!」


 頬が熱い。

 なんでかよく解らないけれど、心臓がバクバクと脈打っている。

 怖いぐらい、哀しいぐらい、まるで――運命に出逢ったかのように。


「あーもう! 違うんです! ほんとうにちょっとびっくりしちゃっただけ――って!?」


 羞恥に身を焦がしながら必死に弁明している、彼の身体が急に傾いだ。

 抱き留める暇もなく、床張りに膝をつく彼。

 慌てて駆け寄ろうとすると――手をかざされ、押しとどめられる。

 上がった顔に微笑はなく、酷い脂汗が浮かんでいた。


「あ、あの、だいじょぶ、ですか?」

「……ああ、美しい。やはり、私の眼は曇っていたか……うつくしい、烏羽玉ぬばたまの実で染め上げた絹のような黒髪だ……」

「え゙?」

「ああ、そのように逃げないで。……ええ。大丈夫。大事ありませんよ。それよりも窮鳥、いや女狐、いやいや……私の姫君」

「姫君!?」

「? その恰好です、何処かのご息女なのでしょう? うつくしひとよ、異国とつくにころもを着た姫君よ――どうか、あなたの恩名を、この私にお教え願えませんか?」

「…………」


 彼の様子に、ふざけるようなものはなかった。

 言い方はおかしくとも、彼があたしを見る瞳は、何処までも静かで、真っ直ぐで。

 だから、あたしは。

 常識ある現代日本人であるあたしは、こう言うことにした。



「人に名前を尋ねるなら、まず先に名乗ったらどうです? 先生に、そんなことも教わらなかったんですか、恥知らず?」



 ……それは、なんというか、照れ隠し。

 助けてもらったことへの恩と、いきなり美しいだの姫君だのと連呼された挙句、名前を訊かれたことへの気恥ずかしさからくる、つんけんとした精いっぱいの照れ隠しだった。

 ぷいっとそっぽを向きながらそう口にして、それでもあたしが、ちらちらと彼の様子を伺っていると、優男は驚いたように目を丸くして。

 それから、嬉しそうにほほ笑み、こう言った。


「ああ、これは失礼をしました」


 そうして、名乗ったのだ。

 今後あたしの脳裏に、末永く刻まれることになる、その名前を。




「私は保名やすな。ただの保名。家名は、随分と昔に、失いました」



 彼はあたしをジッと見て、そして問う。

 それで、あなたのお名前は? と。




「……私は、葛葉よ。信田葛葉。ねえ、保名さん、ここは、いったいどこなの?」

「はい、ここは摂津の末端――和泉いずみ阿倍野あべのの森――」


 彼は、微笑みのままに、こう言ったのだ。





「つまり、平安京の外れです」




 信田葛葉、25歳。

 この瞬間から、あたしの運命は大きく動き始める。

 そう――過去の平安京へと、タイムスリップしたことによって――

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