21 ~父と予言と反撃の時間~

◎◎



 かつて、一人の陰陽師がいた。


 唐国からくにで天子と呼ばれる王の、その食客しょっかくとして召し抱えられ、天球の運航、世の真理、時の流れについて学んだ、生粋の大陰陽師――そのひとを祖先に持つ彼は、だけれど、なんのとりえもない男だった。

 というのも、長い時の流れのうちに、先祖が残した知識・術・ことわりのほとんどが散逸し、また失伝してしまっていたからだ。

 それでも男は、世のために、人のためにと思い、残された少ない資料を読み解いて、一角の陰陽師として功を為した。

 あるとき、彼のもとに摂津の守を名乗る男が現れてこう言った。

 自分の妻は不治の病である。なんとかその玄妙なる術をもって癒してはもらえないだろうかと。

 陰陽師はそれに応え、摂津へと出向き、男の妻をた。

 だが――救うことはできず、逆に、そのいのちを奪おうとした。

 その結果、陰陽師は摂津の守の手打ちにあって斬り殺され、家名は剥奪。

 開祖が残した最後の秘伝すらも、その家からは失われてしまったのだった。



「その陰陽師こそ、保名の父親であり、私の盟友であった男だよ」


 加茂忠保さんは、そう、語ってみせた。

 まるで見てきたように、見知ったことであるように、そう語って。

 そうして、こう続ける。


「そして、この奇妙な出来事のすべてが、摂津の守、石川悪右衛門の――その兄である蘆屋道満の策略であったのだ。あの我欲の化身、道満は、保名の祖先が天帝より賜った秘術――天文道の奥義である天体の運行が記された秘術書を手中に収め、己が欲望を成就させようとした。かの者の願いは一つ。いずれおのれを超える存在が生まれる前に、そのすべてを剥奪すること。それはまさに、運命の支配と同義であり、そのために保名の父と、保名自身は、なにもかもを、本当に多くのものを簒奪さんだつされたのだ。そして、いま――」


 蘆屋道満は、信田葛葉をも手中に収めんとして、暗躍しているのだと彼は言った。


「それは、信田葛葉さま、あなたがとある神仏と浅からぬ縁を結んでいるがゆえ。それにゆえに、あなたは道満めに狙われているのです」


 八咫姫さんが、加茂さんのあとを継ぐ。

 その表情はどこまでも清廉で、なによりも凛とし。

 その瞳は、正しいことのために燃えているようだった。


「吾も、あなたさまと同じ神仏に所縁を持つものです。吾の家系は代々予言者であり、それは天体の王たる一柱ひとはしらの神の恩恵を受けているからでした。吾の母は、保名さまの御父上に協力し、道満の野望を阻もうとしましたが、志半ばに倒れました。そして、そのさなかに産声を上げた吾にも、当然のように予言の力は受け継がれ、そして、託宣がくだったのです――あなたがたが、いずれ死別すると。あなたが死に、保名さまが死に、保名さまの係累が死に絶えたとき、天の運航、ひとの運命、その全ては蘆屋道満の手中に握られる音になるだろうと――」


 その託宣とやらを覆す手段は、道満の手にある秘術書を取り戻す事のみだと、彼女は語る。


「これまでは加茂様にお頼みして、保名さまを護ることに尽力してきました。吾は保名さまと幼少よりの付き合いがあり、なによりもお慕いしておりましたから、なんとしてもそのお命をお守りしたかったのです。本来ならこの屋敷も、そのために用意された強力な結界のひとつでした……」

「だが、それも破られた。道満の力がそれだけ増しているということだ。秘術書の解読が進み、〝運命〟を御する法に踏み入りつつあるのだろう。もし彼奴がすべての解読を終えれば、この世は地獄とかす。星の道行も、人の営みも、なにもかも彼奴が思うがままの阿鼻叫喚地獄とかすだろう。それだけは、なんとしても阻まねばならん」


 蘆屋道満のたくらみは、必ず除かねばならないのだと、二人は語った。

 そうして、加茂さんはこうも続ける。


「奪われた秘術書は、時の運行に関する項目もある。信田葛葉、きみと縁ある神の神威をお借りする方法も書かれている。ならば秘術書さえ取り戻せば、きみを――本来あるべき時間軸へと戻すことも可能となるはずだ」


 だから、なんとかしなくてはいけないと。

 是が非でも立ち向かわなければならないのだと。

 そうでなくては、あたしや、保名さんだけでなく。世の多くの人たちが涙するのだと、彼らは至極真剣な表情で、語ったのだった。


 道満と悪右衛門。

 そのふたりをなんとかすれば、誰も悲しまない。

 世界は救われ、あたしも保名さんも助かる。

 そのうえ、未来にも帰ることができるのだと。


 そんな説明を受けて、選ぶべき選択肢なんてないも同然のそんな話をされて。

 あたしは。

 あたしは。

 未だ厳しい表情を浮かべたままの、ちっともらしくない保名さんを見て。

 

 だから、言った。



















「心っ底――くだらないですね、それ!」



















 言ってやった。

 言い放った。

 そのときの二人の表情は(といっても加茂さんは見えないけれど)、なんというか、はにわみたいな顔だった。

 きょとんとしていた。

 あたしは、ゲゲゲの鬼太郎みたいな荒い鼻息をフンス! と吐きながら、バカみたいな話を聞いているあいだ、胸中にたっぷりと溜まっていた鬱憤を、ありのまま、そのままの言葉でぶちまける。


「なんかやたら御大層な名目が出てきましたが、なんであたしがそんな訳の解らない予言に付き合わなくちゃいけないんですか? 保名さんが死ぬ? あたしが死ぬ? 道満に殺される? こっちは昨日、悪右衛門に殺されかけたばっかりなんですよ、そんなこと、知ったことじゃないんです」

「い、いや、だからだね、その悪右衛門を操っているのが道満で」

!」

「「っ」」


 ぴしゃりと、あたしは言ってのけた。

 だまらっしゃいと、水戸黄門みたいに口にする。

 さらに言い募ろうとした2人に、厳然としたNO! を突き付ける。


「だいたい、大人しく聴いていれば会ったこともない保名さんのお父さんのお話だとか、世の中の人が苦しむだとか、そんな死人とか見知らぬ人のことまで考えられる余裕があるんだったら、あたしはもっと有意義な生き方をしていますよ! しかも、話しの裏を読めばまるであたしが保名さんと結婚して子供を産むような言いかたまでして! なんです? あなたたちは田舎の世話焼きおじさんおばさんかなんかなの? 縁談を進ませにでもきたの? 失礼だとか、思わないんですか!?」

「「…………」」


 あと、あんただ。

 ……あなたですよ、まったく。


「第一、いつまで黙って聞いているつもりですか――保名さん!」

「――っ」


 あたしがその名を呼ぶと、彼はピクリと震え、こちらを向いた。その瞳にあるのは、戸惑いや後悔、困惑といったもので。

 はっきり言って、普段の彼からは、どこまでも遠い瞳の色だった。

 ああ、もう、情けない……


「しっかりしてください保名さん。昨日あなたがあたしに約束してくれたことは――あの日、初めて会った夜。あのときかけてくれた言葉は、いったいなんだったんですか」



『あなたは、私が守らせてもらう』



「保名さんは、確かにそう言ったでしょう! なのにいまは、そんな腑抜ふぬけた顔をして……ねぇ保名さん! あれは、あなたが言ってくれた言葉は、ぜんぶ嘘だったんですか!?」

「――ち」

「はい?」

「――がう」


 なんですか、聞こえませんよ。

 そんな顔じゃ、そんな小さな声じゃ。そんな想いじゃ!

 あたしには――届かない!




!」




 彼は、叫んだ。

 初めて聞くほど大きな声で。

 真っ直ぐな言葉で、真剣な表情で、そして、いつも通りの彼の眼差しで。


「私は! 私は、おのずから語るほど身分のあるものではありません。ですが、断じて嘘はつかないと誓えます。あなたに、信田姫に、私は決して嘘はつかない。故に、その言葉に偽りはないのです!」


 だったら。


「だったら、こんな風にいろいろ言わせないで。しっかりあたしを護ってください。あたしのことを、離さないでください」


 そうすれば、いつまでだって、どんなときだって、あたしはあなたを、ずっと信じていられるから。


「信田姫……」

「あたしが未来に戻る方法。保名さんが奪われたもの。これから世の中が失っていくもの。ぜんぶ、ぜんぶそこにあるんでしょう? 摂津に、悪右衛門と道満のもとに。だったら――」


 ね、保名さん?



「――はい。取り戻しに行きましょう。奪われたものすべてを。これから奪われるもの、すべてを」



 陰陽博士保名は、そう言って頷いたのだ。

 確かに、想いを口にしてくれたのだ。

 事実、ゆっくりと瞑目し、ひらいた眼差しは、その表情は、いつも通りの、彼一流の微笑みが戻ってきてたいのだから。


「これは――参ったものだ」


 加茂さんの、顔を隠した布の下から揺れた声が上がる。

 可笑しそうな、愉快そうなそんな声を受けて、あたしも勝気に笑う。

 そうして、ついでとばかりに加茂さんの、昨晩彼が口にした言葉を図らずも借りて、その通り宣言したのだった。



「さあ――反撃の時間です!」























「おー」


 完全に蚊帳の外だった美少年貴公子が、気のない声で、なんか拳を掲げたのだった。

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