第七章 燦然たる輝きの名は――
33 ~道満大内鏡~
「葛葉あああああああああああああああああ!!!」
最初に聴こえたのは、あたしの名前を呼ぶ、そのひとの声だった。
でも、それは分厚い水の幕を通したように、くぐもっていてはっきりしない。
同じように身体は重く、瞼を開けることすらつらかった。
重たい闇が絡みつく、深海のような真っ暗闇のなかで、それでもあたしは、目を醒ます。
闇の先、かすかに見える光点のなかで、あのひとが、倒壊する悪右衛門の屋敷のなかで、決死の形相で闘っているのが見えた。
「保名さん!」
思わず、叫ぶ。
でも、その声は届かない。
天空には暗雲が立ち込め、いまにも降り出しそうな雨雲が逆巻く。
太陽は闇に閉ざされ、
その暗闇に呑み込まれて、あたしの声はどこにも届かない。
手足さえ、絡まる闇で、身動き一つとれないのだ。
いったい――いったいここはどこなのだろう?
その思うあたしの視界、そのなかで、保名さんが札を掲げ印を結ぶ。
「くっくっ……無駄よ、無駄なことだ保名。ぬしには儂の術を破ることなどできん」
道満――蘆屋道満の嘲笑。
道満は心底保名さんを嘲り、侮り、そしてこう続ける。
「
激闘の余波によるものか、さらに崩壊を加速させる悪右衛門の屋敷。
その瓦礫の中から、四つの箱が飛び出す。
ちょうど人間が納まるぐらいの大きさの鉄の箱が四つ。
そのなかにいるのは――
「あたし!?」
そう、あたしは閉じ込められていた。
すべての箱に、あたしと同じ顔の人間が、納められ封印されているのだった。お互いが顔を見合わせ、驚いた表情を浮かべる。完璧なあたしだった。
「ここに封じられしが信田葛葉よ! さあ、さあさあさあ! どの信田葛葉が本物か、ぬしには解るか? この箱は、いわば我が体内と同じよ。本物を視抜けねば、やがて信田葛葉は我が供物として闇に呑まれ、消化されるであろう!」
「ならば、そのまえに道満、おまをを倒すまで!」
「ほう? では尋ねるが――ぬしは、あと何度術が使える? 以前よりはましであろうが残っているちからはどの程度だ? せいぜいが――あと一度といったところであろうが?」
「ッ」
保名さんが、歯噛みをするのが解った。
恐らく道満の言っていることは正しいのだ。
何故なら保名さんの顔色は、いまにも倒れてしまいそうなほど蒼白で。
「ならば、俺たちが挑めばいいことよ!」
気勢をあげて、物陰から二人の人物が飛び出す。
太刀を大上段に掲げた源在雅さん。そして、引き攣った顔の菅原途綱さん。
二人は道満に襲い掛かる。
が、
「無駄よ、無駄無駄ぁ!」
「ぬぅ!?」
「なあ!?」
在雅さんと途綱さんの眼前にあたしの入った箱が突き出される。
ふたりが攻撃を躊躇した瞬間、道満がその両の
「在雅! 道綱どの!」
「次はぬしの番ぞ、保名」
「く……!」
険しい形相を浮かべる彼。
……あたしは、なにもできないのか?
決死の思いでここまで戻ってきて。
それで、あのひとが苦しむ姿を見ていることしかできないのか?
ほんとうに?
『もちろん、出来ることはあるコン!』
三度目となるその声を、あたしは聴いた。
◎◎
「あなたは――狐さん!?」
『狐じゃないワン!』
そして、この場では稲荷でもないと、その若々しい声の狐――稲荷――いや、そのどれでもない彼女は、言った。
『三種の神器がそろい、あなたが己の運命を知ったいま、
「それって――」
その名前を、畏れ多い名前を口にしようとすると、彼女はチャーミングに(そして獣の姿のくせに)ぱっちりとウインクをしてみせた。
『言わぬが仏ってことよ。それよりも、こうなるのは解っていたけれど、あなたたちは本当にピンチになるのが得意ね?』
いや、好きでなっているわけじゃ、ないのだけれど……
『そうね、吾もいろいろ放置していたのだし、言えた義理じゃないわ。だから、そのお詫びといってはなんだけれど、もう一度だけ、アドバイスしてあげる』
アドバイス?
それは、この状況をなんとかする方法みたいなものですか?
『そうよ。あの知識はあっても力が足りない陰陽師くんが、なにかに感づきながらも手をこまねいているのは、あなたの精神までもが蘆屋道満の手中にあるから。だから打つ手がない。でも、それは彼の力量が道満に劣っているからではないわ。一度だけなら、彼は道満の術すら破れるはずなの』
でも、それにはあたしが邪魔だと。
あたしが、彼の足を引っ張っているのだと。
そう、言いたいんですか?
『いいえ。むしろ逆よ。あなただけが、彼を救える。彼と、あなたたちの未来を。いまだだ不確定の未来そのものを』
それは、どういう。
『蘆屋道満がもっとも恐れているものがそこにはあるの。諦めないで。躊躇わないで。ただ呼びなさい。あなたの心が赴くままに。あなたの想いが。彼らのいう〝呪〟が、導くままに』
そのひとが問う。
さあ、信田葛葉――
『あなたは――誰の名を呼ぶの?』
それは、とても難解で、とても簡単で、とてもばかばかしい
だって、そんなのは決まっているのだから。
こたえは、ずっと前から、決まっていたのだから!
「「「「……たすけて……」」」」
四人のあたしが、まったく同時に言葉を紡ぐ。
倒れ臥す途綱さん。
必死に立ち上がろうとする在雅さん。
泰然と構え
そして。
そして。
「「「「たすけて」」」」
飛び掛かる在雅さんを、道満が不可視の力で跳ね飛ばし、それを受け止めた途綱さんが、潰れたカエルのような悲鳴を上げる。
道満が煽り、炊き付ける。
「どうした? 没落の果てにある陰陽師よ? わからぬか? どれが本物だと思うのだ? あててみよ。さあ、この四人のうち、どれが本物だ? どれが、信田葛葉か!」
回る、
彼の周囲を、四人のあたしが。
次々に、めくるめく、訴える。
「助けて」
「助けて」
「助けて」
「助けて」
そうだ、助けて――
「あたしはここです――保名さん!」
五人目のあたしが――叫んだ。
「――! 道満が秘術【大内鏡】――ここに見破ったり!」
眼を見開き、顔を跳ね上げ、保名さんが叫ぶ!
彼が垂直に振り上げた指先から放たれた札は、一直線に天へと上る!
暗雲を突き破り、雨雲を引き裂いて、さらに上へ、上方へ、天空へ!
そして、それは断ち切った。
闇を。
太陽を覆う
日食を!
同時に偽りのあたしすべてが、鏡となって砕け散り――そして、あたしは解放される!
「保名さああああああああああああああああああんんんん!!!」
「葛葉あああああああああああああああああああああああ!!!」
墜落するあたし。
空からまっさかさまに落ちるあたし。
風切り音が耳元でびゅうんびゅうんと鳴り響き、ばたばたとスーツが風に叩かれる。それでも彼の、あたしを呼ぶ声は聴こえる。
あたしは落ちる、天空から――閉じ込められていた、切り裂かれた日食のなかから、地上へと向かって!
彼は跳ぶ、地上から――いままで封じていた心のうちがわ、そのすべてを解き放って、天空へと向かって!
届く、指先が。
絡み合う、手をつなぐ。
やさしく、抱き寄せられる。
「おかえり、葛葉姫」
「ただいま、保名さん」
そうして、あたしと彼は、口づけを交わした。
祝福のように、晴れわたる蒼穹から日光が降り注ぐ――
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