第27話:開戦
『グルルル……』
魔狼達は、自らの住処に降って沸いた獲物に、一等の興味を示していた。
飢えという生物的本能と言うより、魔物としての本能が掻き立てられていた。
現在の『白の森』の危険筆頭である彼らは、この一年間『生かされていた』。
白の森の主であったトロールを突如失くした。森の生態系において頂点にあった目の上のたんこぶ、トロールの死を魔狼達は喜んだ。
そしてさあ主の座を取って代わろうとした矢先のこと、現れたのは人間のような魔物のような、それでいて圧倒的な力を持つ存在が現れた。
それが、ネラプだ。
彼は無益な殺生を避けるため、魔狼達と出来る限り共存しようと試みた。
生きていける分の餌を与え、魔狼達に山を降りさせず、必要以上に人間や動物を襲わないようにするために。
しかし魔狼達から言わせてもらえば、それは強者の理論だ。
魔物としての本懐、その存在価値をこの一年間押し込められていたも同然。ネラプの発想は面白いものであったが、それで魔物は収まらない。
どの道、ネラプがいなかったとしても、
魔物の欲は止めどない。人間の被害は間違いなく、その上位にトロールやネラプがいてこそ抑えられていた。
元々が魔物という性分、人間に仇なす存在である。滅多に踏み入れない人間、それも肉質の柔らかい子供が来たとなると、黙ってなどいられない。
魔物らしく、獣らしくあるために、彼らは一時解放されたとばかりに牙を剥く。
「うわっ、わああああ!!」
そんな群れに囲まれたレンが、松明を滅茶苦茶に振り回す。
獣は火に弱いと聞いた話を頼りにしているのだろうが、既にその火種は弱まっており、闇雲に振り回したせいでますます効果の薄いものになっていた。
ジリジリと、その包囲網は狭くなっていく。
「う、うう、来んなっ! こ、こっち来んなあ!!」
それでも、レンは牽制を続ける。
火が消えたらどうするとか、そんなことは考えなかった。
子供でちっぽけな彼は、今出来る行動に縋り付き、恐怖という現実から逃げていたのだ。
『ガアッ!』
「ひいっ!!」
そして、あって無いようなその均衡は今まさに崩れようとした────その時だ。
「────レェェェン!!」
声が飛んできた。
それもレンの名前を呼び、レンが知る者の声だ。
「ね、ネラプ兄ちゃん!?」
「レン、レンだな!? こっちだ、早く!!」
盲目の少年、ネラプだった。
唯一この危険な森に住み、父であるウッドが一目置いている、兄貴分だ。
ネラプが現れ、襲い掛かるのも秒読み、と言ったところで魔狼達が踏み止まった。
『わー! びっくりしろー!』
続いて羽を生やした一玉の光が、宙を滑るように飛ぶ。それに一瞬、魔狼達は気を取られた。
「に、兄ちゃん……っ!」
その隙に、レンは松明を放り捨て、ネラプのところまで走り寄った。
知り合いに会えたことで、安堵はある。
しかし一方で、どこか冷静で冷めた部分で、『目の見えない奴が役に立つはずが無い』と嫌らしく通り過ぎた。
依然危険なのは変わらない、せめて腕っ節のある自分の父親が来てくれれば────
「下がってろ」
「で、でも……」
しかし魔狼達が妖精如きで獲物を逃すわけも無い。
時間稼ぎはここまでだった。レンは、思わず眼を閉じた。
普段からの欲求不満にある彼らは、抑えきれず、今度はネラプを相手取った。
上位など知ったことか。
今こそここで、新たな森の主として取って代わって、
「ごめんよ」
ネラプは静かに、憐れむように一言告げ、巻かれた包帯を捲り上げ────
『────』
次の瞬間に、魔狼の群れは眠るようにその生を終えた。
「…………」
「え……えっ?」
目を開けたレンは、この場で何が起こったか分からなかった。
まさに一瞬、誰も何も出来ないような時間の中でのこと。
ネラプが何かしたようには思えない。
しかし、子供のレンでも腑に落ちない『何か』が起きた。
「……レン、無事か! 怪我とかしてないか!?」
そうレンがボンヤリと状況の理解に頭を回していたところで、ネラプが振り向き、尋ねた。
包帯を捲り上げていたはずだが、既にその白布は両目の上に降りていた。
怪我などは無かった、無かったが……
「え、あ……う、うん」
「どうしてこんな所に来た!? ウッドさんやミイナさんは? それに……」
矢継ぎ早の質問の中、ある一つがレンの胸を刺した。
「こんな夜に一人で、何やって……」
「っ……!!」
我に返って、ある事を思い出したのだ。
「ひ、一人じゃ……ねぇよ」
「え?」
「お、俺は来んなって言ったんだ! モニーあいつ、勝手について来て……!」
しどろもどろに、レンは口を開いた。
説明、弁解、後悔、見栄……そんな思惑が交錯して、しっちゃかめっちゃかになった。
しっかり話そうと思えば思うほど、上手く話せない。
「モニーも……モニーが、迷って……お、俺が先に行き過ぎたから……俺、モニーを探さなきゃって、それで……」
「モニーもいるのか!? どこに!?」
「し、知らないよあんな奴! もういいよ、あいつの『じごーじとく』だろ!?」
そして口が止まらず、つい心にも無いことを言ってしまった時、ネラプは本気で怒った。
「馬鹿!! たった一人の妹だろ、『知らない』とか『もういい』わけないだろうが!!」
ネラプの滅多に見せないその様子に、レンは言葉を詰まらせた。
「それともお前がよく目指してるって言ってる騎士ってのは、妹一人見捨てるような奴なのか!? そんなのになりたいのかよ!」
「うっ……うう……」
悪いのは自分だと、分かっていた。
分かってはいるのだ。分かっていたからこそ、親しいネラプに言われると、胸に刺さる。
きっと今の自分は、顔がくしゃくしゃだろう。その顔は見えてないとは言え、声が喉で詰まって震えているので、バレているに違いない。
「……モニーも、ここのどこかにいる……そうだな?」
ネラプは何か察したかのように、それ以上はもう何も言わず、打って変わって静かに確認する。
レンの要領を得ない話を、冷静にきちんと聞いて理解していたようだった。
「う……うん……」
「分かった。……カーリ!」
ネラプが名を呼び、ギョッとした。
得体の知れない光の玉が、フヨフヨとこちらにやって来たではないか。それは羽を生やし、そして何より驚いたことに────人間の言葉を喋ったのだ。
『はーい。そのおんなのこをさがしてくればいーんだよね?』
ネラプは少し考える素振りを見せてから、
「……いや、先にオルメの所に行ってくれ。騎士団が来てることは話しとかないと。モニーは俺が探すから、それだけ伝えて合流しよう」
『うん、わかったーっ』
そう指示を出すと、カーリと呼ばれたその光は飛び去って行く。
「な、なんだ今喋ったの……ゆ、幽霊……?」
遠ざかるそれを、ポカンとして見届けるレン。
屈んでいたネラプが立ち上がり、レンの手を引いた。
「レン、悪いけど時間が無い。すぐに森の外まで送るから、そこからは一人で帰れ。道は分かるだろ?」
「で、でもモニーは……?」
「大丈夫」
特別力が込められていた訳でもないのに、その手の芯に確かな力強さがあった。
「────絶対に、俺が守るから」
◼︎◼︎◼︎
そこは、大穴と呼ぶに相応しい、地面が抉れたような広い空間であった。
かつては『竜の巣』として祀られていた洞窟は、長い月日で入り口からしてただの亀裂のようであったし、土壁には苔が生していた。
中隊を形成するこの大人数では、かなりの列を為さなければ進めていけない縦穴から、こんな広い地下に繋がるとは不可思議なものだ。
『……ようこそ、聖騎士団の諸君』
どよ、と聖騎士団の中でどよめきが起こった。
竜とは人間にとって伝説的な存在であり、その悪名は子供にも知れ渡っている。
しかし直接見た者はなると、その数は極少数に限られる。
つまり、竜が人間の言語を喋ることなど、彼らは知らなかったのだ。
「……竜よ、貴様の存在は害だ。あらゆる者の脅威であり、災厄。我らカトリール聖騎士団が討伐する」
竜に相見えるのは、いつだって勇者やその類の英傑達だ。
そして今、その逸話の人物達に並ぶ程度の力が、竜の目の前に集結している。
『つまらん御託はいい。妾を殺したいなら来い。尤も、人間如きに素直に殺されてもやらんがな』
緊張感を孕んだ、空気をピンと張り詰める会話が交わされる。
その時だった。
「……『せいきしだん』さん!」
モニーだ。
自分が知る中で、最も力のある希望が助けに来たのだと、そう思ったのだ。
竜の傍から離れ、駆け寄ろうとする。
よかった、これで家に帰れる、と。
しかし────純粋無垢でか弱い少女を迎えたのは、
「殺れ」
夜の空気を切り裂く、
「え────?」
一筋の白刃の光────
『とんだ獣心じゃの』
オルメの声が、冷たくせせら笑う。
その嘲笑の中には、どこか憐憫や哀切が込められていることに、ここにいない少年であれば気付いたであろう。
モニーに向けられた、その命を奪う剣戟は────その間に割って入ったものによって遮られた。
まるで剣の鍔迫り合いのように、モニーの前まで伸ばした尾が、それを受け止めていたのだ。
鋭い一閃に負けることもなく、真っ向から対抗していられるのも、竜気で硬質化しているからだ。
『まあ、もっとも……妾も好きでこの娘子を守ったわけではないが』
白い靄のような光に守られた竜尾の先が、モニーの周りにするりと巻きつき、持ち上げた。
きゃあとモニーは叫び声を上げるが、オルメの元へ引き戻されていくまでの動作は極めて緩慢で、それはあたかも彼女を慮っているようだった。
『竜の本懐とは、何かを守ること。あらゆる敵から、居場所を、財宝を、そして子を。それらを守ろうとすればする程に強くなり、雌雄問わず闘えるのが、竜という誇り高き種族』
故に、オルメはモニーを庇った。
それは例えば、人の愛に手順が必要なように。モニーを助けたのは、オルメあってオルメではない。
竜という生物としての、深いところにある本質、それがモニーの命を守ったのだ。
そして、しかし。話が矛盾してしまうようではあるが────モニーを守った最大の理由はそんな事ではなかった。
『じゃが、それはそれとして────貴様らのその性根が、妾は一等気に食わん』
何の罪もない少女を、己の利のためだけに犠牲にしようとする彼らのやり方に、オルメの心中が穏やかでなかったのだ。
矜持のために人を守った竜と、利己のために切り捨てようとした人間。
彼らの構図の、なんと皮肉的なことか。
聖騎士の内の一人が、威勢良く声を荒げた。
「ハッ、分かった気になるなよ! この化け物が!」
『フン、まあそうじゃな。戯言じゃった、忘れとくれ』
所詮彼らは、人と竜。
見ているものの違い。倫理。価値観。思想。この闘いで得るものと守るもの。
言語で会話を交わせても、その種族の差はあまりにも違いすぎる。
元より噛み合うはずもない、『彼』が特殊過ぎるだけなのだ。
『ならば、こう言おう────とっとと来い、下卑た宗教家共よ。妾が相手してやろう』
────その言葉が、全ての皮切りとなった。
ある者は剣を、
ある者は槍を、
ある者は盾を、
ある者は数人がかりで後方に魔法陣を構築し、それぞれが構えた。
そして竜は、対峙する。
刃よりも研がれた爪を、
鉄よりも硬い牙を、
槍よりも長い尾を、
今使えるだけの竜気を、許す限りまで漲らせた。
夜半の闇を払い、地を引き裂かんとする激戦が始まった。
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